エヴェレスト街道トレッキング
嘉瀬 敏 05/25/1994
・前 書 き
エヴェレスト街道トレッキングに参加したのは去年の4/27〜5/09の13日間だった。
印象の薄れないうちに紀行文をまとめるつもりでいたのに、週末はパラグライダー
や囲碁やその他の遊びに忙しく、あっという間に1年が過ぎてしまった。
「去年の今頃はエヴェレスト街道を歩き始めていたわね。」
「また行きたいね。」
と妻と思い出話しをしながら、やっとまとめはじめた。書き出してみて私の筆力で
は、ヒマヤラの雄大な自然をお伝えするのは無理だと分かった。ヒマラヤの自然を
体験されていない方へ、文章や映像のみでその素晴らしい感動を伝えるのは難しい。
現地の風物はいろいろ紹介されているが、中でも、山と渓谷社発行 内田良平著
「エベレスト街道」は写真も説明文も優れている。是非一読をお薦めしたい。
・ルクラ飛行場
ネパールの首都カトマンズからの18人乗りツインオッター機が、ルクラの凸凹
滑走路をがたがたバウンドしながら駆け上がりやっと止まったとき、機内は、誰
からともなく起きた拍手と、ほっとしたため息のようなどよめきに満たされた。
エヴェレスト街道トレッキングはこのルクラから始まる。飛行場はコンクリート
舗装の水平で長い滑走路という常識はヒマラヤ山中では通用しない。ルクラの
滑走路は、エヴェレストから流れ落ちてくるドウド・コシ(ミルク色の川の意。
急流なので削られた岩で流れは白濁している)のV字型峡谷に落ち込む河岸の
わずかな斜面に、流れに直角の方向に作られている。滑走路は握り拳よりも大きな
石がごろごろした坂道である。IBM本社前の坂よりずっと勾配がきつい。
(下部15゜、上部20゜の傾斜)
峡谷の谷間を飛んで来て、直角に方向を変えたツインオッター機は、上り坂で
且つ凸凹道なので、山腹の短い滑走路でもやっと止まることが出来る。離陸時は
逆に下り坂を利用してスピードを上げ、対岸の山肌をかすめるようにして上昇し
て行く。
「こんな飛行場で事故がないのは不思議ですね。」と言ったら、「いや、滑走路
の端に墜落機の残骸が二つありますよ。」とツアーリーダーはこともなげに答えた。
海抜1,350mのカトマンズから、一気に2,820mのルクラに着いたので、急いで
歩くと息苦しい。頭が少しクラクラする。空気が薄い。
飛行場の傍らの狭い広場で、週一回のバザールが丁度開かれている。遠方から
かつぎ上げて来た食料や雑貨を、売る人、買う人がごちゃごちゃともみ合うように
往き交い、お祭のような雰囲気が楽しい。荷物は、開いた底面を上にした円錐型の
竹篭に入れ、紐を頭頂にかけて背負っている。狭く険しい山道を歩くのに適してい
るのだろう。車はない。荷物を運ぶのは、小型牛の「ゾッキョ」か「ヤク」、それ
と人間である。
我々8名のトレッカーのために、4頭のゾッキョと、20名余のシェルパ、シェフ、
キッチンボーイ、ポーターがつく。
澄み切った青空の下で、周りを囲む6,000m級の山並を眺めながら、彼らが用意して
くれた昼食をとり、さていよいよトレッキング開始。食事も歩きもとにかく
ビスターリ、ビスターリ。
「ビスターリ」とは現地語で「ゆっくり・のんびり」とのこと。空気の薄い高所での
行動はとにかくビスターリで。東京での感覚で行動すると、たちまち高山病にやられ
てしまう。
・シェルパとポーター
ヒマラヤでの高所トレッキングが出来るのは、シェルパやポーター達のサポートが
あればこそと思う。
サーダー(リーダーのシェルパ)と若い二人のシェルパは荷物運びはせず、全体の
運営とトレッカーのガイド・サポートをしてくれる。トレッカー8名はまとまって
歩くのではなく、それぞれのペースで、途中で休んだり、写真を撮ったり、あちこち
