Go Congress紀行

囲碁大会編

(2001 US Go Congress 参加報告記)

兵藤 進


[登場人物]−旅の同行者− (AGAランク順)
吉田 嶽彦
高本 正
我妻 正明
兵藤 進   筆者
柴田 啓介
牛島 五郎   中国・大連在住
井宮 照雄
我妻 崇明8才、「仁風会」小林泉美門下生
[登場人物] -出会った人々-
Anderson, Paul ニューヨーク在住、元US IBM社員、AGA初代President、四谷の木谷道場に も通って、故木谷礼子さん、大竹九段等木谷門下の棋士と交流がある。
原子 武久   日立市在住、前回DenverでのCongressに参加。Paulから紹介される。
森田      日本棋院職員、Denver大会に参加
兵頭 俊一     神戸在住、囲碁指導員。S. Hyodoで私と間違えられる。いえ、私がS. Hyodo と間違えられる(!?)。Congress事務局は、Strong Hyodo として認識。
牛 飛飛      今年1月、Mike Lushと金沢東栄さんと私と4人、八重洲で初めて会う。アマ 五段、マイケル・レドモンド九段の義妹。
レドモンド、マイケル 日本棋院・棋士九段。今年のUS Go Congressに日本棋院より派遣される。
牛 嫻嫻(NIU XIAN XIAN) 中国棋院・棋士三段 レドモンドの奥さん、飛飛さんの姉
恵美(EMI NIU REDMOND) 8歳
優美(YUMI NIU REDMOND) 5歳
Redmond, None  レドモンド九段のお母さん。アメリカの子供達に囲碁の普及活動を行う。
張 仁義     台湾出身、骨の専門医で、Baltimoreの病院で研修中。快活でよくしゃべる。 本人は碁を打たない。
Lash, Michael 弁護士・連邦政府職員。今年の一月、八重洲の日本棋院で初めて会う。
Shubert, Bill KGSのInternet Go開発の米国側担当者。
Curran, John   Engineer。テニスのお相手、アイルランド系米国人
Curran, Loretta 中国+ポーランド系米国人。子供3人の母親
Arnold, Keith 2001 US Go Congress President, AGA Baltimore支部部長
Zimmerman, Sam 2001 US Go Congress事務局責任者

[チェック・イン]

ボルチモアを出て約1時間で我々の目指すヨークに着いた。Go Congressの会場になるヨーク大学は、比較的簡単に見つかった。と、いうことは、ヨークの町はあまり大きくないし、大学以外の大きな施設、つまり工場や、ビジネス街のようなものがほとんど見当たらない。しかし、ここは米国建国時には首都があったということで、由緒正しいような雰囲気はいまだに残っている。

ちなみに、首都はその後、フィラデルフィアに移転し、今はワシントンDCに移っている。大学に到着し受付に行くと、すでに数人がテーブルを囲んでいた。担当らしい女性に名前を告げて、レジスター用紙の自分の名前にチェック・マークをし、首からぶら下げる名札をもらうことになっているのに、どうしたことか私の分がない。取り敢えず、Congressの説明が入った紙袋と室のキーをもらい、室のある建物を教えてもらって、これから1週間寝泊りする室がどんなものか見に行くことにした。建物は建国当時のものではないだろうが、かなり古く、その上、すぐ横一面に大きな木があって薄暗い。私と牛島さんは同室で、その室は2階にあった。室には天井の真中に電気が1つあり、金属のベッドと、木の机、それに引き出しつきのもの入れのようなものが、それぞれ2つずつある。ホテル並とは云わないが、もう少し愛想があってもいいと思ったが、大学の寮だし、宿泊料金も安いのだからと自分を慰めた。

米国の学生は比較的裕福だから、いろいろな電気器具や生活用品が揃っているものと思っていたので、あまりの質素さにびっくりした。英国留学の経験がある飛飛さんの話によると、イギリスでは電化製品も共有のものがあって、もう少し生活程度が高いようだ。米国では夏休み(つまり、学年末の休暇)になると、室にあるものは一切合財始末して、室をカラッポにしてしまうとのこと...。どおりで、何も無いはずだ。窓はドアの反対側に半間ほどのものがあって、ガラス戸を上に押し上げるようになっている。

外側には虫除けの網戸があるので、暑ければ開けたまま寝れば快適そうだ。 室を出て、あっちこっち覗いて見ると、先着の住人がベッド・メーキングをしている。シーツや枕を何処で手に入れたか聞いたところ、全く違うビルを教えられ、牛島さん、飛飛さんと3人で取りに行くことにした。新入生のような気分だ。そのビルの入り口を探して、中に入って行くと担当者が一人いて、シーツや枕らしきものが1セットづつ別々に袋に入れて置いてある。その1つをもらいながら、毛布はどこにあるか聞くと、担当者も肩をすぼめて、自分も良くわからない、という仕草をする。一緒に探したが、それらしきものは見つからないのであきらめて自分の室に戻り、何時でも眠れるように用意をした。袋の中に、厚手のシートがあったが、どうもこれがブランケットがわりらしい。

[レドモンドさんの家族]

飛飛さんが姉の牛嫻嫻さんを探しに行くと言うので、彼女と一緒に受付に戻った。マイケル・レドモンド九段と嫻嫻さんの間には、二人のお嬢さんがいて、昨日、日本から家族でワシントンDCに到着し、そこで一泊して、今日はYorkのこの会場に着いているはずだ。

