ヨーロッパ旅行記


     2001 ヨーロッパ旅行記 (6/22/2001〜7/25/2001)
                                   嘉瀬 敏   2001年8月

*** フィヨールドとスターヴ・ヒルケ(木造教会) ***

 最初の訪問国ノルウェーでは、オスロ観光で1日過ごした後、フィヨールド観光の定番「ソグネ・フィヨールド」へ向かう。列車でミュルダルまで4時間半。周辺の山々にまだ残っている雪を眺めながら、登山電車でフロムまで下る。途中、電車はヒョースの滝で1時停車。雪解け水を集めて、ほとばしるように流れる雄大な滝の水しぶきを浴びな がらカメラのシャッターを切る。しばらくして、滝の上から妙なる歌声が響いてくる。途中の岩場に立った歌姫が滝の音に合わせて歌う天使のような歌声である。心憎いばかりの演出であった。

 フロムからフィヨールドをゆったりとフェリーで抜けてグドヴァンゲンへ。船上で隣席のカナダ人ご夫妻は6カ月の海外旅行中とのこと。我々も今回の旅行は5週間で長いと思っていたのに、上には上がいるものだと話がはずんだ。

このご夫妻とはその後のバスも列車も一緒で、ベルゲンでのホテルも一緒であった。  ベルゲン ブリッゲン地区には世界遺産の建物が並んでいる。その中のレストラン・ユニコーン(一角獣)で昼食をとる。世界遺産の中でのスモーガスボードを美味しく食べながら、その昔のヴァイキングに思いをめぐらせた。

 ベルゲンからソンダルへの高速船は島と島との間の狭い水路を抜け、時には船の両弦が岸にぶつかるのではないかとハラハラドキドキ、スリルに満ちた船旅であった、この船は通常のパッケージツアーでは訪れないソンダル行きだ ったので、これも世界遺産のスターヴ・ヒルケ(木造教会)を訪ねることができた。教会建築は石造りとばかり思っていたのに、ノルウエーでは木造の教会が作られ、今でもあちこちに残っている。周辺の景色との調和が良かった。

 そのあとゴルまで3時間のバス旅は、まだ雪の残る峠を越え、フィヨールドの澄んだ水と、白樺の新緑の間を縫う、さわやかな山道のドライブであった。ノルウエーは緑と水の輝くように美しい国であった。

パニック 下調べを十分にしたようでも個人旅行では思わぬことでパニックに陥ることがある。今回も連日のように大小のパニックを経験した。ノルウエーでの3大パニックは: 世界遺産の木造教会を訪ねたウルネスは、タクシーはなく英語も通じない辺鄙なところで、どうやって帰途のタクシーを呼べば良いのか困っていた。たまたま同じフェリーにアメリカ人団体客のバスがあり、頼んでホテルの近くまで便乗させてもらった。「地獄で仏ならぬバス」であった。

ゴルのバス停は鉄道駅ゴルから遠く離れていることを知らなかった。バスの運転手さんにバス停までタクシー を呼んで貰った。タクシーが走り出してすぐ土砂降りの夕立に見舞われた。くわばら、くわばら。 バス停は鉄道駅の傍という日本の常識はノルウエーでは通用しなかった。

しかし、今回最大のピンチはオランダ・アムステルダム行きの搭乗を待つときのオスロ空港で起こった。チェック・インで搭乗券に記されたゲートで出発便を待った。予定時刻を大分遅れて開いたゲートから入ろうと、搭乗券 を見せたら、我々の便の搭乗ゲートは変更されているとのこと。既に出発時間の間際である。変更されたゲートへと 走りに走った。走り着いたときは出発予定5分前。ゲートは閉ざされていたがそれを開けてもらって飛び乗るやすぐに出発。もし乗り遅れたら翌日まで便はなく、それ以降の予定が大幅に狂ってしまうところだった。飛行機が飛び上 がっても未だ胸がドキドキ。

 その後、気付いたが、どの空港でも出発時間間際のゲート変更はしばしばあるらしい。ゲート・チェンジのアナウ ンスが度々行われていた。これは列車でも同じで、しばしば発着ホームの変更がアナウンスされていた。

ノルウエーでの芸術の香り

・グリークの家: ベルゲン郊外のフィヨールドを見下ろす丘の上。彼が使っていたピアノの前に立つと私にも曲想が浮かぶ感じ。

・フログネル公園:人の一生の彫像群には圧倒された。

・国立美術館:  ムンクのみならず印象派の絵画も多く展示されていたのに感激。

・ムンク美術館: 「叫び」の特別企画展開催中。沢山の習作とパロディーも見られたのは幸運。

*** コンセルトヘボー & ゴッホ ***

 オランダでは定番の風車村見学、運河クルーズも楽しみ、ハイネケン・ビール博物館では飲み過ぎたビールに大分 酔ったりもしたが、一番のお目当ては ゴッホの絵と、コンセルトヘボーの音楽会であった。

