2004 東北旅行

去年ニュージーランド&フィジーの旅から戻って、「海外旅行は もう卒業して(本音は軍資金が枯渇してきたから)これからは国 内旅行にしようね。」 と決めて、早速東北旅行を計画し、旅館 の手配なども始めました。ところが、私の発病が確認され出掛け るのさえ危ぶまれる状態になりました。主治医と相談したら、 「海外だと万が一の時大変だが、国内なら何とかなるでしょう」 とのことでした。リフレッシュするのが病気にも良いのだと勝手 な理由を付け、入院を延期までして予定通り出掛けました。

 しかし、抗ガン剤を飲みながらの旅行の上、戻って間もなく入 院したため、旅行記は何となく書く気になりませんでした。半月 くらい経って外泊帰宅し、溜まったメールを開いたら、友人達か ら「旅行記は何時出来るのですか?」 との質問でした。それか ら慌てて病室で下書きして、退院後ワープロしました。

 そんな風にして纏めた旅行記をお送りします。御笑覧頂けたら 幸いです。 *****

嘉瀬 敏 kasesatoshi@ybb.ne.jp

2004 東北旅行

 ジェット旅客機は未だ世に現れず、外国旅行もまだ自由化されない時代に、私たちは結婚した。

その頃の新婚旅行は九州方面の人気が高かった。皆と同じことはつまらないからと、私たちが選んだ旅行先は十和田湖で、紅葉の美しいと言われる10月中旬に挙式することにした。新婚の二人には何もかも美しく見えたが、バスの車窓から眺めた奥入瀬渓流は特に素晴らしかった。その時から 「奥入瀬渓流を是非歩いてみたいね。次は新緑のシーズンが良いね。」 と言い続けて45年も経ってしまった。今年こそはということで新緑の6月初旬に北東北を訪れた。

恐 山

早朝5時に家を出て、昼前にはJR東日本・本州最北端の下北駅に着いた。新幹線のお陰でここまで半日で着くようになった。駅前からタクシーで恐山(おそれざん)へと向かった。 「今日は天気がよいから、是非寄ると良いですよ。」 と運転手さんに薦められ、釜臥山展望台へ途中で立ち寄った。

山頂に立ち並ぶレーダー群は北方領域監視の重要施設とのこと、北からの脅威を実感した。展望台からの眺めは素晴らしかった。眼下に陸奥湾が広がり、陸奥市の街並みがミニチュア模型のようだ。そこから恐山への山道は栃の木の花盛りだった。マロニエと同じような白い花を見て、トチとマロニエは同じなのかが話題になった。

 比叡山、高野山、恐山は日本三大霊場と言われているそうだが、他が鬱そうとした森林の中なのに、恐山の荒涼とした風景は何ともオドロオドロしい。黄色く硫黄が付着した噴気口がそこかしこにある。水の色が真っ赤な血の池地獄、賽の河原、無間地獄、など尤もらしい名を付けられた参拝順路の中には賭博地獄まであった。宇曽利湖畔の極楽浜はゆったりとした美しい砂浜だが、あちこちに供養の石積みがあった。

 寺院本堂内の棚には白無垢姿の花嫁人形のガラス・ケースがたくさん飾ってあった。花婿人形もある。お寺に花嫁人形は奇異な感じがして尋ねたら、お寺に葬られた子供が生きていれば結婚する年頃だと思われるときに、供養のために人形を娶せるのだという。悲しい親心を知った。

 「いたこ」の口寄せには何よりも興味があったが、7月の祭礼時期でないと滅多に会えないとのことだった。  その夜の浅虫温泉 宿屋つばき は美味しい食事と、浅虫湾を見渡す展望露天風呂と、暖かいもてなしの宿だった。夕食後、隣の海扇閣での津軽三味線熱演に、はるばる青森へ来たことを感じた。