受付でレドモンドさんの室を聞くと、キャンパスを横断して、大分歩いていかなければならないようだ。通りがかりの女性が「私が一緒に行ってあげる」と言って私達二人を案内してくれた。雲ひとつない大空の下、運動場のように広いキャンパスを横切って歩いて行くと汗がにじんできた。こんなに遠い所に室をもらったら、毎日歩いて往復するだけでも大変だなあ、と思ってついていくと、綺麗なビルの中に入って行く。2階へ上がって10メーターくらい先まで行って、ここですよ、と案内されたところに、日曜日の午後、教育テレビでお馴染みのレドモンドさんと奥さんの牛嫻嫻さん、そして二人の可愛い女の子がはしゃぎながら室の中をくるくる回っていた。 長女の恵美ちゃんと次女の優美ちゃんだった。

飛飛さんにレドモンドさんの家族を紹介してもらったあと、レドモンドさんが今から会場に行くところだというので、今来たばかりの道を今度は6人で歩いた。嫻嫻さんは紹介された時、少し緊張ぎみだったが歩きながら話すうちに打ち解けてきて、にこにこと笑顔がでるようになった。飛飛さんが小声で、「姉は、全然苦労していないのよ。まったく、世間知らずなの!」と言った。

この日から帰る日まで、毎日、嫻嫻さんの素晴らしい笑顔が見られることになった。 会場に戻り、一人で一階の受付を通って地下に降りて行くと、「Youth Room」とサインが出ている室がある。賑やかな声がするので入って行くと、子供達が10人ほど居て、何人かが碁を打っている。壁際に座っていた、年配のご婦人が近づいてきて、「子供達と碁を打ってやってくれますか?」と、言うので、「勿論、OKですよ!」と答えた。その女性が、レドモンドさんのお母さんだった。お母さんは、ご自分でも碁を打つが、特に子供達に碁を普及するのに熱心で、このように私達一人一人に声を掛けて子供と対局するようお願いしていた。何組か子供の対局を見ていると、その中に一人強そうな子供がいて相手の石を片っ端から取り上げている。(子供の間では、棋力の差が大きくても互先で打っているので、このようなことがよくある)よく見ると、まだ、8、9才だ。近くに居た人に、彼は強いですね、と声を掛けると、あれは家[うち]の子だ、という。

(英語で「家の子」と言う表現があるかどうか分からないが、そのように聞こえた)たまたま、横に来て居た牛島さんが、your ground son?と聞くと、No, my son!と答えたので、びっくりした。 どう見ても孫くらいにしか見えない。牛島さんが小声で、「孫かと思った」と、いった。彼は、Johnと名乗って、後ろに居た奥さんのLorettaさんを紹介してくれたが、うーん、やっぱり、お孫さんかなと思った。この二人とは帰る日まで、朝、一緒にテニスをしたりして、近しくお付き合いさせてもらった。

[オープニング・セレモニー]

 Go Congressで、一週間の大半を過ごすことになる場所は、York大学の正門を入ってすぐのところにある「Iosue Student Union」と、名づけられた建物であった。このビルは入り口を入ったところにホールがあって、突き当りがカフェテリア、そして左手に大きな部屋があり、そこが主対局場になった。そして、ホールから地下に降りると、小さ目のカフェテリアがある。たまたま、夏休みでここは営業していなかったが、主にハンバーガー等のファスト・フードを売っている。

先ほど紹介した、「Youth Room」はこの地下の右手にある。  午後5時から、カフェテリアで初めての食事をした。吉田さん達4名は3時半ごろ到着して、受付をした後、室の割り当てを受け、ベッドメーキングを終わってカフェテリアに来ていた。これで又、全員が一堂に会したことになる。食事中、大会で使用する対局時計の話題がでる。この大会では、持ち時間が2時間で、秒読みが付くことになっている。吉田さんが、受付でもらった大会案内に時計の使用方法が載っていたので、食事の前に時間のセットや、秒読みのセットをして見たが、特に秒読みの使い方が良く分からないという。[実は、私は同じ時計を、10年前にテキサスのオースチンで初めて使ったとき、やはり良く分からなくて、秒読みにならないように打ったものだ。]

 ひとしきり雑談した後、オープニング・セレモニーの行われる会場に向かった。途中、受付の前を通るとかなりの人が受付の順番を待っている。やはり、いろいろなところから来る人が多いので、到着もまちまちで受付も短時間で終わらないのだろう。セレモニー会場では、主催者の一人が椅子に座って、マイクを持って話をしている。セレモニーと言うよりも、大会の説明だ。いろいろ話しているが、ほとんど分からない。そのうちにゲストの紹介になった。ゲストは主にプロ棋士だが、日本をはじめ韓国、中国からもかなりの棋士が来ている。日本からは、レドモンド九段と関西棋院の前田六段が紹介された。全部で10名以上が紹介されていたようだ。Q&Aタイムに対局時計の使用方法を翌日の対局に先立って教えてくれるように頼んでおいた。「説明会」が終わって、主対局場に行くともうかなりの人たちが思い思いに碁を楽しんでいる。

