第3回現地調査 平成10年3月28日―4月17日
平成10年3月28日(土)
とうとう第3回目の現地調査への出発である。我々のターゲット先であるNDCは門戸を開いてくれるかどうか、NDCが我々の協力に応じてくれるかどうかギリギリの状態で乗り込む。MRIは1週間遅れて来る、佐藤氏も1週間滞在期間がずれる、F.Slyeも来ない。たまたまPCIの井坂氏が1ヶ月半日本に戻り、交代要員として28歳の大西氏が赴く、大西氏と同行する。3月29日(日)
早起きして散策を楽しもうと目論んでいた、6時に起きた、朝食の7時半まで散歩できると思い、フロントへ降りた、そこでサマータイムのことを思い出した。1時間損した思いである、しまったと思ったが、仕方ない、30分でも散歩した方が気分がいいので、散歩に出た。いたるところ古い建物、大理石の彫刻、まるで街全体が博物館のようである。
シャベヒャート空港まで車で送ってもらいオーストリア航空 ウイーン発10時35分でキエフに向かった。僅か2時間のフライトでキエフに着いた。キエフは雪も消え暖かくなっていた。井坂氏、ドライバーのドミトリーが出迎えてくれた。「日本から春をおみやげに持ってきた」などと冗談をいいながらルースホテルへ到着、旅装を解いて午後5時まだ外は明るいし、夕食には早すぎる、日本はもう夜の帳で電話もできない、いろいろ思いをめぐらせ、碁の仲間のことが気にかかり、トラムで青少年宮に出かけた、もう6時でそろそろ碁会も終わる時間だが、突然の訪問者に驚いたことだろう、プリューセシ氏もティシェンコ氏もびっくりして迎えてくれた。3月8日に日本大使館の主催で囲碁大会が開かれたことや、今年10月に日本将棋連盟が初の国際大会を開催する、ウクライナも1名の参加枠を貰っていることなど、を聞き、彼らも発展しているようで嬉しかった。おみやげはホテルに置いて出てきたことを話すと、二人がホテルまでお供してくれることとなった。
今回は囲碁や将棋の本が主たるおみやげですとおみやげを渡して別れた。彼らを食事に誘ったが、家族が待っているからと帰っていった。彼らは実に質素である。
私は寂しく1人でレストランで食事を済ませた。貴重品をセーフティボックスに預け明日からの仕事に備えた。津村氏はロンドンに行く予定と聞いていたが、キエフにいることも分かった。さあNDCの協力をとりつけなければならない。
3月30日(月)
仕事の初日、8時30分大西氏がホテルに時間通りで迎えてくれた。外国人コンサルタントは私1人である。朝食前、日本へ国際電話を自宅と、NSDに入れた。妻には絵葉書も書いた。
PCIオフィスは内装され、明るく清潔な感じになっていた。ローカルスタッフの人達や井坂氏、津村氏が次々に出勤してくる。それぞれに元気で挨拶した。ローカルスタッフのスベトラーナがNDCから提供して貰った資料を見せたいが、何しろ量が多くてプリントに時間がかかると言ってきた。PC画面を覗くと、日本にもファイル転送してくれたSSA PaymentCalculation のExcel表である。彼女によると中には2000ページのものもあるようだ、私は各ファイルの最初2ページをプリントするよう指示した。自分のPCをセットアップする余裕もなく、津村氏との打ち合わせに入った。
まず、外人サポートの件、次にNDC調査の件、当件については私の考えをNDCに申し入れたいので、早急にまとめて欲しいとの要求である。私ならこうすると日本に居るときから考えていたので、すぐにまとまった。調査方針と調査方法を1ページに整理して報告した。Payment Calculationのデータ及びデータフローの調査表を準備してきたので、それも幸いした。私が日本語でまとめたものを、津村氏が英訳し、更にアナトリーがロシア語訳してNDCと交渉に行くわけである。
その後はSystem Needs Report の校正に入った。昼までにほぼ校正を終了した。午後また津村氏からの要請でExcel表の不明点の洗い出し作業に入った。