コンセルトヘボー

 世界一美しい音響を持つといわれているコンセルトヘボーに一度は入ってみたかった。ジーパンをスーツに着替え少しおしゃれをして、憧れのコンセルトヘボーへ向かった。旅行の途中なので曲目に合わせて日を選ぶことはできな かったが、アムステルダム滞在の夜に合わせて申し込んだら、幸運にも月に2回のコンセルトヘボー・オーケストラによる定期演奏会の日であった。

 曲目「イワン雷帝」 朗読、合唱付で、オーケストラ席後方の廊下には教会の鐘も置かれ、通常のオーケストラとは可成り違った感じであった。朗読は、ロシア語をオランダ語に翻訳をしたもの。勿論聴いても意味は何も分からな い。にも拘わらず韻を踏んだ朗読には思わず引き込まれた。心地よい強めの残響がある音楽堂に これが世界一といわれる所以かと聞き惚れる。オーケストラはもとより合唱も独唱も朗読も実に盛り上がりのある演奏を聴いた。

クライマックスでの鐘の音も数トンはあるだろう本物ならではの迫力があった。  すっかり興奮して戻ったB&Bであけたワインの味は、また、格別であった。

  (注)B&B=Bed & Brakfast

朝食付き貸し部屋。子供が成人して家を出て、空き部屋が出来たときそれを貸す所が多い。親切な老人夫婦、未亡人などの経営が一般で、日本の民宿と違い、せいぜい一部屋か二部屋で、家族と同じに扱ってくれるのが嬉しい。

風呂・トイレが別のこともあるが、そこの家族のを使うこともある。宿賃は朝食付き二人分で通常 \3,000 〜 \5,000 くらい。ホテルに泊まるよりずっと安く、外国の方々と直接交流できる。

ゴッホ美術館とクローラー・ミューラー美術館

 アムステルダムのゴッホ美術館は改装されて、展示も年代別に整理され、イヤホーンによる説明も懇切丁寧であった。この説明は翌日訪問した、アーネムのクローラー・ミューラー美術館でのゴッホの鑑賞にも大いに役立った。後者の方に好きな絵が多かった。 日本人はどうしてこうもゴッホに夢中になるのだろう?

 「日本人は」などと三人 称で言うべきではないだろう。私にとって、ゴッホは好きな画家のひとりなのだ。  帰路に寄ったユトレヒトは、米国のサンアントニオに似た佇まいで運河の美しい町であった。(いや、多分逆だな 。サンアントニオがユトレヒトの真似をして運河と散歩道を造ったのだろう。)

B&B

 アムステルダムで泊まったB&Bは中央駅近く、運河に面した昔の豪商の館であった。寝室、居間、食堂の3室に シャワー、トイレ付き。嬉しいことに声を掛けると寄ってきて甘える猫もいた。朝食も美味しく、毎朝異なったハム 、チーズを出してくれる気遣いにも感謝した。料金は朝食付二人で1泊約¥7,500。 B&Bとしては高料金だが、 それ以上の快適さがあった。

*** オメガング ***

 ベルギーではブリュッセルに入る前に、アントワープ、ゲント、ブルージュに寄ったが、特にゲントが気に入った 。

ブルージュでは美味しいムール貝を大きなお鍋いっぱい食べた。それに何といってもビールの旨い国だ。

 ブルージュのB&Bは朝食付二人で1泊約¥3,700で、部屋は広くなかったが清潔で、洗濯機を使えて広い中庭に 沢山の洗濯物を干した。

 ブリュッセルでのお目当ては「オメガング」であった。その開催日に合わせて当初たてた日程も変更した。オメガ ングはいわば西洋版時代祭・大名行列で、今年は7/3夜と7/5夜に開かれた。  世界一美しいといわれる広場グラン・プラスいっぱいにしつらえられた会場に、まず、王様の入場、続いて着飾っ た貴族たちが続々と入場する。王様、貴族が正面ひな壇に並ぶのを待って、ナイト、兵士、ギルド、市民などの行進 が繰り広げられる。

中世の衣装が皆華やかで美しい。やがて、中世の民衆芸能、人間ピラミッド、フォークダンス、 紋章旗を使っての群舞などが次々と続く。道化が客席の中にまで入ってきて観客を笑わせる。

圧巻は馬に乗ったナイ トたちの勢ぞろいと御前試合、竹馬乗り合戦。竹馬の高さも半端ではない。5メートル以上はあろうか。おどけてわざと落ちる真似をするのに会場がドットどよめく。仮装行列の後、王様・貴族が退場し、手筒花火が打ち上げられる と、最後には会場いっぱいに出演者全員が入り乱れて踊る。観客も会場に降りて一緒に踊り出す。伝統に支えられた 楽しいショーであった。 勿論、その夜もベルギービールとワイン。

 翌日は渓谷の美しいルクセンブルクの散策。華やかに彩られた等身大の牛の彫像が街のいたるところに置かれてい た。インフォーメーション・センターでそのわけを聞くつもりでいたのに散歩疲れもあったのか聞き忘れてしまった 。

シャンパン・ビール?