八甲田山 酸ヶ湯温泉

 青森港で八甲田丸見学のあと、駅前まで迎えに来た酸ヶ湯温泉の車に乗せて貰った。荷物を旅館まで運ぶように頼み、弁当・水筒・雨具だけの身軽な支度で途中下車し、八甲田ロープウエイを利用した。

 山頂駅からは山並みの先に、岩木山がその山容を際だたせていた。そこから酸ヶ湯温泉までは良く整備された気持ちの良いトレッキング・コースだった。途中幾つかの雪渓を越えるときは、滑落しないよう、雪渓を踏み抜かぬよう緊張もした。木々の芽吹きを楽しみながら湿原の木道までたどり着くと、水芭蕉がここかしこに咲き誇り、お花畑ではチングルマ、イワカガミ、ショウジョウバカマなどの花が、疲れかけた足に元気を与えてくれた。歩行3時間半で酸ヶ湯温泉に着いた。酸ヶ湯まであと0.9kmの標識を見てからの道程を実に長く感じた。

 小休止のあと、「まんじゅうふかし」まで足を延ばした。食べる饅頭を蒸かしているところだと思った人がいて大笑いしたことなど思い出しながら山道を歩いた。以前いきなり跨いでやけどした女性があったとかで、今は木の覆いの上に腰掛けるようになっている。掛けるとぽかぽかとお尻まんじゅうを暖められ、何とも心地よかった。

酸ヶ湯温泉は男女混浴の千人風呂で有名だが、そのヒバ造りの広々とした浴槽では湯気の先に女性客の姿もあった。  鄙びた造りの建物はいかにも湯治場の趣が深いが、夕食にとったワインが以外に美味しく満足した。

奥入瀬渓流

朝靄の立ちこめる中、酸ヶ湯温泉をタクシーで出発し、ブナ林の道をゆっくりと進んだ。深い霧で車は早くは走れない。霧は樹々の間を充たし、霧の間から次々にブナの木立が現れてくる幻想的な風景が続いた。

 途中、蔦温泉に寄って貰った。新婚旅行の時一泊した宿だ。大町桂月の書が掛けられた、我々が泊まった部屋の辺りは建て替えられていたが、正面玄関と大浴場の辺りに昔の面影がそのままに残って、朝靄の中に沈んでいた。

 焼山の観光センターで荷物を預けると、子の口まで運んでくれるサービスがあるのは嬉しい。空身で歩くことが出来る。荷物配送依頼して、そのままタクシーで石ケ戸まで行った。昼食用おにぎりを買って、いよいよ奥入瀬渓流遡行開始。

 前夜の雨で新緑が輝く渓流の美しさに思わず息をのむ。石ケ戸、屏風岩、馬門岩、阿修羅の流れ、九十九島、千筋の滝、雲井の滝など景観の見どころには名前が付けられている。次々に現れる流れと景観の変化は見飽きることがない。途中30分くらい小降りの雨に傘を差したが、雨の奥入瀬は一層素晴らしい。大町桂月が景観の余りの美しさに感動して、 「住まば日の本、遊ばば十和田、歩きゃ奥入瀬三里半」 と詠んだのもうなづける。ここを歩いてみたいとの永年の夢が叶って満足し、しみじみと幸せを感じた。

 子の口までのんびり4時間の歩行を楽しんだ後、十和田湖を遊覧船で休屋まで渡り、ホテルの送迎バスに乗った。部屋から十和田湖が一望できる十和田ホテルも新婚旅行で泊まった想い出の宿だった。

弘 前、 お座敷列車

翌朝、新緑のブナ林の道を滝ノ沢展望台へ上がり、黒石へ抜けた。この山道にもトチの木の白い花が次々に現れてくるのが嬉しかった。今回の旅には妻の弟夫妻も誘ったので、足代を気にしないでタクシーをよく利用した。その時の運転手さんはよく話す人で、湖畔の道を走りながら十和田湖についていろいろ説明してくれたが、それが前日の遊覧船での説明と同じ文句なのが可笑しかった。説明マニュアルがあるのではないかと思ったが、熱心な説明に水を差しては行けないと思い、適当に相づちを打ちながら聞いた。