 ちなみに、大会事務局で教えてもらった参加者は以下のとおりであった。

全参加者: 316名(家族・親族・冷やかしを含む)
全Player : 256〃
女性Player:  36〃
18歳未満 :  49〃
日本人   :  40〃
プロ棋士  :  13〃(米国、カナダ、日本、中国、韓国)
参加国数  : 11カ国
参加国名  : 米国、カナダ、日本、中国、韓国、台湾、ドイツ、フランス、スイス、ロシア、ウクライナ

 受付でもらったCongressのscheduleを見ると、一日一局のUS Openの他に、夜は余興のような形で9路盤や13路盤での対局、持ち時間10分の早打ち碁、そしてクレージー碁と称するわけのわからないものや、米国籍を有する高段者が参加するトーナメント戦等が毎日のようにあり、昼間のプロの指導碁と合わせて参加者がこのCongressを満喫できるようにイベントが用意されている。

[対局初日]

 今朝は5時に起きて、家内や友人に手紙を書くつもりで、一昨日Williamsburgで買った絵葉書をもって会場に行った。牛島さんがまだ寝ている為、室の電灯は点けられないので、受付にあったテーブルを借りて書くつもりだった。玄関のドアが一つ開いていて、内部は常夜灯が一つ点いているだけで、薄暗い。テーブルの上は、昨晩の受付のとき使った用紙やペン、マジックインク等が散乱しているし、飲みかけのジュースやコーラ、そして空き缶などがそのままに放置してある。それらを片付けながら、これでは明日の朝もまた来て整理しなければだめだな、と思った。(その後、2,3日続けて朝、掃除しておいたら少しずつ綺麗になっていったので、誰かが気づいて寝る前に片付けるようになったのかも知れない。)この日は、手紙を4通書き上げた。

朝食を済ませて、主対局場に行く。初日の相手は誰だろうか?朝食を食べている途中に、主催者のKeith Arnoldさん(昨日、オープニングで説明をしていた人)から、今日の対局の話があった。「話があった」と云うだけで何を言っているのかよくわからなかった。対局相手は紙を貼り出すから、それを見るように、と云うようなことを言っている。本当は昨日の説明会でもっと詳しい説明があったのかも知れないが...。

対局開始の9時を待っていると、会場の入り口近くの壁に大勢が張り付いている。何をしているのかと思ったら、壁にA4版の白い紙が貼ってあって、それがどうやら組み合わせのようだ。近づいて見ると、「Paring List」とタイトルがあって、小さな活字で名前がびっしり書いてある。アルファベット順に並んでいるので、自分の名前から対局相手と席の番号を確認する。私の席は37番だ。強い順に1番から番号が振ってあるので、私は強い方から74番目と言うことになる。

相手はTang Curtis。いかにも強そうだ。いやいや、まだ打ってもいないのに敵を恐れてはいけない。同じ三段なんだから、普通に打てば簡単には潰されることもなかろう、と気を取り直した。テーブルの上に置いてある番号を見ながら、自分の席に来ると、むくつけき大男がすでに座っている。「あ、これはいかん!Tang Curtisと言うのはこの人か」と思ったが、自分の席番号だから逃げるわけにはいかない。Nice meet you! と挨拶して席についた。

対局開始を待っていたが、5分、10分と過ぎてもまだ会場がざわついている。前に座っていた御仁はいつの間にかいなくなる。20分くらい過ぎた頃、最初の組み合わせはやり直しと言うことになった。もう一度、壁に貼ってある組み合わせ表を見に行くと、やはり37番で、相手はTang Curtisさんだ。幸か不幸か、私の組み合わせは変わっていなかった。席に戻って待っていると、今度は小さな男の子が前の席に座った。なんか変だな、と思って名前を聞くと、Tangだと言う。アメリカにはTangというのが、たんといるなあとおもいながら、Tang Curtis? と聞くと、Yes!と言う。それじゃ、さっきの大男は誰なんだ(!?)

まあ、いいや、これでようやく対局開始になった。打ち始めると、相手は強い。的確に急所に打ってくる。30〜40手打ったところで、こちらが大分遅れている。ああ、これはいかん、と、ふと前を見ると、Tang君の肩越しに中年の男性が立って、心配そうに碁盤をのぞいている。二人の顔は瓜二つだ。きっと、お父さんだろう。 こちらが会釈すると、相手も心配そうな顔つきのまま会釈した。 (こんなふうに書いていると、この紀行文はいつまでも終わらない!)

中盤を過ぎて、相手の大石を取りにいく。もし、これが取れなければこちらの負けだから思いきっていけるので、この部分の闘いだけをみれば気が楽だ。それが功を奏したか、本当に取れてしまった。ちらっと、お父さんの方を見ると、心配そうな顔が、もっと心配そうな顔になって、盤面を見つめている。よし、これで勝った。と、思ったのが悪かったのか、それとも守りに入ったのがまずかったのか、終盤になって相手が仕掛けてきたところを受け損なって、万事休す。大事な一局を落としてしまった。相手と握手して、お父さんに、「息子さんですか?強いですね。」「いくつですか?」と聞いたら、8才という答えが返ってきた。お父さんの満面の笑みとともに...。

それ以来、そのお父さんと会うと、いつも顔いっぱいの笑顔で挨拶してくれる。私もいいことをしたものだ!