 後日のことになるが、シャモニに着いた夜スーパーでシャンパンを買った。シャンパンは美味しいが高価なものと 思っていたのにそれはとても安価。銘柄はともかくシャモニ到着のお祝いだからとボトルの栓を抜いた。ポンと気持 ちの良い音がしたが、グラスに注いだらどうも変だ。泡が出る。ラベルを読んだら Belgisch Bier −−それはベルギーのビールであった。瓶の形がシャンパンと同じで栓も針金止めなので、グラスに注いで細かい泡 が立つまで気づかなかった。ベルギーでは何時もレストランで大きなグラスで出されていたので、まさかシャンパン と同じ瓶とは思わなかった。 それにしてもベルギーのビールは旨い。

*** アレーナ オペラ ***

 イタリア ヴェローナでの3夜連続 野外オペラ観劇を予定したのが今回の旅行計画の始まりだった。2年前、初めてのアレーナオペラには感激した。ロー マ時代に建造されたアレーナ(円形競技場)での野外オペラは2万人を収容して夏の夜に上演される。毎晩演目を代 えて週末に3夜連続で上演されるのが嬉しい。ロメオとジュリエットで有名なこの町は、この時期オペラを目当てに 集まった人々でふくれあがる。ホテルの料金も丁度2倍になる。

 今年は初日だけ指定席をとった。一番安い指定席だったが、早めに予約をしたのでロイヤルボックスのすぐ横であ った。今年はヴェルディ100年記念で、演目はすべて ヴェルディ もの。  初日は「ナブッコ」。  オペラはもちろんイタリア語。日本で事前に録画したビデオでストーリーの勉強をして いった。

「ナブッコ」のステージは予想以上の素晴らしさであった。特に第3幕第2場冒頭の合唱 「ゆけ、わが思いよ、金色の翼にのって」 は照明を巧みに使った演出効果も加わり素晴らしかった。合唱が終わるや、アレーナ全体が拍手に包まれ何時までも 鳴りやまない。やがてどこからかアンコールを求める声。それに全員が拍手で賛成する。驚いたことにまだ第3幕の 途中なのに、その合唱部分を再度繰り返した。これまで日本の音楽会でアンコールといえば、プログラムを終わらせ てから別の小曲をやるオマケみたいなものとばかり思っていたのに、同じ合唱部分をオペラの途中で繰り返した。

こ れが本当のアンコールなんだなぁと思いながら、喜びもダブルで感じた。  ホテルに戻っても興奮が覚めない。ブリュッセル空港で買ってきたレミーマルタンを飲みながら、妻と「よかった ね。素晴らしかったね。」を繰り返した。

 2晩目は「トロヴァトーレ」。 階段自由席なので9時開演なのに7時から並んだ。7時半に入場開始で、まあま あの席に座れた。指定席の椅子よりローマ時代からの石段の方が座り良い。すました態度の指定席より、なんといっ ても庶民の席だ。開演を待つ間に、はじめ数人の若者達から始まったウエーブがだんだんに輪を広げ、アレーナの階 段席全体を何回も何回も回り出した。観劇は天井桟敷に限る。 舞台装置はマジンガーZのような巨大人形も立てた 豪華なもの。オペラとはこうも素晴らしいものか! ホテルに戻って今夜はワイン。

 3晩目は「アイーダ」。  前夜の経験から6時に並んだので先頭から20人目位。開門を待つ間、我々より前に並 んでいた高校生たちがコーラスを始めた。学校で合唱サークルにでも属しているのであろうか。ダイナミックで美し いハーモニーだ。開門までの1時間半はそのお陰で退屈しなかった。行列の人たちの拍手に高校生達は一流オペラ歌 手気取り。早く並んだおかげで貴賓席のすぐ後ろの席で、席料は貴賓席の1/10。  舞台装置は2年前と同じようだったが、演出は少し変更されていた。天井桟敷の人々はオペラが終わってもすぐには 退場しない。いつまでも拍手を繰り返す。それに応えてステージには主演者たちが何回も何回も繰り返し挨拶に現れ る。手をつないで出てくるのがユーモラスで、それを見ると私たちは、「お手えー手えー、つーないでー」と歌いな がら拍手して喜ぶ。

 その夜もホテルに戻ったのは午前1時過ぎ。興奮を語り合いながらワインとコニャック。

ブラヴォー/ブラヴァー/ブラヴィー

 日本の音楽会では「ブラボー」の誉め言葉が出る。これはもともとはイタリア語なので語尾変化が気になっていた

。今回のオペラで周りの人々の掛け声を聞いていると、男性独唱には「ブラヴォー」、女性独唱には「ブラヴァー」 、複数のデュエットや合唱には「ブラヴィー」であった。聞いてみると、イタリア人は語尾変化には敏感で、女性歌 手を「ブラヴォー」と誉めるのは、「あなたは男みたいな声と歌い方ですね。」という皮肉を言っていることになる