眺めたりなので、隊列はすぐに随分とばらけてしまう。しかし、どんなに早く歩いて
も、先導のシェルパを追い越せず、また、どんなにゆっくり歩いても最後尾には
シェルパの誰かが一緒にいてくれる。
サーダーは片言の日本語も話し、若いシェルパ二人には英語が通じる。名前や齢や
家族親戚のこと、シェルパの風習など聞いたり、日本のことなどオシャベリしながら
のんびり歩くのは嬉しいものだ。
シェフは色々工夫して、我々の口に合うよう現地料理をおいしく調理してくれる。
カレー料理にもこんなに多くの種類があるのかと驚く。皆がバテ気味の時には日本の
ラーメンを作ってくれたりもする。シェフにはキッチンボーイがついていて、下働き
や食器洗いや配膳などしている。
その他はポーターで、荷物運びが主要任務となっている。現地語しか話さないが、
目が合うとにっこりして、何となく心の通う気がする。
雄大で美しい自然に加えて、ネパールの人々とのふれ合いが一層心を和ませてくれる。
・バースデー・ケーキ
いくつかの部落を通り過ぎ、アップ・ダウンを繰り返す峡谷沿いの山道を4時間程
歩き、ドウド・コシの急流に架かるゆらゆら揺れる長い吊り橋を渡ったところが
トレッキング初日のキャンプ地パクディン。
到着したときには、既に宿泊用テントは張られていた。4人用ドーム型テントに
2人づつなのでゆったりと休める。少し離れて大きな食堂テントと、トイレテントも
張られる。夕食までの時間があるので、小休止の後少し先まで歩いてみる。石を積み
上げて建てたひなびた家が数軒ひっそりとしている。
谷間の日暮れは早い。やがて夕食。半日歩いたせいかカレー料理がおいしい。
同行の妻は高山病にやられてきたらしい。顔がなんとなく腫れぼったい。
我々8名はトレッキング・ツアーに応募して全国から集まっている。山仲間は楽し
い。皆すぐうちとける。中に医師が2人もいるのは心強い限り。嬉しいメンバーに恵
まれた。早速、妻の高山病の様子を見て、「大丈夫。この睡眠薬をのんでぐっすり眠
れば心配要りませんよ。」とのこと。
食事の皿をキッチンボーイが片づけてテーブルが綺麗にされた頃、こちらに向かって
、いくつものローソクを灯した大きなバースデー・ケーキが運ばれて來る。
今日4月29日は妻の誕生日。そのお祝いのケーキと知って大感激。このヒマラヤ山中
でバースデー・ケーキとは! シェルパ達も集まって歌ってくれた
Happy Birthday to you. は胸の奥までしみ通る思い出となった。
夜中にふと目覚めテントの外に出て驚いた。見上げた空は満天の星。空にはこんな
にも多くの星があったのか! 圧倒されるような星空を見上げながら、ふと気付くと、
小さな声で Happy Birthday to you. を口づさんでいた。トレッキングを一緒に
楽しむ人を妻にしているという幸せな思いにひたりながら、いつまでも星空を見上げ
ていた。
・バサン君の恋慕
キャンプの朝は6:00起床。Good Morning Sir. の声にテントの入り口を開けると、
大きなカップで温かな紅茶をすすめられる。寝袋から上半身を出して飲んでいると、
テント前に洗面器が置かれ、お湯を満たしてくれる。テントから顔だけ出して洗面し、
身支度を整え、スタッフバッグに荷物をつめる。
山の朝は気持ち良い。テントを出て大きな伸びをする頃には、食堂テントに朝食の
支度が整っている。食事がおいしい。高山病対策のためたっぷりと紅茶を飲む。
馴れない生水は遠慮して、歯磨きも沸かしたお湯を使う。食事の間にテントは畳まれ、
荷物が牛の背にしっかりとくくり付けられていく。重い荷物を背負うのは嫌だとばかり
逃げ回り、一頭がいつまでも世話を焼かせる。
水筒と雨具だけの軽いザックを背負い、7:30出発。全くの大名旅行。