他の人の様子をみると、牛島さんは早々と勝って、あっちこっち見て歩いていた。柴田さんも早くに勝ち名乗りを挙げて、意気揚揚としている。私が終わった時点では、我妻さんと井宮さんが闘いの真っ最中で、真剣な顔で打っている。吉田さんと高本さんは高段者なので、別室で対局していて様子がわからない。

今日は最初の予定では午前中1局打って、午後、大リーグのボルチモア・オリオールズの本拠地、カムデン・ヤードに野球を見に行くことにしていた。金曜日から月曜日まで、アナハイム・エンジェルスを迎えての4連戦である。しかし、この囲碁大会のスケジュールを見ると、結構いろいろとプログラムがあって忙しそうだ。それに、最初の日なので、この大会の要領を覚えるためにも、今日午後からもここに居た方がいいと判断して、昼食の時間に他の人に了解を得た。みんなもそう思っていたようだ。

他のメンバーは同じテーブルで昼食ととっていたが、私一人だけひとつ横のテーブルで食事をしていると、四十歳前半の中国系の男性が私に一緒に食事をしていいかといって、隣に座った。Sure! といって、話を始めたが、そのエネルギッシュなこと。ほとんどひと時もおしゃべりが止まらない。興が乗ってくると私の肩をたたいて大きな声でしゃべるので、時々、ご飯粒が飛んできた。私も負けじと大きな声で応対したが、彼にはかなわなかった。彼は‘張仁義’さんといって、台湾の医師でボルチモアの病院で専門の「骨」の勉強をしているそうだ。(名刺には「骨科」とあったが、日本では何科にあたるのだろう。)子供が碁を打つので、家族でこの大会に来ていた。

その内に、奥さんも席に来て食事を始めたが、いつもにこにことしていて聞かれたことしかしゃべらない、旦那とはきわだって対照的だ。  昼食を終わって、受付のあったロビーに行くと、張さんの姪という人に紹介された。20代中頃で、感じのいい清楚な美人だ。やはり台湾から来て、ボルチモア近辺の大学院に在学中という。

日本語を上手に話すので、張さんとの会話で疲れた頭を冷やすのにちょうど適当だった。彼女は碁を打たないが、張さん家族がこの会場に集まっているので、大会の様子を見に来たようだ。碁を教えましょうか?と聞くと、目を輝かせて(た、ように見えた)、‘是非、お願いします’という。これで、今日の午後は充実した時間が過ごせそうだ。

[大会2日]

 今朝、Lorettaさんに会ったら、手紙を2通書きましたよ、と私に告げた。なんのことかと思ったら、昨日、彼女との雑談の中で、朝早く起きて妻や友人宛に手紙を4通書いた話をしたので、それで彼女も手紙を書いたのだった。Hyodo さんに教えられた、といって喜んでいた。また、良い事をしたのかも...。

 今日の組み合わせは順調にいって、9時から対局が始まった。相手はドイツ人のHorstさんだ。65歳くらいで、この大会にはすでに15回参加しているという。今大会が17回目だからほぼ皆勤賞ものだ。きっと、毎年参加するのを楽しみにしているのだろう。ドイツの北西、ライン川の近くに住んでいるそうだが、良い碁敵がいるだろうか?今でこそinternetで簡単に碁が打てるが、ドイツの地方都市では碁を打つ機会は少ないかもしれない。それにしてもすごい早打ちだ。私も早い方だが、とてもかなわない。あっという間に終わってしまった。(私の勝ちだったが...。)

消費時間は私が17分、彼が10数分程度だった。この大会に参加するにあたって、一番恐れていたことだった。まだ9時半で、周りを見るとみんな真剣に打っている。牛島さんも呻吟している。しかたがないので、コーヒーを飲みにいって、それからあっちこっち人の碁を見ながら時間を潰した。広い会場の出入り口に近いあたりで、子供達が碁を打っていたので、レドモンドのお母さんに言われたことを思い出して、碁を教えることにした。ヒスパニック系の子に棋力を聞くと、30級という。井目風鈴で18子置かせて打つことにした。ほとんど、碁になっていないが、そんなことはお構いなしだ。私が相手の黒石を囲んで打ち上げると、その子はGood job! といって誉めてくれる。私もThank you! と答えたりして、遊んでいた。

今日は午後から大リーグ観戦だ。我妻さんがそのまま会場に残って、碁に専念するという。午後からプロ棋士の指導碁が受けられるようになっている。彼は昨日も指導碁を受けたのだが、今日も申込用紙に名前を記入したそうだ。もし、希望者がいなければ何回でもOKだという。私が車を運転して、隣に牛島さん、後部座席に高本さんが乗り込んだ。運転に自信はないが、我妻さんがいなければ仕方がない。何とかなるだろうと思って、ボルチモアに向かった。もう一台には吉田さんと井宮さん、柴田さんが乗っている。私は後をつけることにしたが、すぐにはぐれてしまった。前の車のスピードが速すぎた。ボルチモアの町に入ったところで、またもや道に迷ってしまった。町に入る前には、カムデン・ヤードの案内があったのに、ダウンタウンに入ったとたんに分からなくなった。少し先の空に飛行船が浮かんでいる。そういえば、昨年、ヤンキースタジアムへ行ったとき、同じような飛行船が球場の上に浮かんで、宣伝のようなことをしていた。