ロシア語を英訳した資料であるので翻訳の間違いも充分考えられる。津村氏と協同で作業したが、二人の解釈にズレが出る。そのズレこそユーザーに聞いて明らかにすべきことなのである。作業は佳境に入ろうという段階で、二人の訪問者があった。全くの突然で、津村氏が通訳をまじえて会話を始めた。この二人こそSSA部門のキーマンであるゴルブ氏とITマネージャーのスプリクニク氏である。津村氏は懸命に協力を要請する。二人はPCIが本当に役立つことをしてくれるのか疑っている模様である。
これまでにも西側のコンサルタントが何回もアプローチしたが、時間ばかりとられる割には、自分達の役に立っていないと彼らは主張している。PCIは違う、SSAに役立つプロジェクトを進めるのだと、津村氏は強調する。30分ほど議論していたが、SSAからの同意がとれた。「6回の調査を許可する、4月中旬にPCIからのPilotProjectに関する提案を聞く。」遂に私ないしはNSDのやるべき時が来た。
午後7時ホテルに戻り、1人寂しくレストランでの夕食を済ませ、今日の整理をしている。風呂の水が溢れているのも気付かずに。 午後9時半、早目に一風呂浴びよう。
3月31日(火)
6時半起床、昨日分の整理を佐藤氏にFAXで連絡。
我々は、NDCがダメなときはNERCにターゲットを変更しようとしていただけに、昨日のSSAの回答は大変勇気ずけられる。
オフィスに出て、システムニーズレポートの校正終了分をディスケットにアンロードし、PCIに提出した。その後はSSA部門に対する調査質問項目を整理していった。Excelシートは多量で200ページもあろうか、しかし、スベトラーナがよく整理してくれているので助かる。どこまで詳しく質問すべきか、時間を考慮して重要なものを選ばなければならないと思っているのに、津村氏は際限なく、質問事項を挙げるので困ってしまった。まあとにあれ、1回目の調査が旨く行くか否かが、重要なので、詳細に洗い出しておくことにしよう。1回目が旨く行けば、2回目以降も旨く行くはずである。
NSDからは橋本部長が外人サポートの2ヶ月分は多すぎると言ってきた。津村氏にそのまま伝えるわけにもいかない。Payment Calculation のExcel表に関する質問事項は一通り明らかにして終了した。これも日本語から英語、さらにビクターに頼んでロシア語に。作業は英語主体になりいささか疲れた。
津村氏から新たな宿題が出た。Payment CalculationをRDBと高水準プログラミング言語で作り直す金額の見積。SSAの調査も始まってないのに出せるわけがない。しかし何らかの前提を設けて出さないといけないのだ。
夕方7時にはホテルに戻った。外はまだ明るい、今日も1人でホテルのレストランで、と考えると憂鬱になってしまう。クレスチャティックは近いし、外も歩きたい、1人歩きは危険と言われているが散歩に出ることにした。おそらく人通りは多いし、危険は少なかろう、この判断は間違ってなかった。ビール、ライター、スモークサーモンなどスーパーで買い物し、9時前にホテルに戻り、ビールとつまみで夕食を済ませた。これもまたいいものだ。 10時半就寝
4月1日(水)
朝6時半起床、部屋内の温度は26度Cで暖かい。
昨日、PaymentCalculation資料を一通り目をとうして質問事項をまとめた。今日はDispatchingとPricing,IT Section の分をまとめる。
津村氏が1月の議事録をもう一度読めと言う。私の頭の中にはもはや残っていない、こちらの落ち度である、きっちり読んでNSD内にその内容を理解させておくべきである。
午後英国から津村氏に連絡が入った。外人サポート要員についてBOYDとの交渉は1日600ポンド(15万円)で交渉するらしい、当件もこちらに責任を押し付けてくる、要するに、高本さん決めてくれということらしい。津村氏はPCIとして今後必要になるのはITマネジャだという、BOYDをNSDで雇ってくれと話しが変わってきた。断続的に使っても良いという。
早速、私の考えとPCIの考えを整理し、日本へFAXした。SSAの3部門の概要も整理し日本へ送った。やはり現地でないと情報が的確に伝わらない、日本にいるとこんな動きがあるという程度しか分からない。早くも5日経ってしまった、もうここまできたらNDC,