ドウド・コシやその支流に架かる橋を何回となく渡り、アップ・ダウンの激しい道
を進み、峡谷沿いのいくつかの集落を過ぎて行く。街道には所々にバッティ(茶店)が
ある。高所トレッキングの疲れをとるにはひと休みして甘い熱いミルクティーがおい
しい。ベンカー近くのバッティに寄ったとき若いシェルパのバサン君の様子が何とな
く落ち着かない。中をのぞき込んだり、店の前をうろうろしている。やがて、注文し
たミルクティーを運んできた少女は、はっとするように若く愛くるしい。バサン君と
目があって、恥ずかしそうに頬を赤らめる。バサン君のどぎまぎした仕草がほほえま
しい。声を掛け合うこともなく、お茶を置いて戻った彼女は、店の奥でちらと振り
返り、内気な笑みを浮かべてからすっと姿を隠した。バサン君は18才である。
・ペースメーカー
公園事務所で入山チェックを済ませ、ジョサレの先の河原に着いたときには、
昼食が既に用意されていた。
ドウド・コシとボウテ・コシの合流点に架かる高い長い吊り橋を渡ると、
ナムチェバザールへの高度差 590mを一気につめる突き上げるような登りになる。
牛も人もあえぐ。空気が薄い。高所に馴れたポーター達も、重い荷に歩く時間よりも
休む時間が長くなる。 3,000mを超えると高山病が心配になる。高度3,440mの
ナムチェバザールへの一歩一歩は高山病への接近でもある。 とにかく、ビスターリ、
ビスターリ。登るにしたがい妻の顔のむくみが進んでくる。手の甲も少しむくみだ
した。幸い頭痛や下痢の症状は出ない。私は鈍感なのか何の変化も出ない。
同行のメンバーが皆何らかの高山病症状を呈したのに、私のみ何もなかったのは、
妻が早く高山病症状の顔になってくれたので、やむを得ず一層ゆっくりとビスターリ
で歩いたためらしい。とにかくゆっくり歩くことが高山病予防の唯一の方法とか。
有り難いカミさんだ。
大きな荷をかつぐ老人ポーターをペースメーカーにして、そのすぐ後について
ゆっくりと登る。彼が止まれば我々も休む。重い荷の老人の遅い足どりが、空身の
我々に丁度良い。現地の人はこの登り道に合わせたペースを持っている。
ペースメーカーを得てから少しは楽に、着実に高度を稼ぐ。しかし、このつかず
離れずは老人にとってうっとうしかったのか、やがて、じろりとにらまれて、
追いやられてしまった。
歩くより休む時間の方が多くなってきたとき、前方上方に忽然と白壁が見えた。
ナムチェバザールだ。むくんだ妻の顔にも笑顔が戻る。気持ちは逸るが、足どりは
ビスターリ、ビスターリ。
・オム・マニ・ペメ・フム
シェルパ族の人々は信心深い。チベット仏教への帰依は生活そのもののようだ。
不勉強でチベット仏教の教義については知らないが、信心を深めれば、来世に生まれ
変わるときの幸福が約束されると信じているようだ。現世でなく来世の幸せを祈り
つつ生きねばならないというのは、この地での生活条件がそれ程までに過酷だという
ことなのだろう。
目につくものが日本の仏教とは違う。チョルテン(仏塔)、マニ石(経文石)、
マニ車(経文車)、タルチョ(経文幟)、ゴンパ(寺院)について述べてみる。
村にはチョルテンがある。石や粘土で作った塔で、形から見てインド仏教の
仏舎利塔と同類のようだ。中に経文や宝物が納めてあるという。高さは5mから10m
以上のものもある。
集落の入り口や街道の要所には大きなマニ石がある。巨石への畏敬の念に根ざす
信仰なのなのだろうか。大きな自然石にオム・マニ・ペメ・フムの経文が彫ってある。
中には美しく彩色したものもある。「オムマニペメフム」は一つというより、繰り返
して幾つも続き、何行も連なって、石面にびっしりと彫られているものが多い。
我々の南無阿弥陀仏に相当するらしい。
1m角位の厚手の平石の表面にびっしりとオムマニペメフムを彫り込んでその石を