「あの飛行船の下が、きっと球場ですから、あれを目指して行きましょう。」といって追跡を始めた。 出発した時間が遅かったこともあるが、試合の開始時間から2時間くらいたっている。球場につく頃には試合も終わってしまうのでは、と心配になりだした。飛行船にはすぐ追いついたが、どうも様子が変だ。近くには球場らしきものはない。それに、飛行船がどんどん下に降りてきて、すぐ目の前にある。これはまた勘違いをしてしまった! 又、来た道を引返して、何回も人に聞いてようやく球場にたどり着いた。後から、気がついたのだが、あの飛行船は仕事を終えて、つまり、試合の最初から1時間か2時間球場の上空を漂ってから、駐船場(?) に戻ってきたのではないかと思う。その時は、そこまでは気が付かなかったが...。

球場の駐車場についたときは、午後4時前で、球場から大勢の人が出てくるのが見えた。もしかするともう試合は終わりに近づいて、帰って来るのかと思ったので親子連れに聞いたところ、まだ7イニングスだという。それなら‘大丈夫!’と思って入り口に向かうと、チケット売り場が閉まっていて切符が買えない。高本さんが入り口の「モギリ嬢」と交渉して、無料で入れてもらった。道に迷ったが、そのおかげで‘ただ’で野球がみられるとは有難い。

[大会3日]

 今朝は、JohnとLoretta組と牛島さんと私とでテニスをした。昨日、夕食のあと二人に会った時、テニスをしようということになり、私は約10年振りなので自信がなかったが、牛島さんにも誘われてテニスをすることにした。テニスコートは宿泊している寮の横にあり、ナイター設備もある。ナイターはクオーター一枚、つまり、25セント(約30円)をコイン・ボックスに入れると自動的に電灯が点くようになっている。非常に便利で、安くできるのだ。

ここでも、日本との社会的インフラの違いを感じさせられた。朝食の関係で7時から30分程度だったが、いい汗をかいて気持ちが良かった。 テニスのおかげで今日もいい碁が打てた。今日の相手は、David Fotlandというアメリカ人でAGAの会員番号が7番であった。7番というとAGA創立以来の会員のようだが年齢はまだ50代前半だ。会員番号の話をしたら、AGAの永久会員だということだった。ちなみに、今年初めて会員登録した人たちが、11,000番台。私が約10年前にAustin, Texiasで会員になったと き6,600番台だったから、それ以来、5,000人ほど増えたことになる。幽霊会員も多数いると思うが、それにしても随分大きな組織だ。

ところで碁の内容だが、彼も結構早打ちで、それにつられて打っていたら15分くらいで相手が投げてしまった。歳をとると、集中できなくなって読みも適当にやめてしまう。若いときには勝負どころではじっくり考えていたと思うが、それが出来なくなる。もっとも、勝負どころがどこかわからない、ということがあるかもしれない。気が付いたら大勢が決まっていた、という具合だ。早く終わったので席を立って通路を歩いて行くと、昨日の相手、Horstさんが来た。どうでしたか?と聞くと、勝った、という。それも5分で終わったそうだ。ドイツ生まれのチョウ早打ちマックだった。 ここまでの戦績は以下のとおりで16勝8敗、初めての参加にしてはまあまあの成績だ。ただ、崇明くんが3連敗で少々元気がないのが残念だが、お父さんが3連勝で頑張っている。(ランキング順・敬称略)

吉田 嶽彦  1勝2敗
高本 正    2勝1敗
我妻 正明  3勝
兵藤 進   2勝1敗
柴田 啓介  2勝1敗
牛島 五郎  2勝1敗
井宮 照雄  1勝2敗
我妻 崇明  3敗

午後、ランカスターのアーミッシュ村に行く。アーミッシュの人々は今でも現代文明を受け入れないで、電気の変わりにランプや、車を使わずに馬車を使用している。10数年前、ハリソン・フォード主演の「ジョン・ブック−目撃者」という映画で有名になった。ロケもここで行われたそうだ。ランカスターは一面丘のような平野が続いていてトーモロコシ畑になっている。

緑が多くアメリカの裕福な側面を見せている。アーミッシュの人々は昔、ここで主にタバコを作って生計立てていた、と若い説明員がアーミッシュ独特(?) の発音で説明していた。現在は、ニュー・アーミッシュという若い人が増えて、昔ながらの生活から少しずつ現代文明を受け入れようという傾向がでてきている。

村には観光客用の施設があって、アーミッシュの典型的な衣装や家具・台所用品・農機具を展示している。敷地内では厩舎や小屋を作って、馬や豚などの家畜を飼ったり、 昔の小学校を移築して、村の生活様式が短時間でわかるようになっている。 ヨークへの帰り道に、ランカスターの駅に寄った。由緒ありそうな重厚な建築で、手入れも行き届いているようだった。列車は一日何本しか出ていないようだが、その数少ない汽車が見られないかと時刻表を確認したところ、運良く数分後に発車になっている。みんなでプラットフォームに見に行ったが10分待ってもやってこない。不思議に思って駅員さんに聞いたら、週末か日曜日に運行する便だった。アメリカの時刻表の見方も勉強しなくちゃ。

[対局なし]