 弘前では城址、武家屋敷街、津軽藩ねぷた村、古い教会などを見学した。桜の頃、夏のねぷた祭りの弘前が有名だが、その混雑を思うととても訪れる気にはならない。津軽藩ねぷた村での華やかな展示とお囃子、津軽三味線の演奏を聴いて良しとした。

 弘前からの五能線は楽しいスローな列車の旅だった。ここは皆に是非ともと勧めたい路線だ。日本海の海岸線が素晴らしく、途中車内で津軽三味線と民謡の生演奏があったのには驚いた。思いもしなかった列車内での生演奏に、乗客からはやんやの拍手が続いた。

 初日に八戸から下北まで乗った全席指定「きらきらみちのく下北」号も乗ったとき驚いた。座席が畳み敷きのお座敷列車だった。五能線「リゾートしらかみ2号」は向かい合った3人掛けシートを引き出すと、丁度2畳敷きくらいの床になった。寝ころんだり、足を伸ばしたり、これまたお座敷である。

 無人の十二湖駅には末丸旅館の主人が迎えに来てくれていた。回り道して、谷の全景が見渡せる地点に車を止め、日本キャニオンや白神山地の山々の案内をしてくれた。直ぐ下に咲くツルアジサイは初めて見る花だった。

 この白神山地の宿では、まさかワインはないだろうと言いながら注文してみたら、「リープフラウミルヒ・マドンナ」があると言う。これは六本木でよく飲んだものだと言いながら、アッという間に空にして、もう一本頼んだら品切れだった。この旅館にあったのは、あとにも先にも、この一本だけだった。

白神山地・十二湖

 末丸旅館は八景の池の畔に建ち、広間の戸を開けると沢山の鯉が窓の下に寄って来た。「ブナ原生林と十二湖散策マップ」を前にして、主人がお薦めコースを丁寧に説明してくれた。そして 「これが絶対にお薦めのコースです。」 と日暮の池の先にある、一般ハイカーが余り行かない山道の入り口まで車で送ってくれた。

 細い山道に入ると、直ぐにそこはブナ自然林の中だ。世界遺産白神山地と聞くだけでもワクワクするのに、この辺りは極めつけの特に美しい自然林だという。熊除けのためザックにつけたスイスで求めたカウベルが良く響く。足下に二人静の可憐な花も咲いている。見上げたり、、振り返ったりしながらブナ自然林の新緑に包み込まれて歩いた。

 ブナは漢字では木偏に無と書く。杉や檜に比べ、何の役にも立つことが無いから、木偏に無なのだという。眺めて見飽きない緑で我々を優しく迎えてくれるのに、随分失礼な命名と思った。

 やがて道が下りになり、着いた青池は何故これほどまでに青いのか、神秘的な水の色は滴り落ちるような周りの緑をそのまま池に沈めたようだ。近づくと底まで透き通った水の中を、魚がゆったりと泳いでいた。しばし動くことも忘れてその青さを誉めた。そのあと幾つかの池を巡り歩き、落口の池の畔、十二湖庵で抹茶を頂いた。水が良いとお茶が美味しい。

 王池を一周して車道に出たとき、急に雨に見舞われたが宿は近かった。のんびりとお茶の後、主人がサンタランド展望台やビジターセンター、そして海岸の象の岩などの名勝を案内してくれた。別れ際に勧めてくれた、あきた白神駅前のハタハタ館で温泉に浸かり、足の疲れをとった。

 秋田では有名な高級旅館「栄太楼」の前を通ってからホテルに送ってもらった。タクシーにわざわざ回り道して貰ったのは、そこが元横綱大鵬の奥さんの実家だからではなく、我々が新婚旅行のとき泊まった宿だったからだ。今回はその傍の安いビジネスホテルに泊まった。