立て並べた所もある。葬式や法事の時に作り、捧げるものだという。日本でも宗派に
よっては墓に木の塔婆を立てるものがあるが、それに相当するものらしい。何代にも
わたって捧げられたのか、経文の彫り痕が古くかすんだものもある。
マニ石やチョルテンの所では道は両側につけてあり、人々はその左側を通り抜ける。
食事は右手で、下の始末は左手での習慣なので、左は不浄の手とされている。左側を
通るのは不浄の左手がマニ石に触れないようにするためらしい。マニ石を通り過ぎる
ときは「オムマニペメフム」と口の中で声をあげ、道中の安全を祈る。「でも、この
頃の若者の中には平気で右側を通る者や、オムマニペメフムを唱えない者もいるので」
とサーダー(シェルパのリーダー)は嘆いていた。このヒマラヤの奥地でも宗教離れの
若者が増えているのだろうか。宗教に頼らないでもすむほどまでに、生活にゆとりが
出て来たということなのだろうか。
家々の屋根やチョルテンには魔除けの幟タルチョがはためいている。布地には
びっしりとオムマニペメフムが書き込んである。柱につけた幟の他に、柱から柱へ
渡した紐に、手ぬぐいを干したみたいに、いくつものタルチョが下げられているの
もある。
日本の寺院に相当するものはゴンパと呼ばれる。我々が尋ねたタンボチェのゴンパ
はこの地方最大で総本山的なものであった。クムジュンのゴンパでは雪男の頭皮と
称するものを拝観した。
マニ車と称されるものも各所にあった。辻堂の中に直径1m、高さ1.5〜2m位の
円筒が立ち、表面にオムマニペメフムを色鮮やかに書き込んである。中心に軸が通り、
手で押して回転させられる。円筒の中には経文が入っている。1回転させると、お経を
1,000回唱えたことになるという。読経の省力化・合理化であろうか。オムマニペメ
フムと唱えながら何回か回す。勿論右手で。所によっては小川の上に辻堂が建てて
あり、マニ車の軸の下に水車がつき、川の流れで常に回転している。読経の自動化で
ある。
直径6〜10糎位の銀製の小さなマニ車もある。軸を手に持ち、歩きながらでも
回し続ける。ポータブル型マニ車である。家の戸口に腰を下ろし、手にしたマニ車を
無心に回し続ける老婆のしわ深い顔に、何ともいえぬ安らぎの表情を感じたのはこちら
の気のせいだったのだろうか。オムマニペメフム・オムマニペメフム。
・エヴェレスト望見
ナムチェバザールの斜面を上りつめたキャンプ地で、清々しい朝を迎えた。
陽はまだ昇りきらない。起きぬけに20分程先まで独り歩く。尾根の端を回り込んだら
遠くにキラキラ輝く氷雪の峰が見えた。通りかかりのシェルパが「あれがエヴェレスト
だよ」と指さしてくれた。初めて見るエヴェレスト。感激。でもエヴェレストはまだ
遥かに遠く、ローツェの尾根の向こうで小さく見えた。
キャンプに戻ると、皆も起きて裏手の丘を登っているところだった。皆を追いかけ
る。丘上で、初めて望見するエヴェレストに皆夢中だ。真っ白な氷雪に輝く
タムセルク 6,623m、クスムカングル 6,369m、コンデ 6,187mが迫り、クンビラ
5,761m、アマダブラム 6,856mの間からは、遠くにヌプツェ 7,879m、
ローツェ 8,511m、ローツェシャー 8,383m、そして、その尾根の奥にエヴェレスト
8,848mがさらに聳える。その迫力、雄大さ、美しさをうまく表現できそうもない。
この紀行文の中で一番肝心なことなのに、何か書くとかえってぶち壊しになりそうな
ので、「行った人でないと分からない。苦しい思いをしてでも見に行く価値がありま
すよ。」とだけつけ加えて置こう。
・バザール
土曜日朝のナムチェバザールは熱気にあふれる。週1度開かれるバザールに近郷近在