 今日は大会の中日で対局はお休みだ。朝から、ワシントンDCに観光に行く。飛飛さんが、ジョージタウン大学に留学の下調べに行きたいということで同行することになった。我妻さん親子は相変わらず碁に専念するといって、観光には見向きもしない。プロの指導碁を受けるといって楽しそうな顔をしていた。私の運転する車には牛島さん、高本さん、そして飛飛さんの4人が乗った。運転も大分馴れてきたが、それでも大都会を走るのは神経を使う。DCに近づくにつれ車が増えてきて、高本さんがバックシート・ドライバーならぬ見事なナビゲーターで、難なくダウンタウンにたどり着いた。

ジョージタウン大学はワシントンのほぼ中央、ホワイト・ハウスの北西約2Km、ポトマック河畔にある静かな町の中心になっている。正門を探すうちに、守衛のいる門があったので、守衛さんに尋ねると、そこは付属の女子高であった。大学の正門は別の所のようで、道案内にその高校に留学している日本人を呼んでくれることになった。待っている間に、牛島さんと高本さんがトイレを借りようと、門の横の立派な構えの建物の中に入っていった。

私も!と思ってドアを入りかけると、後ろの方から中年の女性が慌て駈けてきて、私の横を通り抜けながら、「Usually, not allowed!!」と大きな声で二人の後を追っていった。どうなるかと思ったが、もう二人はトイレの前まで来ている。その女性は「モウ、ショウガナイワネ!」といったかどうか、はるばる日本からやって来た、というので特別に利用させてくれた。中にはいると、大きな鏡があり、同時に二人しか利用できないのに四畳半もありそうな立派な厠であった。記念に鏡に向かって3人の記念写真を撮った。(え、どうして3人しかいないのに、3人の写真がとれたか、だって?)この高校は大学のプレップ・スクール(予備校)になっていて、あのヒラリー・クリントンさんもここで学んだということであった。

 大学の正門はここから車で1〜2分の所にあった。正面から見る大学はゴシック風の重厚な石造りの建物で、100年近くたっていそうだ。もう正午に近かったので、大学のカフェテリアで食事をし、構内をぶらぶら歩きながら車の所に戻って、飛飛さんと別れた。彼女は留学情報を集めるために事務局に行くということであった。日本人も最近は海外で勉強したり、研究や仕事を求めて祖国を離れるケースが増えているが、中国人は華僑といわれるように何世紀も前からそのように海を渡って諸外国で活躍している。何処へ行っても物怖じしないし、これから大学院でMBAをとりたいという前向きな姿勢の彼女を見ていると、やはり中国人の子孫だなあと思う。

 ワシントンDCの観光といえば、たくさんあるが私達はスミソニアン博物館に行った。あまり時間がなかったので自然歴史博物館へ行き、そこで五時頃まで自由に見学して、遅くならないうちに宿舎に戻ることにした。Yorkに着いたのが7時で、それから街のレストランを探して、久しぶりにちゃんとした食事をした。といっても、牛島さん高本さん私とで肉料理、サラダ、ソーセージのようなものを一品づつ注文して、それぞれ三人で分けて食べたのであって、別にフルコースをオーダーしたわけではないが...。そうそう、久しぶりにワインを飲んだのが特筆される。

 大学に戻ると、「クレイジー碁」というのをやっていた。誰が考えたか知らないけれど、六角形の碁盤を使ったり、さらには3D(立体形)の碁盤を使用して、通常の19x19路の平面な盤でさえ複雑なのにさらに複雑にしている。ええかげん頭が混乱してきたので早めに寝てしまった。

[大会4日目]

今日の相手はMr. Smallといって、初日の9路盤、翌日の13路盤、さらに3日目にライトニング碁(つまり、早碁)で対局していて通算4局目になる。彼は相手が私とわかるとOh! One moreといって大仰に驚いていた。前の3局は成績がよくなかったが、この碁はどういうわけか調子がよくて運良く勝ってしまった。これで3勝一敗だ。我妻さんが今日も勝って4連勝。連日のプロの指導碁が効いているようだ。指導碁といえば、今日、私も初めて韓国の女流プロに打ってもらった。まだ、20代中頃の感じのいいお嬢さんで、初段だった。5子局でお願いしたが、韓国ではまだ儒教精神が広く残っているようで、私に花をもたせてくれた。吉田さんが今日勝って対戦成績を5分に戻し、高本さん、柴田さん、牛島さんらが順調に勝ち星をあげている。

吉田 嶽彦  2勝2敗
高本 正    3勝1敗
我妻 正明  4勝
兵藤 進   3勝1敗
柴田 啓介  3勝1敗
牛島 五郎  3勝1敗
井宮 照雄  1勝3敗
我妻 崇明  4敗

ここ数日、高本さんの左眼が充血して、今日は特にひどくなっている。このままほっておいて、さらに悪くなってはいけないので病院に行くことにした。病院はこの大学の近くに‘Memorial Hospital'という総合病院があって、毎日、観光に行くとき横を通っているので、そこで診てもらうことにした。病院に行って、一般受付のようなところで症状をいい眼科にかかりたい旨を告げると、別のビルのemergency(日本でいうところの救急病院?)へ行くように言われた。指示された所へ行くと、別に受付があるわけではなく、看護士らしい人と私服の女性がいて、他の患者を診ている。診ているといっても聴診器を首からぶら下げて血圧を測ったり、話をしているのみだ。傍らで女性がやはり話しながらパソコンに何やら打ち込んでいる。どうもこれが受付で、簡単な問診をしながら、つまり脈拍や血圧を測りながら患者の容体を、カルテに入力しているのだ。