そうだ。語尾にアクセントを入れるので、ちょっと聞くとブラヴォーではなく単に「ヴォー」とか「ヴィー」としか 聞こえないことがある。

 映画「ローマの休日」でジェラートが有名になったが、オペラの幕間に来るアイスクリーム売りが「ジェラート」 ではなく、「ジェラティー」と、これも語尾の「ティー」にアクセントを置いて発音するのが面白かった。  

 まあ日本では拘ることはないだろう。日本人の発音は語尾が V ではなく B なのだから、ブラボーはイタリ ア語ではなく、完全な日本語なのであろう。それにしても歌舞伎の女形を見たときに、イタリア人はブラヴァーなの か、ブラヴォーなのかどちらであろう? いつかイタリア人に尋ねてみたい。

シルヴィア

 彼女は Hotel Verona のフロントで、2年前に会ったときからのお気に入りである。今回はブリュッセルでチョコレートをお土産に買って いった。再会を大きな身振りと笑顔と握手で喜んでくれた。

「今年また来たのには二つの目的があるんだ。一つはオペラを観ること。そしてもう一つは、この前の時、あなたの 写真を撮らなかったので、今回は是非撮らせて貰いたいんだ。」と言ったら、 「あら、何だかモデルに選ばれたみ たいで、恥ずかしいわ。」と答えて、ポット顔を赤らめた。イタリア女性は男性から何時もこういうことは言われつ けていると思っていたのに、このウブらしさが何とも可愛い。ぴったり寄り添った写真が撮られた。

エクスカーション

 オペラは夜なので、昼間は近くへのエクスカーションを楽しんだ。夏のベニスは観光客があふれ、運河がどぶ臭い ので遠慮した。

・ジュスティ庭園: 優雅な糸杉並木と、良く手入れされた庭園は、汗をかいて尋ねた甲斐があった。

・バッサーノ・デル・グラッパ: イタ飯の食後に美味しいグラッパ酒と、陶磁器グラッパ焼きの産地として名高い。

グラッパ・リヴィエラの清流は見飽きなかった。

・ヴィチェンツァ: 世界遺産アンドレア パッラディーオの建築で有名だが、古ければ何でも世界遺産か?

・トレント: 美しい壁絵の町。歩道もどぶ板までもが大理石だ。ドロミテの山々も近い。

・シルミオーネ: 観光地として有名になり過ぎて昔の静けさが懐かしい。ガルダ湖対岸に水中翼船で渡り、ガルドネ・リヴィエラを散策。

*** モンブラン山群 ***

苦い米

 キヴァッソへ向かい、ミラノを出ると広い水田地帯が広がる。昔見た映画「苦い米」の舞台となったところだ。主 演女優はジーナ・ロロブリジーダだっただろうか、ソフィア・ローレンだっただろうか? 妻は顔をよく覚えている といい、私はその豊乳を思い出すが顔はよく思い出せない。「苦い米」のストーリーは結局二人とも思い出せなかっ た。

  (注)後日得た情報によると、主演は Silvana Mangano だったとのこと。

アルプス越え

 アオスタまでの鉄道は去年の大水で崩れ落ち、途中駅からバス連絡になっていた。アオスタ行きに乗ったのに何故 途中駅で降ろされるのか車掌のイタリア語が分からず、チョットしたパニックに陥ったが、バスの中から宙づりにな った線路を見て納得。

 アオスタはローマ時代から続いた古い町である。昔の城壁の中は狭く、歩いてもわけなく回れる。昔の城門の中が レストラン「ベッキア・アオスタ」(アオスタ城の意)になっていた。地元郷土料理のフルコースがおいしかった。

 アオスタからクールマヨールまでのバス旅1時間の街道には、次々と古城が現れた。谷の麓には葡萄棚が続き、両 側の山々が段々高く迫ってくる。クールマヨールでバスを乗り換えフェレの谷の終点まで行った。グランド・ジョラ スの南麓を走る車窓には高峰と氷河とが連なって現れ、シャッターを切り続けた。 終点アルプ・ヌーヴァからお花 畑を歩いて、山荘シャーレ・ヴァレ・フェレへ。自慢の郷土料理ポレンタはトウモロコシの粉を煮てこねたもの。ポ レンタ・チーズとポレンタ・きのこに赤ワインですっかり満足した。

 クールマヨールからシャモニまではエル・ブロンネン経由ロープウエイで翌日モンブランを見ながらアルプス越え する予定だった。しかし、悪天候で今日も明日もロープウエイは休止とのこと。その場合にはモンブラン・トンネル を通り、30分でシャモニへ抜けられたのに、先年のトンネル内火災で未だ閉鎖中。 極めてラッキーなことに、そ の日は週に1便のみのバスが、プチ・サン・ベルナール峠を越えて、フランス領ブール・サン・モーリスへ運行され るとのこと。この峠道は眺めの良いことでも有名。ラッキーであった。

 ブール・サン・モーリスで1泊して、翌日、いくつかの列車とバスを乗り継ぎ、乗り継ぎして、途中アヌシーで遊 び、夜シャモニへ着いた。例によって途中大小のハプニングが起きた。私はこれも個人旅行の楽しみの一つで何時も 何とかしているではないかと言うのに、カミさんは「でもその度にパニックよ。」とぼやいた。