SSA、Payment Calculationに焦点を絞って進むしかない。NSDの日本での状況はどうだろうか。
案の定、コミュニケーションミスが出た。Payment Calculationに関する8ファイルを送ったはずなのに日本は受け取ってないといってきた。日本の作業は全然進まないことを意味する。
4月2日(木)
朝7時、佐藤氏から電話が来た。
外人サポートの件はPhase3で4月3週間、7月に1週間にするそれ以降はペンディングとの回答である。早速オフィスで津村氏へ報告、彼は直ちに英国へ連絡、アクションを取った。契約はPCIがする、NSDは費用負担だけしてくれれば良い。
NDC調査の件も、4月3日のPaymentCalculationに対する調査、4月6日はDispatch&Pricing 更に4月7日はSidrenko氏が統括するDemandForecastやHydro Schedule
やNDCサーバのDBFアーカイブの内容に関する調査項目を整理し、津村氏が英訳、アナトリーがそれをロシア語にしてNDCと交渉する、こうして、とりあえず第1回目の各部への調査準備は整った。明日は9時スタートなので日本語通訳のユーリアも8時45分には来てくれることになった。
11時ごろ津村氏は日本大使館に資料を届けに行くと言う、私も一度は日本大使館へ行ってみたいと思っていたので同行を申し出た。お易い御用と承諾してもらい、すぐに出発
クレスチャティック通りに面した堅固なビルの7,8階を占めており各扉は二重、三重に
ガードされており、物理的セキュリティ管理の厳重さは目をみはるものがあった。目指す部屋へ通されるまで扉を何度開閉したことやら。
こうして、私の積極的な申し出に津村氏もこころを開いてくれたようである、とにかくこのプロジェクトを成功させたい、そしてまた後続の仕事も探したい、情報システムの分野の将来性を感じるなど、車の中で、前向きな会話を交わしながらオフィスへ戻った。
私もようやく彼と歩調が合ってきたような気がする、彼の要望を汲んで3月28日から早めに現地入りしたのも良かったように思う。4月以降滞在を延長しても良いとまで言ってくれた。System Needs Reportも苦労したでしょうと労をねぎらってくれた。
4月3日(金)
今日は9時からのPayment Calculation部門の調査に備え、8時10分にホテルを出た。
日本語通訳のユーリアとも久しぶりに会った。2ヶ月前に女の子を出産したとのこと、幸せそうであった。あたふたとNDCへ向かう、入館にはパスポートが必要である。訪問者の長い列ができていた、スプリクニクマネジャが案内してくれてスムーズに入館でき早速4階のPayment Calculationに通された、担当のYevdokimou氏は好青年で、質疑応答に対応してくれるという、津村氏があいさつと、主旨の説明を終え、私にバトンタッチ、私は準備どおりの段取りで進めようとしたが、Yevdokimouは自分のペースで説明したいらしく私の話は遮られた。逆に彼の話が長くなり始めた。私は焦った、すべて彼に任せていると肝心の情報は得られないかもしれない、彼は能率を考えて前以って準備してくれていた様子でもない、通訳がまず理解できるだろうか、電力用語、情報システム用語に精通しているわけではない。私はあえて彼の話を遮った。約束の時間3時間でこんなことを質問したいのだと主張した、津村氏も横から彼の関心のあるところをあれこれ質問するので、話がブランチしてしまうこともあった。
しかし、何とかNDCの調査の壁を破った。第2回目の調査の約束も取り付けることができた。次回は4月6日月曜日Dispatch&Pricingと2時間IT Section で1時間時間をとってくれることになった。
夕方、毎週恒例になっているというティタイムが終わり後片付けをしていると、津村氏がMR.Boydの件はダメになったといってきた。英国内の仕事が中断できないとの理由らしいが、真の理由は分からない。私としては内心ホッとした。Mr.Boydが入らなくても活動を続けられそうな気がするからである。しかし、なしでやります、といえるほど自信があるわけでもないし、いえる状況でもない。そして、津村氏はまだ諦めず、別の人間を探すように国際電話で指示を出していた。