高本さんも呼ばれて、看護士からいろいろ聞かれていた。 そうこうする内に、もう一人女性がきて支払はどうするかと聞くので、現在、旅行中であり海外旅行傷害保険に入っている旨を答えると、それでは保険会社に連絡するからといって、高本さんの持参した障害保険証を持って姿を消した。しばらく待っていると件の女性が姿をあらわして、「保険会社と話がすんだ。診察料はすべて保険でまかなえるから心配ない」と、いう。アメリカの医療は結構高いと聞いていたし、治療費は一旦個人が負担して帰国してから保険金を保険会社に請求するのかと思っていたが、このように病院側ですべてやってくれるとは少々驚きだったが、また、一方で有り難いものだと思った。さらに少し待っていると、今度は看護婦らしき女性が来て高本さんを診察室のある方に連れて行く。私も後をつけて行く。廊下を歩きながら、看護婦が高本さんに英語が読めるかと聞いてきた。彼が、「a little!」と答えると、OKというゼスチャー をして、床に白い線があるところに彼を立たせて、数メートル先の壁にある英語を読むように指示をした。何のことはない、視力検査用のアルファベットが読めるかと、高本さんに聞いたのだった。

視力検査が終わると、診察室とおぼしき室に案内されて、さらにかなりの間、待たされることなった。この室は、日本でいうところの眼科の診察室とは全く違って、何もない。ただ、診察用のベッドが一つと何に使うか分からないような機械が一つあるだけだ。その機械らしきものも、待っている間に助手のような人がきて持っていってしまった。手持ち無沙汰だったので、廊下に出てあっちこっち見ていると、隣の室に「E・N・T」と書いたプレートが貼ってある。高本さんに「あれは何でしょうね?」と尋ねたがやはりわからない。たまたま近くにいた女性に聞いたら、それは‘Ear・Nose・Throat’だという。何の事は無い、「耳鼻咽喉科」のことだった。

そうこうする内に、私は午後4時に人と会う約束を思い出して、高本さんに用事が済んだらまた迎えに来ると伝えて、病院を出た。外にでるとどしゃぶりの雨だった。この旅の初めにボルチモアに着いた時、牛島さんが外出の途中で雨にあってびしょぬれになった、と聞いて以来の雨だった。日本で言うところの「夕立」で1時間後にはきれいに上がって、すがすがしい天気が戻ってきた。用事を済ませて病院に戻ると、高本さんの診察はもう終わっていて、特に心配することはないようであった。高本さんに診察の様子を尋ねると、お医者さんから目以外のことをいろいろと問診されて説明が大変だった、と聞かされた。お医者さんは「嘔吐・吐き気」について患者が言葉が分からなければ手振り身振りで「吐く」真似をしたり、患者も、例えば、「普段から血糖値が高い」という説明をするのは、確かに大変だと思う。

結局、目の充血は毛細血管が切れたようで、数日で治るからと言われ、目薬(Eye Drop)を処方された。他に原因が無くて、やれやれだった。

 実は午後4時から人に会う約束をしていたのは、KGS(The Kiseido Go Server)のInternet碁ソフトを開発している、Bill Shubertからそのソフトの説明を受ける予定にしていたためであった。事情を話して、夜7時から説明してもらうことにしていたので、牛島さんと高本さんを誘って彼の室に行った。Billの室は我々の宿泊しているビルからは少し離れていて、内部は少し綺麗な感じだった。どういう訳か、そのビルの彼の室だけ回線がつながっていてInternetが利用できる。彼は早速、KGSのホームページから対局用のソフトをdown loadして、実際に対局して見たり、その棋譜をrepeatしたりいろいろな機能を説明してくれた。かなりのすぐれものだ。(高本さんが帰国後、このソフトでPaulと対局を始めたと、聞かされた)

[大会5日目]

今日の相手は、Chicagoから来た、中学生のJin Chen君だ。宿泊が同じフロアーなので朝晩よく顔を会わせることが多く、何回か簡単な会話をしたこともある。確か、数年前に台湾から米国へ移民して来たそうで、今では流暢に英語を話す。彼は昨日まで3勝1敗で、私と同率だ。

この大会も、勝ち進んでいくと強い相手と組み合わせるのでだんだん厳しくなってくる。私が黒で打ち始めたが、相手は急所急所をついてくる。中盤に入る頃には、地合いではこちらが明らかに劣勢になってきた。これではいかんとばかりに、相手の弱い石を見つけて攻めかかるが、なかなか土俵を割らない。それでも、攻めたおかげで大分形勢がよくなってきた。時間も充分余っているし、もう少し頑張れば何とかなりそうな感じがしてきた。この大会の最初の頃、長い持ち時間を持て余していたが、ここにきてその長い時間を有効に使えるようになってきた。やはり習うより慣れろだ。碁のほうは形勢が逆転してきて、時々、Chen君が呻吟するようになった分、こちらは大分ゆとりが出てきた。周りを見渡すとみんな真剣に碁盤に向かっている。大会の終盤になってやはり自分の成績が気になりだしたのかもしれない。終局して並べてみると、黒が10目ほどよくなっていた。これで4勝1敗になった。崇明くんが来たので、「どうだった?」と聞くと、「勝ったよ!」と、嬉しそうな返事が返ってきた。ようやく片目が開いて、よかった、よかった。その代わり、お父さんの我妻さんが、最後まで頑張っていたが、時間切れで負けてしまった。