シャモニ・モンブラン

 朝起きたときはまだ雲が多かった。朝食の席で顔を合わせたホテルの主人が、「今日は良い天気になるよ。」と教 えてくれた。朝食もそこそこに、急いで身支度し、ロープウエイの駅へと急ぐ。すでに大勢の人が群がっている。大 型のゴンドラが次々に人々を運び上げていくが、この時間帯を予約してある日本人ツアー客団体が切れ目無く押し寄 せ、我々の待っているのをしり目に先に上がっていく。レ・プランから飛び出す沢山のパラグライダーを眺めてはい たが、ゴンドラに乗るまでにおかげで2時間も待った。しかし、幸いなことに雲は段々になくなってきた。初めの頃 に上がったツアー客は「雲でよく見えなかった。」と言いながら既に戻り始めていた。

 釣瓶で引き上げられるようなゴンドラに乗り換え、エギュイーユ・デュ・ミディに着いた。既に富士山より高い。 展望台はパスして、エル・ブロンネン行きゴンドラの切符売り場へ急いだ。以前ここに来たとき時間がなく乗り損ね たこのゴンドラに、天候の良い内に早く乗りたかった。4人乗りゴンドラが3台ずつ連なってイタリア エル・ブロ ンネンへの水平なロープウエイへと出ていく。眼下には氷河が大きなクレバスの口を開けている。針峰群、グランド ・ジョラス、モンブランが次々にその勇姿を現す。氷河の上にはザイルで結びあった登山者のグループが何組もいる 。飽かず眺め、シャッターを切り、エル・ブロンネン展望台では、一昨日歩いたクールマユールやフェレの谷を俯瞰 した。

 帰りにはプラン・ドゥ・レギュイーユの小屋までハイキングして、シャモニの谷や村々や対岸の赤い針峰群を眺め ながら、美味しい野菜スープを飲んだ。

シャモニのホテル

 La Boule de Neige は一つ星ホテルだが、室内にシャワー・トイレ付き、清潔で、朝食付二人で\6,000 と安かった。何よりも嬉しか ったのは、部屋の前のテラスに出ると エギュイーユ・デュ・ミディや針峰群が手に取るように眺められたことだ。

そのテラスの椅子にのんびりと座り、町で買い込んだチキン丸焼きを食べワインを飲みながら、革命記念日(日本で はパリ祭といっている)前夜祭=8/13夜の花火が目の前に、そして頭上に打ち上げられ大きく開くのを眺めた。

 紹介されたパラグライダー・スクールもすぐ近くで、3日間毎日飛びに行ったが、風が悪く1回も飛べなかった。 神様はそんなに甘くはないものだ。

 ハイキングしたラ・フローリアは花一杯のシャーレ(山小屋)で、260種、4,000株以上という色とりどりの花が 咲き誇る様子は私にはとても表現しきれない。帰りのプラの村からシャモニまでの川沿いの散歩道も気持ちよかった 。

3時間半のハイキングを終え、シャモニへ入ると第3回世界フリークライミング選手権大会がたけなわであった。 手前に傾いた壁の上方にさらに大きなオーバーハングをしつらえた見るからに難コース。登り切ったのは15人に1人 ぐらい。

 ホテルの傍からバスに乗り、バルムのコルのお花畑へもハイキングに出掛けた。このルートは ツール・ド・モン ブラン の一部にもなっている。ツール・ド・モンブランとは8〜10日かけてモンブラン山群を一周する可成りきつ い山歩きコースである。バルムのコルはスイスとフランスの国境で、斜面が一面のお花畑になっている。

ここも大い に気に入った。戻ったシャモニの広場では、革命記念日の勲章授与に続いて、パレードが行われようとしていた。

 シャモニを発った朝は雨で、楽しみにしていたグラン・サン・ベルナールの景色は深い霧の中だった。

*** 花のリヴィエラ & コートダジュール ***

サンレモ

 アオスタからトリノ経由でジェノヴァへ出た。テレビの無い安宿にばかり泊まっていたので、そこでサミットが行 われていることもデモ騒ぎがあったことも知らなかった。やたらに警官が多いこの街は治安が悪いところだぐらいに 思っていた。列車は大幅に遅れ、警官にホームの端へ押しやられ、何だと思っていたらなんとホームで爆発音。あと でサミットへの反対と知った。

 ジェノヴァからの地中海沿岸は「花のリヴィエラ」として名高い。列車は海岸を通る。トンネルがやたらに多い。 トンネルを抜けるたびに見る砂浜は、何処も、ピーチパラソルがいっぱい。紺碧の海があまりにも美しい。トリノか ら遠回りしてジェノヴァ経由にしたのは正解だった。