夜は日本人4人と津村氏夫人と子供が加わりKorean Restaurantで食事、奥の部屋にカラオケ設備があり、カラオケを歌った。「長崎は今日も雨だった」「大阪しぐれ」「シクラメンのかおり」「長崎の鐘」4曲も歌ってしまった。何だか私のための接待の感じであり恐縮してしまった。津村氏と夫人はお子さんを楽しませようとABCの歌を繰り返し繰り返し歌わせていた。大西さんが2曲、津村氏2曲、井坂さんゼロ、夫人もゼロ。
4月4日(土)
早くも丸1週間が過ぎ、今日は楽しみな土曜日である、
碁は3時半からなので、昼から散歩をかね、ショッピングをして電車で青少年プラザへ出かければ良い。
午前中は仕事の整理で料金計算の大要を5ページほどまとめ、日本の佐藤氏へFaxした。日本でもここまでは理解がすすんでいるとは思われないので役に立つはずである。但し、ホテルのFax代は高く、5ページで50グリブナ要した。
午後、散策に出かけた、クレスチャティク通りは露店も多く出て賑わっていた。デパートに入ると、各種のパンが売ってあり、旨そうなのを1個0.7グリブナで買い、昼食の足しにした、お隣では暖かい飲み物を売っており紅茶を買った、2グリブナ札を出してお釣を受け取り立ち去ろうとすると、店員が声を荒げて私を呼んでいるようである、こちらはロシア語が分からない。お釣を渡しすぎたのであろう、釣り銭を戻しに戻った。30コペイカのところを20コペイカ分しかとっていなかったようである。
さて、3時半に青少年宮着いた、いつもの部屋は机も椅子も取り払われ、部屋の隅で若者と子供が1局対局しているだけである、そうこうしている間にプリューセシが出てきて、事情を説明してくれた。猫とキャットフードの展示会のため机も椅子も持ち出されたということである。名前は分からないが、1週間前に碁を習い始めたという年配の人が英語で話しかけてこられた。日本の碁盤の正確な規格を知りたいらしい。私も正確には答えられないので宿題にさせてもらった。その人は博識でいろいろな話をされていた、モンゴルで象牙の碁石を見たことがある、日本の歴史はひととおり知っている、織田信長、豊臣秀吉、
徳川家康、など歴史上の人物が次々に出てくる、山本勘助まででてきた。USとウクライナの合弁会社で役員をしていたが、最近やめてしまったとのことであった。プリューセシは忙しそうにしていたので、私は子供と碁を始めた。ニコライという賢そうな小学2年の
子から対局を申し出られた、母親が毎週同伴してくる裕福そうな家庭の子供である、結局ニコライとは13路盤の5子で始め、5子局では大石を取られてしまった、ニコライは大喜びで、次は4子で挑戦してきた。今度は彼の方が大間違いして私の勝ち、母親が英語のカタコトで次は19路盤でやってくれと頼まれ、星目で対局、結局私が勝ったが、才能豊かな片鱗が伺えて気持ち良く対局できた。
来週は韓国のLG社がスポンサーとなり、キエフで大会が開催される、私は土曜と日曜なら参加できると返答した。プリューセシが心配してくれて参加できるように取り計らってくれるようだ。また大きな楽しみができた。
そしてまた、ありがたいことに、プリューセシが明日買い物に付合ってくれるといってくれた。但し、時間が短いので何を買いたいのかをはっきり決めておいてくれということであった。
ホテルには午後8時戻ってきてビール、ハム、トマト、ピーナツ、ビスケットで夕食を済ませた。
4月5日(日)
今日はプリューセシが12時にホテルに来てくれて買い物に付合ってくれる、それからまた青少年宮に碁に行く。午前中は佐藤さんに分かりやすい資料を提供すべく、3時間頑張った。Payment Calculation に関し、パイロットプロジェクトの見積の私案を作り送った。