吉田 嶽彦  2勝3敗
高本 正    3勝2敗
我妻 正明  4勝1敗
兵藤 進   4勝1敗
柴田 啓介  4勝1敗
牛島 五郎  3勝2敗
井宮 照雄  2勝3敗
我妻 崇明  1勝4敗

午後の観光は、南北戦争の古戦場ゲティスバーグへ行くことにしていた。この地は1861年から数年続いた南北戦争の激戦地で、この戦闘で北軍が勝利したことにより南軍側は徐々に後退していくことになった。日本でいう「関が原」のようなところだ。現在は、両軍が対峙した場所や、実際に戦闘があった跡や、後に、リンカーン大統領がここで「人民の、人民による、人民のための政治を...。」と演説した場所に彫刻や石碑などを建てて記念とし、これらを観光バスで見学することができる。この辺りの大地は多少の起伏があり、大砲や兵隊の間を縫ってバスで回ると、音響効果も相俟って100年前にタイム・スリップすることになる。

 夕食は現地の大衆レストランのようなところで各人思い思いに注文して好きなものを食べた。高本さんが「マヨネーズ」を持ってきてもらいたくて、「マヨネーズ プリーズ!」と、ウエートレスに注文するが、何回言っても一向に通じない。そこで私が「メヨネーズ プリーズ!」というとウエートレスはにっこり微笑んで、すぐに厨房に引っ込んで行った。高本さんが「兵藤さん、今、なんて言ったの?」と、聞くので、「いえ、マヨネーズを注文しただけですよ。」と、笑顔で答えた。

[大会最終日]

朝食をすませて、対局場で時間のくるのを待っていると、大会一日目に相手をした、Curtis君のお父さんが、私のそばに来て、「今日、勝てば優勝の可能性がありますよ。悪くても3位までには入りますよ。」と声をかけてくれた。お父さんとは、今日まで一週間、会えば会釈を交わしたり、簡単な挨拶をすることはあったが、このように私の成績を見ていてくれたとは思わなかったので一瞬びっくりした。例によって、壁に貼られた対局表を見に行くとYue Zhangと書いてある。成績をみると4勝1敗だ。相手もこの一局に勝てば入賞できるだろう。指定されたテーブルに戻ると、くだんのZhang(張)氏は、もう座っていた。中国系の偉丈夫といったところだ。挨拶をして、どちらから来たか尋ねると、テキサスのヒューストンからという。10年前にテキサスのオースチンで地方大会に参加した、というと、彼もオースチンの大会には時々参加しているとのことだ った。

その時も、参加者の中には、ヒューストンや或いはダラスから数百キロの道のりをものともせず、ハイウエーを飛ばしてやってくるのがいたが、今でもそうなのだろう。碁の結果はいわないほうがいいようだ。打っても、打っても良くならない、つまり手合い違いの様相を呈して、完敗してしまった。

ところで、我妻さんも三段の部で優勝あるいは入賞の可能性がある。彼は初日から勝ち進んでいたが、昨日、負けてしまった。それでも、今日勝てばランクの関係でいいところへいくはずだ。彼を見ると、そんなことは知ってか知らずか、盤上に集中している。毎日、プロ棋士の指導碁を受けて、この数日の間に昔の実力を取り戻したのではと思われる。崇明くんがこちらへ、「今日もまた勝ったよ」と、報告にきた。これで2連勝だ。お父さんが勝てば、万々歳だが...。

吉田 嶽彦  3勝3敗
高本 正    3勝3敗
我妻 正明  4勝2敗
兵藤 進   4勝2敗
柴田 啓介  5勝1敗
牛島 五郎  3勝3敗
井宮 照雄  3勝3敗
我妻 崇明  2勝4敗

最終成績は上のように、柴田さんが5勝1敗で初段の部で2位に入り、我々仲間ではただ一人表彰されることになった。全体的にもイーブンか少し良いくらいで、日本でのレベルを2段落としてエントリーした結果だった。

 

[お別れ]

 最終日の夜、表彰式とお別れディナー・パーティーが開催された。1週間前の土曜日、オープニング・セレモニーでは壇上で一人、半ズボン姿で大会要領を説明していたAGAボルチモア支部の部長で、この大会の実行委員長のKeith Arnoldさんが今は正装して最後の司会をつとめている。

AGA会長のRoy Laird氏が日本IBMから我々8名が特別参加したことを紹介してくれた。その他にもロシアから6名が参加し、ドイツ・フランス・スイス・ウクライナ等のヨーロッパ、アジアから中国・台湾・韓国、そしてわが日本から40名が参加してこの大会を盛り上げた。パーティーは各イベントの優秀者を表彰し、最後に歌を唄ってお開きとなった。これぞ、一大お祭りだ!!!

   

      − 完 −