 サンレモのホテルはメルヘンチックな内装で、傍のロシア正教会もお伽の国の城という感じであった。ホテルのす ぐ前の海水浴場は、波よけ堤防のお陰で波が静か、砂浜にはゴミもなく、泳ぎやすかった。 夕食の魚介類フライも 美味しく白ワインともよくあった。

 旧市街はスラム化して中を抜けるのに少々ヒヤヒヤしたが、市場は大きく、その回りを取り囲むフリーマーケット も面白かった。サンレモ音楽祭の行われる劇場では「パールハーバー」が上映中だった。カジノ近くのワイン屋で以 前から欲しいと思っていた形のデキャンタを見つけたが、そのガラス器を壊さないように持ち帰るのが、その後の妻 の仕事とはなった。

ニース

 ニースは南仏海岸で最も有名ではないだろうか。その評判につられて3連泊したが、海水浴には最悪であった。海岸 は砂でなく小砂利なので、足裏が痛くて素足では歩けない。波よけ堤防がないので海岸に打ち寄せる大波を乗り越え て泳げる場所まで出るのが大変。泳ぎ出すまでに数回塩水を飲んだ。  城跡からの眺めや旧市街の散策は楽しかったが、評判ほどの魅力をニースに感じなかった。救いはブイヤベースの 美味しかったことだった。  独断と偏見の結論としては、ニースは、金持ちが海岸の一流ホテルに泊り、高級フランス料理を食べ、ピーチで日 向ぼっこ(海水浴ではない)して、ゆったりと時間を過ごすところと感じた。 庶民にはサンレモとかカンヌがお薦め。

モナコ・モンテカルロ

 海洋博物館では感激した。イソギンチャクの種類と美しさが抜群である。米国モントレー水族館のクラゲ収集に対 抗してのイソギンチャクだろうか。王宮や教会を見学してグレースケリーに思いをはせた。豆汽車でF1グランプリ コースの走破もした。 モナコは税金のないところだと聞いていたが、観光客は、知らず知らずに金を使ってしまう ところだと体験した。税金のないことに納得。  ニースとの間のエズ村は、是非訪問すべきところだと思った。

芸術散歩

 ニースではマチス美術館と、シャガール美術館を尋ねた。キリスト教を知らないものにとってシャガールの狙いは 、はっきりは理解できないだろうが、絵の構図と色彩の美しさには惹きつけられた。  カーニュ・シュル・メールに 「ルノアールの家」を尋ね晩年使用したアトリエや作品などに接した。家の中のW Cはルノアールも使っていたものだ。それに腰掛け彼と知り合う(尻合う)仲となった。・・・くだらない。誰でも 知っている駄洒落だ。でも、それをわざわざ実行したのは我ながらユーモラスだ。

*** カマルグ地方 ***

マルセイユ

 ニースからカンヌを過ぎる辺りの海岸線は、花のリヴィエラに負けず素晴らしい。どの浜辺も海水浴で賑わってい た。マルセイユ駅の荷物預けで少々驚いた。コイン・ロッカー室入り口に空港と全く同じエックス線の検査装置が置 いてある。それを通過しないとロッカーに荷物を入れられないのだ。フランスでは爆弾騒ぎで、可成り長期間、荷物 預けが閉鎖されていたらしい。こちらの政情と治安状況を体験した。  マルセイユ旧港は強風で波立っていた。このあたりの北西の風は「ロバの耳落とし」と俗に言われるとのこと。夏 だというのに、この冷たい強風を受けて納得。冬はさぞ大変なことだろう。

アルルはゴッホの町

 歩いて見どころを回れる小さな町は、ゴッホが写生した場所に、そこで描かれた絵がパネル展示され、パネル巡り をするとアルルを一回りすることになる。タクシーで尋ねた町はずれのはね橋の横にもゴッホのパネルがあった。  フランス料理が美味しいのは、この地方でとれる「カマルグの塩」のおかげだと聞いていたので、お土産に求めた 。ホテルのレストランで摂ったフィッシュ・スープは、ニースのブイヤベースより良い味で、何よりも、赤ワイン Chateauneuf du Pape とも良く合った。それからはこの銘柄がお好みになり、お土産にも買った。

ポン・デュ・ガール

 私はフランス語ができない。観光地では英語でなんとかなるが、地方の小さな町ではなかなか通じない。世界遺産 ローマ時代の水道橋 ポン・デュ・ガールの観光にはニームからのタクシーがどうしても必要なので、予め今村さん にお願いしてタクシー運転手に示せば分かるメモを作っていただいた。これがバッチリ。安心して、ニームの遺跡を 観光後、この有名な橋をじっくり眺めることが出来た。それにしてもローマ人の建造技術は凄いものだ。どうやって これを造りあげたのだろうか?

