ウクライナ日記第2回現地調査(平成9年12月7日―12月19日)
平成9年12月7日(日)
今回はチューリッヒ経由であることが最大の楽しみ。
JAl417便チューリッヒ経由ローマ行きに乗り込んだのが12時時差8時間スイスチューリッヒに16:30予定通り到着した。
スイスは子供の頃からのあこがれの地、このように簡単に来れるとは夢のようだ。
しかし、ストップオーバーの僅か1泊、同行のMRI宮崎氏はあまり感動の様子もない、おそらく既に、何回も訪れているのであろう。
私はマリオットホテルでチェックインするとすぐに、チューリッヒ中央駅まで散策に出た。
ここはフランクフルトと違い市の中心街空港からも近い。
鉄道駅はムードがある。
ここからスイスアルプスへの列車が出るのだと思うと胸がときめく。
50分ほどうろついたが、楽しい散策であった。
ゴールデンロードや氷河鉄道の観光案内がある。
また改めて妻と一緒にここからアルプスへの旅をしたいものだ。
マリオットホテルは5つ星で最高級、さすがに感じが良かった。
夕食も朝食もクーポンがついてバイキング形式の食事で満足したが、スイスならではの特色は感じられず、少し残念であった。
しかし高級ホテルで1泊し、スイスに踏み込んだのだから喜ぶべきである。
平成9年12月8日(月)
スイス航空SR417便でキエフ到着16時5分 今回、PCIから、私達のレポートに対する不信感が抱かれ、そのことが私の頭の中を支配しており、スッキリ快くなれない。
平成9年12月9日(火)
ホテルルースでの生活の始まり。
よく眠れたようだ、7時まで目が覚めなかった。
自宅とNSDへ部屋番号と電話番号を連絡した。
前回と全く同じ要領で朝食をとり、8時半に出迎えの車に乗り込む。
MRI宮崎氏、イングランドのMiss Joy Harris彼女は前回のWilliamsの後任、しゃべり好きの女性である。
アイルランドのF.Slyeの4人である。
キエフの町は道の両側に雪が残り、気温は0度であった。
今回は佐藤氏は日本に残り、私がPCを携えてきた。
PCIオフィスでの最初の仕事はそのPCのセットアップである。
難なくセットアップを終えることができて一安心であった。
SystemNeeds Reportの出だしとなるISの評価基準をリストアップして津村氏にレビューを頼んだが、別の仕事で一杯だといって私の案に目を通してくれない、「改めて相談しましょう」と一言いってPCに向かって作業を続けている。
東京から何やら宿題が出たらしく、とにかく忙しそう。
果たして、私あるいはNSDに対してどんなコメントを用意しているのやら、私はそのようにほっておかれる反面、F.Slyeには何かにつけて相談やQ&Aをする。
こちらには何の指示もないので、次のレポートとなるSystem Needs Reportの本文をまとめていった。
明朝一番にNSDにFaxできればよいが。
10時半達成感のない1日を終え、一風呂浴びて寝ることにする、明日もまたNDCの訪問のアポイントはとれていない。
Plushech Yulyとは電話で連絡がとれた。
土曜日曜にまた楽しい囲碁の時間を持つことができる。
平成9年12月10日(水)
朝4時目がさめてしまった。
どうしたことか、昨日より眠れないとは。
昨日、疲れて10時ごろ眠くなった。
日記などで遅くなり、11時過ぎまでかかり、タイミングがずれた。
また床に就き悶々としていたら、朝6時半佐藤氏からの電話である。
成果らしきものは何も報告できなかった。
PCIオフィスに着くと、案の定、NDC SSA見学会はアポがとれていない。
昨夜F.Slyeと話していたFintanの作った資料「SSAのFunctional Spec」が渡された。
中身をパラパラめくると、実に内容のある資料である。
SSA全分野をカバーするモジュールの説明資料である。
彼の優秀さを改めて認識した。