酒 田

 「本間様には及びもないが、せめてなりたや殿様に」 とまで歌われたように、本間家の往時の豪商振りは領主をも凌ぐほど並はずれていたようだ。本間家別邸址、本間美術館、旧本間邸址、など見学してこれは凄かったのだ成る程と頷いた。本間家別邸にはまだギヤマンといわれた時代のガラス戸があり、今のガラスのように厚さが均一でないので外の景色が揺らいで見えた。しかし当時としては驚くほど高価だったのだろう。

 酒田は初めてだったが見どころの多いところだ。庄内米の米倉として明治の初めに建てられた山居(さんきょ)倉庫は今も実際に使用されている。西日を遮るために植えられたという、裏側の欅並木と倉庫の間の散歩道はなかなか風情があった。国指定史跡の旧鐙屋(あぶみや)は酒田を代表する回船問屋で江戸時代を通じ繁栄し、日本海海運に大きな役割を果たしたそうだ。

 足を伸ばして、土門拳記念館も尋ねた。彼は酒田生まれで、古寺巡礼の写真展示は圧巻であり、「女優と文化財」の企画展示も楽しかった。前庭からは鳥海山も遠く望めた。  しかし、酒田に寄った主目的は別にあった。戦時中に小学2年生だった妻とその弟(今回の同行者)とが、学童疎開していた日和山の裏手の家を尋ねようということであった。旧花街にあったというその格子造りの家は、5年前に壊され建て替えられていたが、妻達が御世話になった方の娘さんがそこに住んでいて、お互い初面識ではあったが、学童時の思い出話がはずんでいた。

 旅館の食事続きだったので、酒田に出たら山形牛のステーキを食べようと、乗ったタクシーに何処が美味しいかを尋ねた。別のタクシーでも尋ねたが、ともに、「おく山」を推薦してくれた。余程有名な店らしい。暫く振りのサーロイン・ステーキに舌鼓を打った。普通は切り捨てている脂身の部分から、手間を掛けて脂分を取り除き、丁寧に調理したのも良い味付けで、脂身の新しい食べ方を学んだ。カベルネソーヴィニオン系のワインも良く合っていて、すっかり満足した夕食になった。

   

山 寺

 酒田から乗った羽越本線の列車は、余目(あまるめ)から陸羽西線に入り、最上川沿いに新庄へ向かった。余目は妻と弟たちの両親の里で、二人とも懐かしがっていた。新庄と山形で乗り換えて山寺を目指した。 山寺(宝珠院立石寺)も一度は参詣してみたいと思っていたところだ。  芭蕉が山寺で詠んだという 「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」 は余りにも有名だが、実際に参詣して、鬱蒼とした木立の間の石段を踏みしめながら、芭蕉のこの一句が如何に優れたものであるかをしみじみと体感した。観光客で賑わっているのに、この閑かさを感じさせないではおかない古刹の霊気の凄さを感じた。1,015段の石段を登りきり、大仏堂で土産にと数珠を買ったあと、少し下った五大堂からの眺めも素晴らしかった。  山を下って、山寺芭蕉記念館でその足跡を学んでから、観光果樹園でのサクランボ狩りを楽しんだ。大好きなサクランボだ。食べ放題というので欲に釣られて、口と手を休めず食べまくった。さすがに満腹になり食べ止めたが、出口で土産用に売っているサクランボをつまんでみたら、その味は段違いに良い。どうやら売り物には出来ない取り残しサクランボの始末・整理をさせられたらしい。それでも美味しかった。  山形駅に戻り、山形牛をもう一度ということで、山形牛の焼き肉屋に入った。カルビが殊の外おいしかった。  新緑に包まれ、よく歩き、よく遊んだ楽しい一週間であった。

 ( 2004.7.13 聖マリアンナ医大 病室にて )


嘉瀬 敏 eメール kasesatoshi@ybb.ne.jp