アヴィニヨン

 「アヴィニヨンの橋の上で」の歌で有名なサン・ベネゼ橋の上に立ち、イヤホーンの説明に耳を傾ける。橋の半分 以上を押し流したというローヌ河の流れは今日は静かであった。丁度アヴィニヨン演劇祭の期間中で、見学を終わっ て出てきた王宮前広場には、あちこちで大道芸やら劇団の踊りが繰り広げられていた。深夜まで見て楽しんだ。エス カルゴをとり、ここでもワインはシャトー・ドゥ・パプ。独特の香りと重い味に舌鼓。 大道芸は何時までも見飽き なかったが、「明日は早いのだから」と言うカミさんの声に、渋々従った。

*** フランス女性とイタリア女性 ***

 旅では多くの人に接する。フランスに入って、イタリアとは少し違うなと感じることが続いた。モンブランでは待 ち行列が長いのに、4人乗りゴンドラに乗りこむや2人で占拠して次の2人を乗せないフランス人中年女性。  サ ンレモ駅のベンチでは少し寄ってくれれば、我々2人も座れるのに、少しも動こうとしないで知らん振りのフランス 中年女性。そのくせ列車が来たら、重いトランクの持ち上げを手伝うのは当然だという顔で私を見た。知るものか。 こちらだって重い荷物を持っているのだ。  列車内では別の光景が。祖母、母親、子供の3人づれ。祖母が席の交 代を頼んだのに、その娘らしい女性は「ノン」。  自己主張がはっきりして自立性があると言えるのかも知れないが、多分私の偏見なのだろうが、フランス中年女性 はジコチュウである。イタリアでは男性にも女性にもずっと親しく接触された感じがする。シルヴィアの印象が強い からだろうか?  フランスでは中年になると急にジコチュウになるのかも知れないな、と思うのも私の独断だろうか?

イタリア語では未婚女性の呼称 「シニョリーナ」は、結婚しても 「シニョーラ」と、余り変わらない。所が、フ ランス語では 「マドモアゼル」が、「マダム」と大きく変わる。中年女性のジョコチュウへの変貌の大きさをフラ ンス人は昔から承知しているのではないだろうか? 

 フランスの若い女性はすらりとした腰だが、イタリア娘はぷっくりとしたお尻が可愛い。それに豊乳で臍出しルッ クが多かった。 「貴方、チラリと見るなら良いけど、ジロジロ見つめるのは駄目よ。」と、一緒に歩くカミさんに 何回注意されても、目はついプックリに惹かれてしまう。 カフェテラスに座って前を通る豊乳とプックリを眺める のも楽しかった。

 郷に入りては郷に従えと、ヴェローナの通りを妻と手を繋いで歩いたら、とっても新鮮な気持ちになった。イタリ アはアモーレ、アモーレの国である。私はフランス・マドモアゼルより、イタリア・シニョリーナのプックリが断然 好きである。

AREGOの標識

 アヴィニヨンからパリまではノンストップTGVで2時間半で着いた。パリは12年振りなので、その変わり方を見 ようと2階建てバスで先ず一巡した。石造りの街に外見上の変化は少なかったが、どこもかしこも観光客であふれか えっていた。 バスを降りて、パレロワイヤルでAREGOの標識を探した。これはその昔、地球経度0度の設定を 英国グリニッジと争ったときの名残だと、今村さんに教えられた。今村さんは凄いものに凝っているものだと感心し ながら、標識を探した。標識を見つけて写真を撮っていると、何だ何だとばかり周りに人垣が出来た。

ムーラン・ルージュ

 夜はムーラン・ルージュでディナーショー。華やかで楽しい。次々にステージいっぱいに繰り広げられる踊りにひ きこまれた。乳首まで何も覆わぬ裸体は激しく踊るが、エロチックな感じは全くない。散々、豊乳と臍だしルックを 見て裸体には慣れてしまったからだろうか? フレンチカンカンを「ラ・マルセーエーズ」の曲で踊るのを見て、だ から「フレンチ」カンカンなのかなどと思っていると、「ダンサーは巨乳では務まらないのね。」と、ひどく安心し た口調で妻が耳元で囁いた。

モンマルトルの丘

 翌日はモンマルトルの丘をゆったり散歩し、ユトリロゆかりの店やゴッホの家を尋ねたりした。ユトリロゆかりの オ・ラパン・アジルで昼食をと思っていたが、開くのは夜のみで、シャンソンと店の喧噪を味わい損なった。 代わ りにと入ったサラザール駅近くのレストラン・モラールは内装が綺麗な店だった。パリで最後の食事だからと、また エスカルゴとメロンハムをとった。勿論赤ワインも。

最後のパニック

 パリからアムステルダムまでの国際特急タリスは車内で航空機並の軽食と飲み物のサーヴィス付きだった。で、ま たまた赤ワイン。

 これまでのB&Bではその所在地(通りの名前)を探すのに少なからず苦労した。最後の宿となるライ駅近くのB& Bは全く問題なく探し当てられた。「最後になって家探しも上手になったね」と、お互いに誉め合いながら、ドアを ノックする前に家の前で記念写真まで撮った。 ところが、出てきたご主人に来意を告げるとそんな予約は受けてい ないとのこと。アムステルダムB&B協会を通じての予約だったので、OKのFAXとeメールを見せた。夜9時を過ぎ ている。空き部屋はない。ご夫妻が協会担当者の自宅に電話し、私も文句したが、何かの手違いがあったらしい。妻 は既にパニック顔だ。