アプリケーションのみならず、コンピューターにも強いことがすぐに認められる。
この際これを徹底的に勉強してやろう。
午後、早速、この資料を読み始めた。
分からない部分は彼への質問事項としてまとめておこう。
アプリケーションの理解ができると共に、SSAのシステム設計そのものである。
Fintanはメンバーのなかでもっとも若いのに、ここまでの資料を作れるとは、全く驚きであると同時に私あるいはNSDはどうすればよいのか、Specとしての表現方法も素晴らしい。
不足といえば、モジュールが処理するデータベースの定義がないことである。
私はこの半年の勉強の成果をプロセスモデルとERDを作り、200万の価値はあると周りに自負したが、彼の資料と比べると、彼のは大人の資料私のは赤ん坊の資料である。
この際、彼を師と仰ぎおおいに学ばなければならないと思う。
今日もまた現場調査は一向に進まなかった。
しかし、彼から貴重な資料を提供して貰った。
津村氏との話し合いも進展せず、今日は1日中勉強したが、これで良いはずはない。
夕食は津村氏も入り、中華料理屋に行った。
代金はMRIで持つという。
ホテルでは風呂の湯が出なくて困った。
係員を呼んで30分後に回復、ようやく一風呂浴びて寝るところである。
平成9年12月11日(木)
早くも木曜日、朝7時佐藤氏の電話で起こされた。
こちらでの進展、津村氏のNSDへの評価が気になって毎日電話するという。
今日もNDCとの折衝はない。
朝からFintanとの約束を実行した。
私がノートにリストアップした質問にほぼ完全に答えてくれた。
電力卸市場のアプリケーションへの理解が深まっていく。
彼におおいに感謝しなければならない。
彼は私の熱心さに応えようともっと分かりやすく資料を作り直すという。
午前中はこうして充実の時間を過ごした。
午後はSystemNeedsReportの原稿作りに取り組んだ。
何回書き直しても大幅な進歩・改善にはならないが、少しでも良い資料になるように頑張っている。
6ページ資料ができた。
佐藤氏へはFaxが動かず、遂にホテルからFaxすることにした。
夜8時までFax送信サービスを受け付けている。
7時で間に合った、しかし料金が高い、65.8グリブナかかった。
夕食はまたホテルの豚肉料理、Fintanは一昨日の経験から日本の醤油を楽しみにしていた。
旨そうにたべていたので、こちらも満足である。
明日は彼の作る新しい図で話し合おうといってくれた。
ありがたい限りだ。
私は他の連中ほど英語がうまくない。
他の3人は約2時間英語で歓談していたが、私は中に入れずはがゆい思いで、夕食の終了を待った。
10時一風呂浴びて寝ることにする。
平成9年12月12日(金)
昨夜は早めに床に就いたので、今朝は6時に目が覚めた。
佐藤氏からの電話は6時40分Fax届いたとのことで一安心。
若生氏とも会話できた。
NDCの調査は今日もお預け、私は、Fintanの資料から日英対訳集の辞書作りをした。
夕方Fintanから申し出があり、私が作ったInformationFlowについて議論したいという。
彼が、矢継ぎ早に質問してくるのに対し、こちらの返答はしどろもどろ、とにあれ、オリジナルを読んで貰わないと理解は得られないと思い、そのように答えたが、英語力の問題で、どうしても相手の満足を得られるようなところまでいかない。
またまた英語力の弱さを露呈してしまった。
夕食は誰の発案かはわからないが、ルースホテル別館のレストランOld Castleでとろうということになり、アンナも参加して楽しい夕食となった。
ルースレストランよりやや高級といった程度。
明日は休日で、津村氏がディスコに行こうと皆を誘う。
しかし、みな乗りが悪く賛同者は出ない。
結局1人の賛同者もなく散会となった。
宮崎氏、Fintan,私の3人は11時までホテル14階のバーで飲み部屋に戻った。
平成9年12月13日(土)