から人が集まる。山腹の斜面に貼りついた集落の、入り口辺の3〜4m幅の道が30m位の
間水平になっている。そこと、その上段の同じくらいの広さの、広場というよりは階段
の踊り場とでもいうような狭い所に、商品も並び、人も集まるので、東京の通勤ラッ
シュ並の混みようだ。後から押されるので見たらゾッキョ(小型牛)だ。人に混じって
牛も歩く。牛も人もこの混雑と活気を楽しんでいるかのようだ。米、雑穀、日用品、
ぶつ切り肉、etc.。値切る買い手、値切らせまいとする売り手。この騒々しさがたまら
なく嬉しい。妻も混雑の中で牛とのもみ合いを楽しんでいる。
朝市に続く道の両側には何軒かの商店が並んでいる。土産物や日常品、登山用具等を
売っている。土産物の露店も出ている。銀製の手回しマニ車、銅板を打ち出して作った
ラマ教の曼陀羅カレンダー、鮮やかな織り柄の小物入れを土産として買う。
谷を挟んで朝市と反対側斜面の、集落の外れのポストに投函した絵はがきは、
帰国後、忘れた頃になって日本に届いた。航空便ではあっても、我々が飛行機で飛んだ
カトマンズ〜ルクラ間は人の足で集配するそうな。
・シャクナゲ
テシンガのキャンプ横の岩の上でくすぶらせた針葉樹の葉から、ゆらゆらと煙が
立ち上る。その岩は朝のお祈りの聖壇なのか。下の谷間の家からも同じ様な煙が
上がる。仰ぎ見るタムセルクが美しい。
テシンガからドウド・コシまで一気に下る。途中、松林をわたってくる風のかぐわ
しさに米国ヨセミテの匂いを思いだし、懐かしむ。プンキの吊り橋を渡るといよいよ
タンボチェへの長い登りが始まる。登り口のバッティでゆっくりと休憩する。
猫がいる。ヒマラヤで見たただ1匹の猫だった。傍らでは水車式マニ車が静かに回って
いる。
右手の低い柵の中にいくつかの建屋がある。顔を洗う人達の服装からみて兵舎の
ようだ。入り口の見上げるようなシャクナゲが満開だ。逆光なので兵営の中から
写真をとりたい。手真似で兵隊に柵越えの許可を頼み、あの顔つきならOKだろうと
決め込んで中に入る。淡いピンクのシャクナゲを背景に写真を撮る。
今回のトレッキングではシャクナゲの花も楽しみの一つだった。歩きだして2日目
の公園事務所を過ぎた頃から、見事なシヤクナゲに会うようになった。ドウド・コシ
とボーテ・コシの出合に咲く、濃いピンク、淡いピンク、色とりどりのシャクナゲも
美しかった。テシンガの近くにきては白い花の群落も見た。でも、この兵舎のは見事
だ。幹は電柱くらいの太さがある。ここに來るまでシャクナゲがこんなに太く大きく
なるものとは思いもしなかった。現地人は薪を燃料にしているが、シャクナゲだけは
切らず、大切にしている。この美しさの前では、祈りにも似た感嘆の気持ちが先に立
ち、とても、なたは振るえないのだろう。シャクナゲはネパールの国花になっている。
タンボチェまでの山肌にシャクナゲが咲き競っている。何回休んだだろう。今朝発
ったテシンガがだんだん下に見えるようになってくる。途中までポーターが紅茶のヤ
カンをもって迎えに来てくれる。タンボチェは近い。
ゴンパ(寺院)の山門(仏塔門)を見て元気が出る。くぐった門の天井は強烈な色彩の
仏画だった。
とうとうタンボチェ 3,867mに着いたのだ。
・タンボチェ
山門をくぐると赤壁のゴンパが頼もしい姿を見せている。近くで見上げるアマダブ
ラムが高い。ローツェもエヴェレストもナムチェで見たときより、ずっと迫ってくる。
ゴンパの裏手で加藤保夫碑に手を合わせ、飽きることなくエヴェレストと周りの山々
を賞でる。エヴェレストに時折雪煙がたなびく。クンビラが高くそびえ、テシンガが
下に遠い。ゴーキョへの道が谷を隔てた山腹に続いている。
ゆっくりと昼食の後、ゴンパを拝観する。この地域の総本山と言われるだけあって