 幸い5分歩いた所のホテルをご主人が探してくれた。料金はB&Bの丁度2倍だったが、広く綺麗で快適な部屋だっ た。妻はホットしてにこにこ顔。パリで買った赤ワインで乾杯。  これが最後のパニックであった。翌朝B&Bに寄り、ホテル紹介のお礼を述べた。帰国後1週間して協会からの詫び 状がFAXで届いた。

人々の親切

 今回の旅も多くの方々に助けられた。  現地で一番の問題は英語しか話せぬことであった。今回は英語圏では無いのにそれでも何とかなる英語の強さを羨 ましく思った。英語と現地語とのヤリトリで困っていると、殆どの場合英語の話せる人がいて助けて貰えた。でも、 フランスでは困難度が高かった。

 ブルージュでの出会いは忘れられない。予約したB&Bは駅裏口から近いと思ったのに道筋を間違えて探し歩いて いた。通りかかった車椅子のおじいさんなら地元の人だから分かるだろうと尋ねたが分からない。駅に戻って案内所 へ行こうと歩き出したら、車椅子で追ってきて、通りすがりの人を次々に止めては尋ねてくれた。10人以上に聞い たであろうか。気付いたら先刻まで車椅子だったおじいさんが立ち上がって道を聞いていた。夢中の余り立てたので あろうか。何と求める行き先は、立ち止まっている変則交差点の向こう側だった。その大きな交差点を渡って振り返 ったら、おじいさんは安心したように大きく手を振って応えてくれた。おじいさんは心配して見送っていてくれたの だ。

 ピンチやパニックも多かったが、それ以上に沢山の親切に支えられた旅であった。

                      <完>

   ***** 旅行記補遺  イタリアのオバタリアン *****

,p>先日の旅行記には多くの方々からご返事いただき、有り難うございました。  「フランス女性=ジコチュウ」説には、いつもの独断がまた始まったと笑われるのではないかと、気にしていたので すが、江崎さんや三上さんから、欧米人もそう言っていると伺い、大いに気をよくしています。 「ひょっとして僕 は洞察力に富んでいるのかな」 なんて言ったら、今度は笑われますね。 

欧米人の言とは:

江崎さんから、

<< フランス女性 の「ジコチュウ」は大いに共感! ジコチュウで思い出したのは、IBM時代にアメリカ人がフランス人を「Self-respecting nation」と評していたのを思い出します。 ジコチュウは民族性で、男女に限らないようです。 >>

三上さんから、

<<ミラノ在住のチェロ弾きの次女が室内楽の仕事で日本に来ていますが、この子がパリに留学した後ミラノのオケに 入った時、フランス人とイタリー人の気質の差について、嘉瀬さんと同様なことを言っていました。今やイタリーが すっかり気に入って住みついてしまいました。>>

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イタリアは、マンジャーレ(食)の国です。身体つきは日本人とあまり変わらないのに、イタリア人はよく食べます。 幸せ一杯という表情でよく飲み、食べ、おしゃべりを楽しんでいます。そのせいか、イタリアのオバタリアンは小太 りが多いです。

 次に紹介するのは、アレーナ・オペラの開場を待つ長い行列での見聞です。行列は7〜8人の幅で100m以上延々と 続いています。アレーナ前の広場を埋めているので、ロメオとジュリエットの家などに向かう観光客は、この行列の 外を遠回りするか、行列を横切るかしなければなりません。横切ろうとする人は行列のブロックに遮られ、あちこち でゴチョゴチョともめています。暑い中、長時間の行列に変化を求めようとでもいうように、行列者のブロックもな かなか強固です。特にオバタリアン同士がぶつかったときは、簡単には横切れません。  所が、ハンサム青年が横切ろうとすると、オバタリアン達はニコニコしながらさっと道を空け、盛んに話しかけ、 親密の情を示します。青年の方もそれに応え、暫く談笑していきます。  相手によるこの豹変振りが面白く、イタリア人にとっては当たり前かも知れない、そんな光景を楽しんで眺めまし た。

「アモーレ(愛)」は「マンジャーレ」と並んで大切にされているようです。 イタリアは、アモ−レ、アモーレ そして、マンジャーレ の国です。 これも私の独断でしょうか?

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イタリアのオバタリアンについては、長沢さんからの返信に面白い一節がありました。

<<これは、イタリア在住の日本女性の話ですが、イタリアの母親の子育ては見ていられない、小さいときから「あな たは最高、と信じさせて自信を持たせる」のだそうです。傍から見ていると、これは「相対的な比較の上で自信を持 つように仕向ける」のではなく、ただ「あなたは最高」との刷り込みによる「見せ掛けの自信」に見えるので、日本 人から見ると「鼻持ちならない」のでしょう。もっとも、この自信に裏打ちされているので「イタリア男は女性に、 誰にでも声を掛ける、のであって、女性に優しい、訳では無い」のかもしれません。>>