楽しみな土曜となった。
昨夜はディスコの誘いにものらず、今日の碁に備えた。
午後2時プリューセシが迎えに来てくれる。
磁石碁盤を約束通り彼に渡すことができる、
おそらく喜んで受け取ってくれるだろう。
自宅に電話し、折り返し、国際電話のかけ方を指示通りに実行してきた。
家内は初めての経験だと思う。
若生氏は留守だった。
10時半
日本へ持ち帰るおみやげ買いに出かけた。
露店は雪のためか、前回訪ねたクリスタルの店は出てなかった。
専門店のフォフォに立ち寄り、4種類のクリスタルを購入した、何せ私ひとりなので、買い物も要領をえなかったが、何とか用は足せた。
ロシア人形はおみやげ専門店で特大を1個買った。
家内が何というか、とにかく買って帰ろう。
プリューセシは1時40分ホテルへ迎えにきてくれた。
碁の道具を沢山おみやげといって渡した。
大喜びで、本当にこんなにいただいてと恐縮していた。
約束していた磁石碁盤の他にも、前回の訪問で、碁石や碁盤が粗末なものが多かったので、重いのだが、本当に喜ばれる物が良いと判断し、2組の碁石と碁笥、2面のゴム製碁盤を持参してきた。
会場の青少年宮に着くと、今度も5人のトーナメントを行うことになった。
今回は持ち時間20分、そんな早碁はやったこたがないが、無理に拒む理由もないので、快く応じた。
第1局は一番強そうに見える若者、前回も苦杯をなめた相手である。
とにかく時間切れだけは避けたいと着手を早め、手強い相手と思っていたが、大切なところで、相手が間違えてしまった。
私の中押し勝ち。
2回目の相手は少し弱いように感じた。
コウをしかけて勝負になったが、私の方がコウに勝って勝負にも勝った。
3回戦は当のプリューセシ氏である。
中盤、形でとびつけたところを2目の頭をたたいて逆襲し、中央の要石を取り込んで、優勢に立ちそのまま押し切った。
何と3連勝である。
私が優勝してしまった。
図らずも持ち時間わずか20分の早碁は荷が重いと思ったのに、優勝できるとは、
意気揚揚とホテル戻ってきた。
夕食会が、PCIアパートで開かれているので、行かねばならないところだが、電話で断り、疲れて横になると眠ってしまっていた。
平成9年12月14日(日)
買い物に付合ってくれるようプリューセシに頼んでみたところ快諾してくれた。
大助かりである。
クリスタルとウオッカをお土産に買いたいと伝えておいたので、適切な店を前以って調べて来てくれた。
トルストイ広場にまず案内しようと私を連れ出した。
ホテルにほど近い。
佐藤氏と散策するクレスチャティク通りの左手に位置する。
クリスタル屋は生憎日曜日でクローズ、ウオッカはクレスチャティク通りの酒屋で2本購入した。
19.5グリブナ/1本、店の話によると、ウクライナで最高級品とのこと。
クリスタルはボザブナーナ鉄道駅の近くのデパートがよい、トロリーバスで出向いた。
トロリーバスも初めてで乗ってみたかった。
停留所もすぐのところで、余り待つこともなく、乗車できた。
空席を見つけて腰掛け、車掌がきたら切符を買えば良いのだろうと思っているところへ、2人の男が我々のところに詰め寄ってきた。
プリューセシと話し始めた、プリューセシは困った顔をして、何か、2人の男に反論しているようだ。
規則違反だと主張しているのだそうだ。
彼の説明によると、切符を購入していないのに、乗るとすぐ、座席に腰掛けてしまったことが規則違反だそうだ。
私が外国人であることも1つの理由かもしれない。
詳しいことは分からない。
通常料金の20倍支払えと詰め寄っているという。
通常料金は30コペイカ、その20倍1人6グリブナ、二人で12グリブナ払わなければならない。
日本人の私には簡単なことなので支払った。
プリューセシは自分の責任だといって、責任をとろうとするが、12グリブナは持ちあわせていなかった。
彼はそういえば、前回も現金は1グリブナしか持ち歩かないと話していたのを思い出した。