立派だ。数年前に電気を引き、通電したその夜の漏電で昔からのゴンパが全焼し、
目下再建中だった。本尊のお姿は出来上がっていたが、まだ金箔は貼ってない。内陣
はラマ教寺院独特の極彩色模様で彩られている。柱の模様が美しい。厳しい自然とは
対蹠的に、華やかな世界が現れている。完成したら荘厳というよりは、さぞ華麗であ
ろう。
中庭を取りまく2階建ての回廊はまだ工事中。2人の職人が粘土に綿を入れて、壁
材をこねている。こねては叩き、こねては叩き、根気のいる仕事を繰り返している。
ゴンパ外壁の赤壁も窓枠の絵もまだ新しい。正面の壁はまだ白壁だ。歴史の重みに
くすんだ焼失前の姿を見たかったが、たくましく生まれ変わろうとしている新しい赤
壁も、周囲の緑の中に際立ち、聖山クンビラを背にして美しい。広々とした前庭の水
汲み場の近くに、ヤク(高地牛)の赤ちゃんが一匹ゆったりと寝そべり、その先には氷
雪の衣をまとったアマダブラムが優美に、しかし、きりりと聳えている。
「15分もあれば行けますよ。」とツアーリーダーに言われて、デボチェ尼僧院へと
シャクナゲ林を下る。シャクナゲの長いトンネルは花期には少々早いようだ。妻の顔
はさらにむくみ、薄い空気にあえいでいるが、それでも引き返そうとはせず尼僧院へ
たどりつく。崩れかけた土塀の中に朽ち果てた建物がいくつかある。塀外の街道にマ
ニ石の列が長く続く。
山門を入り尼僧院の前に立ったときは、堂守の尼僧が帰った後で、扉には南京錠が
かかっていた。かつては栄えていたことをしのばせる面影が残っている。でも今は人
影もなく、傾きかけた山門にかかったタルチョだけが新しく、夕暮れが迫ってくる尼
僧院にふと物悲しさを覚えた。
帰りの登り道は妻にはきつかったようだ。手を引きやっとタンボチェに戻ったとき
には、もうあたりは暗くなりかけていた。「奥さんよく頑張りましたね」と皆にほめ
られたが、往復には2時間かかっていた。
・アマダブラムの月
タンボチェはこのトレッキングでの最高所。 3,867mでのキャンプは富士山よりも
高い。妻の顔は相変わらずむくんでいるが、デボチェの帰り道の苦しさも忘れたよう
に元気なのが嬉しい。二人とも食欲はある。寝袋にもぐり込み、
「タンボチェまでとうとう来たわね。」
「明日からは下る一方だから楽だよ。」
など話すうちに、何時しか眠りに落ちる。
夜中に目覚め、パクディンで見た満天の星を思い出し、もう一度星を見ようとテン
トの外へ出る。目覚めた時間がずれていたのか、星ではなく満月が輝いている。ヒマ
ラヤの月はこんなにも明るいものなのか。見上げたアマダブラムに思わず息をのむ。
昼間は氷雪に白く輝いていたのに、今は月の光を受けて金色に輝いている。何という
神々しさ。目を転ずると、ローツェもエヴェレストも金色に輝いている。神々しく輝
く嶺々を見上げて、言いようのない幸せな思いが身内にあふれる。
・シェルパの里
日の出前から起き出して、写真を撮り続ける。アマダブラム、カンテガ、タムセル
ク、クンビラ、そして、ローツェ、ローツェシャ、エヴェレスト。朝食の後も飽きる
ことなく眺め、そして、山々の美しさに酔う。我々の荷物を負ったヤクの隊列もすで
に下って行った。ナムチェから上はゾッキョに代わって、高所に強い長毛のヤクが
荷物を運んでいる。
名残を惜しみながら、やがて出発する。昨日は苦しんだ道をすいすいと下る。
プンキのバッティに昨日の猫はいなかった。
テシンガでの昼食のあとはシェルパの里クムジュンへの登りが待っていた。クンビラ
を見上げながら、ゆっくりと妻のペースでクムジュンへ向かう。かなり登って振り返る
と、先刻まで高く見えていたタンボチェが、再び目の高さに戻ってくる。道の勾配が
ゆるくなったと思って間もなく、クムジュン入り口のチョルテンが現れた。