2人の男はキエフ市のコントローラーだそうである。
私はプリューセシが困らないよう懸命に説明した。
「あなたのミスかもしれないが、私が頼んでこういうことになったのだから、罰金は私が払う」と、彼は完全に納得したわけではないが、現金を持ちあわせていなかったことも反省していたようである。
一通り買い物もできたので、青少年宮に向かった。
ティシェンコ氏も既に来ており、今日の参加者は10名前後、12人で置碁方式の大会を始めるという。
私も参加することになった。
1回戦の相手はおばさんで何と12子局、12子局は今までの長い囲碁人生でも初めてである。
2回戦は昨日も対局した若者、3回戦は女学生、星目いずれも大勝し、4回戦でプリューセシと当たった。
決勝戦だそうである。
終盤に乱れてしまって良い碁を落としてしまい残念、やはりプリューセシには叶わない気がする。
ティシェンコ氏が地下鉄でホテルまで送ってくれた。
12月15日(月)
今日は一段と冷え込みホテルの外では雪が舞っている。
約束の8時30分に来るはずの迎えがなかなか来ない、9時近くなり、何か異変でもあったのだろうかと思い、PCIに電話をかけようとしたところに、津村氏があたふたとホテルのロビーに入ってきた。
彼の話では、今日はマイナス20度ですという。
明日はマイナス30度まで下がる見込みだそうだ。
ホテルとオフィスの間を車で往復する分には支障はないが、いよいよウクライナの冬を経験することになった。
オフィスに出ると10時半頃津村氏が打ち合わせしようといってきた。
F.Slyeと3人でフェーズ2のレポートであるInformation Flow&Capabilitiesレポートをいかに編集するかの打ち合わせである。
津村氏から目次の提案があり、担当の分担を話し合った。
我々NSDとして、津村氏の要求レベルに合うものでなかったために、F.Slyeが補強選手を勤めてくれる。
しかも重要な部分を彼が担当してくれることになった。
私はホッとする反面、情けなさも感じた。
私の担当分はSSA,MFAのデータフローと主要データである。
まずSSAの主要データをまとめた2ページ程こんなイメージでどうですかと津村氏に提出すると気にいってくれない。
用語の問題、正確さなど改善の注文がつく。
こんなやり方が続くのであれば時間がかかる、F.Slyeが作成してくれたFunction Specificationを読んで理解できないところは彼に聞いておく必要がある。
ドラフトシステムニーズ レポートは書きかけて中断している。
いやはや、やることが溜まってしまった。
肝心のNDCへのコンタクトは一向に進まないというのに。
津村氏から前回のレポートに関する感想ももらえず、全面的書き直しとなった。
寒くなるし、一風呂浴びて寝るのが一番、その前にコルニロフさんに電話し、明後日会う約束をした。
12月16日(火)
今朝はー20度とのこと、迎えの車の到着を確認するため外へ出たが、肌を刺すような冷たさ。
周囲の話では、今後もっと寒くなるらしい。
午前中はSSAのデータフローと主要データサマリーを書き終え、午後はMFAに着手した。
MFAはどこまでシステム化されているのか、これからの計画が述べられているのかが分からない。
専門用語が多くなかなか理解できないでいらいらした。
午後3時半頃津村氏に呼ばれた。
「少し話しておきたいことがある」と、私は遂に来たかと咄嗟に思った。
彼の席の前に座った。
キエフに来る前から想像していたとおりの内容だった。
私の判断に狂いがなかったことだけが唯一の救いである。
私と佐藤氏の総合力ではコンサルティングレポートが能率良く書けない、英語の読解力がない、電力のことが分かっていない。
彼指摘の三点はズバリ当たっている。
特にアイルランドESBの若者F.Slyeと比較すれば自ずと明らか、27歳と若いのに優秀で、はっきりと表現し、自信たっぷりである。
津村氏にはもってこいの助っ人である。
はじめはSlyeの実力が分からず、彼の役割はソフトウエアパッケージの選定でこのプロジェクトに参加させた。
我々NSDグループのレポートは質が悪いし、英文資料の咀嚼も遅いときているものだから、津村氏はSlyeをすっかり頼りにして使っている。
NSDの今までの2つのレポートはSlyeに8日与えて書き直させた。
PCIは余計な金がかかったと津村氏は言う。
これで首にされると思いきや、今回NSDにとって初体験でもあり、今までのことは大目に見ると許してもらった。
次のドラフトシステムニーズレポートで改善が見られなければ、根本的に考え直すという、NSDの予算で第三者のコンサルタントを雇う。
若生氏が心配したとおりの彼のコメントであった。
次のレポート提出期限を来年1月15日と切られた。
さあ、あと1ヶ月どのようにこの難局を打開し、PCIの満足のいくレポートが作れるか、帰国してからが大変である。
年末年始の時間があるのが幸いであるかもしれない。
ホテルに戻ると、6時半にプリューセシ氏が訪ねてきた。
実に礼儀正しい謙虚な人である。
一昨日の12グリブナは彼のフォールトだから払いたいと申し出てきた、そうはいっても私の用事で起こったことだし、私にとっては大した金額ではないと受け取りを固辞した。
彼も納得してくれたようで安心した。
こんなことで貴重な碁の友達を失いたくない。
もう一つの彼の用件は、次回私がキエフに来るとき、碁の本を買ってきて欲しい、その本を特定することであった。
イチャンホの新定石、大模様や中国流布石の本などが彼の希望であった。
私はおやすいご用ですと引き受けた。
彼と別れてホテルで1人寂しく夕食をとり部屋に戻った。
明日は残業になりそうな予感がするのでコルニーロフ氏に断りの電話を入れた。
やはり今日の津村コメントが私の頭を覆ってしまった。
12月17日(水)
昨夜、寒さに耐えられず、10時半に床に就いたのに、朝4時半に目が覚めてしまった。
昨日の津村ショックのためである。
頭が冴えて眠れない、東京はもう勤務中である、NSDに電話をいれたが、橋本さんは外出、佐藤さんは休暇、再度橋本さんに電話をいれると
小岸常務が電話に出られた、要点のみ伝えた。
東京でも心配し始めるに違いない、朝6時
赤坂氏にも電話し、若生氏が一番心配していたことが起こってしまったことを伝えた。
彼は外出でオフィスにはいなかった。
ホテルを出る前に3ページFAXしておいた。
オフィスに出ると、津村氏からプレッシャーがかかる、今週中に2番目のレポートを仕上げるように指示された。
レポートの遅れはプロジェクト全体の遅れになる、耳が痛い、しかし筆ははかどらない。
MFAを理解し、主要データを洗い出さなければならない、あれこれ迷うことばかりである。
実に辛い一日であった。
ホテルに帰ってもMFA資料と格闘しかけたが、部屋は寒いし、際限ない仕事量に思えたので開き直って寝てしまった。
12月18日(木)
寒さも和らいだ、外の気温マイナス6度。
明日までのレポートを必死にまとめた、そしてMS−Wordで懸命にEditした。
津村氏は私の仕事ぶりをみて東京の後方部隊はどうなってるのかと追求してくるし、東京の佐藤氏は5ページの文書を送るといってくるし、やや混乱気味である。
アンナからE−mailの添付ファイルを受け取り自分のPCに取り込むのがやっとであった。
午前中何とかSSAについて形をつけた。
後はMFAである、
再び、Lahmeyerのレポートと格闘である。
主要データだけは選別できた。
開き直りも手伝い、とにかく形をつけることに専念した文章は3行しか書けなかった。
F.SlyeはSSAとMFAの機能と、需要予測、水力の可稼動能力、会計システムをまとめていた、彼は12ページの資料を用意していた。
津村氏からの要請をすべては網羅できなかったようだが、献身的にプロジェクトに寄与している。