クムジュンは思っていたより広い盆地で、周辺を石壁の家が囲み、石積みで区切られ
た畑がずっと広がっている。ひと休みの後、ゴンパに雪男の頭皮を拝観し、ヒラリー卿
が創立した学校も尋ねた。バサン君(18才)やダワ君(17才)の出身校だ。3教室と職員
室。宿舎には近在からの少年達が寄宿している。週末には親元に戻るそうだ。サーダー
の子供達はカトマンズの学校へ在学中とのこと。収入のある人は、よりしっかりした
教育に熱心なようだ。
キャンプ地のそばの白壁の立派な2階建てのサーダーの家に皆が招かれる。屋根に
はタルチョがはためいている。1階は家畜小屋、2階には広い居間と台所がある。居
間の隅に大きなかめが並び、仕込まれた地酒の発酵した匂いが部屋を満たしている。
すすめられたが、お腹をこわすのが恐く、一口だけ含んでみる。どんな味だったか
一年も経った今では思い出せない。
部屋の一方の壁は下から上まで棚になり、沢山の長持ちが並んでいる。家財道具を
詰めてあるのだろう。居間の中なのにどの長持ちにも大きな南京錠が懸けてあるのを
奇異に感じた。
・エヴェレスト・ビュー・ホテル
クムジュンの小高い尾根のケルンのような石積みに、タルチョが数本はためいてい
る。朝焼けの空にそのシルエットが黒く浮かぶ。
ゆっくりと朝食を済ませ、その尾根を登る。振り返るとクンビラが偉容を示し、
クムジュンの集落がだんだんと足元に低くなる。やがて、クンビラ、タウチェ、と
アマダブラムの間に、ローツェとエヴェレストも姿を現す。エヴェレストは雪煙を
上げている。歩く前方には、コンデ、パルチャモ、テウギラダウが見え出す。これが
最後の登りかと思うと足どりは軽い。
やがて、エヴェレスト・ビュー・ホテル。日本人が建てたというこのホテルは、
その名の通り正面にエヴェレストを見据えて、前には眺めを遮る何物もない。アマダ
ブラムの何と美しいことか。記念写真を何枚か撮る。
ホテルからシャンボチェへは広々とした緩やかな下りで、牧歌的な風景。パラグ
ライダーで飛んだらさぞ気持ち良いだろう。
エヴェレスト、アマダブラムへもいよいよお別れすると、カンテガに代わって
タムセルクが迫り、クスムカングルも頭をのぞかせてくる。ナムチェを下に望みな
がら急坂を一気に下る。
・コニャック
再び通るナムチェバザールにも別れを告げ、來るときあえいだ急坂を滑らないよう
気をつけながら下る。サーダーにエスコートされて下る妻は高山病を忘れたように元
気で、顔のむくみも徐々にとれて來る。
ドウド・コシにいくつも架かる危げな長い吊り橋は、平気な顔をよそおって渡るが、
内心は恐い。地元の老婆達が渡る前に何やら呟く。オムマニペメフムと唱えているの
だろうか。老婆二人が手を取り合って、こわごわと渡り出す。長年この地に住んでい
ても、こわいものは恐いらしい。牛も尻をたたかれしぶしぶ渡る。へっぴり腰の人を
笑ってはいられない。自分の渡る番だ。オムマニペメフム。オムマニペメフム。
モンジョに着き、水汲み場の冷たい水で顔を洗う。妻もすっかり元気印だ。キャン
プ地には既にテントが張られている。古田さん、斉藤さんにコニャックをすすめられ
る。高地でのアルコールは高山病の引き金になりやすい。入山以来飲酒を控えていた
が、ここまで下ればもう大丈夫。歩程はルクラへの明日一日を残すのみだ。
「よく、ここまで重いコニャックを持ってきましたね。」
「いや、運んだのは僕ではない。牛が運んでくれたんですよ。」
「それでは、軽く一杯だけ。」
コニャックはこんなにも美味だったか。「軽く一杯」が何回か繰り返されたのは
いうまでもない。
・雹(ヒョウ)
トレッキング最終日は、アップ・ダウンを繰り返しながら、ルクラへ向けて徐々に
高度を高める。チョモアの水車小屋をのぞいたり、いくつも橋を渡り、パクディンで
のバースデー・ケーキを思いだし、沢山のマニ石を通り、マニ車を回し、ガートで
最後の昼食をとった。チョムロのバッティで甲斐々々しく、かまどの火の面倒を見る
小さな女の子も可愛かった。
ルクラが近くなったとき、突然パラパラと雨が降り、間もなく大粒のヒョウが降って
きた。さすがにヒマラヤだ。あわてて傘を広げる。いつもしょっていた雨具が初めて
役立った。濡れるのを防ぐのではなく、傘がないと雹に打たれて頭や肩が痛い。
ルクラに着いて、シェルパやポーターも加わってのビールでの乾杯や、夕食に出さ
れた地鶏の身がしまって美味しかったこと、サーダーから Good Luck チーフを
もらった別れの朝のことなど、つい昨日のように思い出される。
それ以来、「また行きたいね。」が我々夫婦の口ぐせになっている。
・最後に
もっと簡単に書くつもりが、つい長くなってしまった。それだけ思い出の密度が高
く、印象が強烈だったということだろうか。エヴェレストを見に行く気になったのは、
後藤 三郎さんの年賀状がきっかけで、最相 力さんにすすめられたのが決定打となった。
お二人には深く感謝したい。
・旅 程 (1993年4月27日〜5月9日)
第1日 4/27(火) 成田発11.05 CX501 香港着14.30
香港発17.45 RA410 カトマンズ着20.05
<エヴェレストホテル泊>海抜1,350m
第2日 4/28(水) カトマンズ滞在 市内見学
<エヴェレストホテル泊>海抜1.350m
第3日 4/29(木) 05.00起床、06.00ホテル発、
06.50カトマンズ離陸、07.35ルクラ着陸、 海抜2,820m
10.30トレッキング開始、14.20パクディン着
=歩程3.50= <テント泊>海抜2,652m
第4日 4/30(金) 06.00起床、07.20パクディン発、
10.45〜11.30昼食、14.55ナムチェ着
=歩程3.50= <テント泊>海抜3,440m
第5日 5/01(土) 06.00起床、エヴェレスト望見、07.30朝食、
午前中バザール見学、10.45〜11.30昼食、
11.50ナムチェ発、15.20テシンガ着
=歩程3.30= <テント泊>海抜3,450m
第6日 5/02(日) 05.00起床、06.30朝食、07.15テシンガ発、
11.15タンボチェ着、11.45〜12.15昼食、ゴンパ・資料館見学、
15.30〜17.30タンボチェ-デボチェ往復
=歩程4.00+2.00= <テント泊>海抜3,867m
第7日 5/03(月) 05.00起床、06.30朝食、08.20タンボチェ発、
10.45〜11.30昼食於テシンガ、13.40クムジュン着、ゴンパ見学、
バサン家訪問
=歩程4.35= <テント泊>海抜3,790m
第8日 5/04(火) 05.00起床、06.30朝食、07.30クムジュン発、
10.50〜11.30昼食於ナムチェ、14.50モンジョ着
=歩程6.40= <テント泊>海抜2,845m
第9日 5/05(水) 06.00起床、06.30朝食、07.30出発、
11.40〜12.45昼食於ガート、14.45ルクラ着
=歩程6.10= <ホテル泊>海抜2,820m
第10日 5/06(木) ?起床、?朝食、?ルクラ離陸−?カトマンズ着陸、
午後カトマンズ市内見学、
<エヴェレストホテル泊>海抜1.350m
第11日 5/07(金) カトマンズ滞在 市内・郊外見学
<エヴェレストホテル泊>海抜1.350m
第12日 5/08(土) カトマンズ発09.45 RA409 香港着16.25、香港滞在
<ホテル・キンバリー泊>海抜 3m
第13日 5/09(日) 香港発10.00 CX504 成田着14.55
<帰宅>海抜 131m