我々のサポートを充分にやってくれているのだが、私の立場からすると憎らしく思える。
私は彼の作成した資料を1時間かけて読んだ。
貴重な情報を彼は真面目にレポートしてくれている、私の意見を彼にぶつけると、全て私の意見に従ってくれた。
今度我々が作成しなければならないドラフトシステムニーズレポートに盛り込むべき内容になっている。
PCIオフィスは残業しないのが習わしだが、今日ばかりは7時半まで残業した。
7時半頃ローカルスタッフが帰り始めた、我々コンサルタントグループも9時にホテルに戻った。
J.Harris、宮崎氏、F.Slye4人でホテルで一緒に夕食をとった。
夕食後F.Slyeと2階のバーで二次会を持ち、生半可な英語で彼といろいろ話しをした。
多くの貴重な情報を提供してくれたことに感謝の意も伝えた。
良い時間が持てて大いに満足した。
今後彼と津村氏との約束がどうなっているのか、この質問は津村氏にしなければならない、それ以外私の聞きたいことはすべて聞くことができた。
次回のレポートに備えて少し自信を持つことができた。
F.Slyeのお蔭である。
12月19日(金)
早くも最終日となってしまった。
明日はキエフを離れてしまう。
Information Flow &Capabilitiesレポートに関し、自分の分担分を書き終えてホッとしているところへ、津村氏の指示が出た。
当レポートの編集をNSDに頼む、彼としては当然の要求だが、私はギクッとした、私とF.Slyeの書いた分を編集してくれるのは津村氏自身だとばかり思い込んでいたからである。
私の思い込みは実に甘ったるいものであるとすぐに反省した。
津村氏は「はじめに」の部分だけ書くという。
11時半突然であったが、セットルメントの担当者が訪ねてくるという。
GIVC部門からKlipkov他2名のメンバーが訪ねてきた、何と我々のPCIオフィスの隣の部屋でセットルメントのソフトウエアの改良を手がけているのだそうだ。
作業状況を午後見学に来いという。
午後からF.Slyeと一緒に見学に出かけたのだが、F.Slyeが一方的に質問し私は途中からついていけなくなった。
Fintanはキエフを発つ時間になって却って幸いした。
私は改めて日本語通訳のユーリアを残し、自分のペースで質問していった。
お蔭で議事録も自信をもって書くことができた。
GIVCはNDCの依頼でSSAのソフト開発と保守を受け持っている部門であることが分かった。
資料の提供を要求したが、生憎Yalovoyマネージャーが休暇で勝手に出せないと断られた。
いよいよ私もオフィスを引き揚げる時間となった。
津村氏と最後に重要な話し合いをしておかねばならない。
彼の説明は
1. NDCの協力が得られないのでプロジェクトは全体を1ヶ月遅らす。
2. 今後もNDCの協力が得られないようならば、1月20日を目途に日本大使館を通じてウクライナ電力省に経過報告し、改めてNDCへの協力を要請する。
3. 次回のキエフ訪問は時期がずれるかもしれない。
1月下旬に決めて連絡する。
4. I F & Cレポート書き直しはこれまでの材料に基づいてNSDで完成させること
期限1月15日
5. 2月初めF.Slyeをキエフに1週間来させる。
IS/ITDevelopmen t Strategyをどうするか彼と相談する。
その費用は100万円PCIで負担する。
6. ドラフトシステムニーズレポートはF.Slyeの書いたHigh LevelFunctional Specificationがあるべき姿を描いているので参考になるはず。
1月15日までに原稿仕上げること。
私は反論らしきことは何もできず、ただ宿題を持ち帰るのみである。
今度がNSDチームの正念場である。
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