12時約束通り、プリューセシが来てくれた。マトリョーシカ人形、ウクライナ伝統工芸のペン、ウオッカなどおみやげに買いたいものを伝えて出かけた。彼は案内したい店を調べてきてくれていて手際が良かった。トルストイ広場の最も立派な店は日曜日で休み、他の2軒も回ったが、品数が少なく、ペンは売ってなかった。ツームと呼ばれるデパートに行くと、流石に品数が多く、ペン20本、笛10本、マトリョーシカ人形を2個買った。
全部で73グリブナしかしなかった。日本円で約5000円である。
ウオッカは青少年宮に近い酒屋が安いとのことで地下鉄でクレスチャティクからアルセナーナへ向かった。青少年宮にほど近いスーパーでウクライナで最高級と言うウオッカHetsmanを2本購入、目的を果たし青少年宮に向かった。
会場には碁のツワモノが8人ほど既に集まっている。来週のLG杯で話しが盛り上がっているようである。大きなポスターを見ながら、楽しそうに歓談している。8人が一斉に対局を始めた、私は仲間に入れてくれない。彼らのトーナメントらしく、最初抽選していた。
夕方7時頃になって、プリューセシが私の相手を決めたと突然言ってきた。
今からLG杯の1回戦だという。事情を聞くと私が金曜日に参加できない代りに今日1回戦を済ましておくように気を配ってくれたのである。持ち時間1時間15分、相手は若者
プリューセシの教え子だそうである。必勝の碁だったのに中盤大間違いして、地合いが足りなくなり、懸命に追い込んだが、2目半負けてしまった。残念LG杯の仕組みが分からないが、緒戦敗退ではどこまで行けるのか大事な碁を落としてしまったものだ。
帰りがけ今度は協会長のアルカーディアに声をかけられた。明日の夜も碁の会合があるので時間があれば来いと言うお誘いである。時間を作って行くようにすると答えて集合場所と連絡先の電話番号を聞いて別れた。
4月6日(月)
NDCサーベイ9:00−12:00の予定で、8:10にホテルを出た。
パスポートをチェックされNDCビルへ入館、初めてMr.Yalovoyと会う。
一生懸命ロシア語で話してくれるが、こちらには少ししか分からない。通訳、専門用語、
質疑応答への対応すべてが旨くいかないと納得のいく回答はえられない。イライラは増すばかり、1月の議事録から余り変わってないだろうという推量は先ずはずれてしまった。
既に、半月前からVisual C++とACCESSでSSAを実行しているというのだ。ファイルは正確にはACCESSといってはいない、CDB Extentionという言葉がしきりと出る。キーとなる用語が分からないものだからまた、私の頭は混乱してしまった。
11:00となり、Yalovoyとの約束の終了時間になってしまった、次のインタビューはInformation&Software ServiceのGoryanin。
この部門についても議事録で読んだ5アプリケション3000パラメータというキーワードが頭に残っているものだから、毎日相当な作業を行っていると想定してインタビューに臨んだ。何のことはない、1日の作業は10分もあれば終わると言う、気負い込んでインタビュに臨んだものだから、何だそれほどのことかとガク然とした。
オフィスに戻って資料の整理やインタビュー結果のまとめをしようとすると、津村氏がNSDのシステムニーズレポートに関し、クレームがあるという、Master Development Planが英語になってない、Native Speakerのチェックを受けたのかと追求される。日本でチャンとやってきたと答えたが、彼には容易に良否が判定できるのだろう。また、しんどい修正作業が入るのか、と思うと嫌気が指し胃が痛くなる。
余り能率も上がらず作業を続けた、5時半頃に隣席で作業をしていた井坂氏が本さんの夜の件はSvetranaがロシア語で話しをつけてくれるから彼女に頼むようにとのことで、6時になるのを待ってアクションをとった。昨日の碁の約束を履行せねばならない。
仕事はもう今日はやる気がでない。Svetranaはローカルスタッフの1人で英語を話せてパソコンも使い込んでいる独身女性である。先週の金曜日に妹さんが結婚したとのことで、お祝いの品であるケーキとシャンペンをオフィスの全員に振る舞っていた。
彼女がドライバーのサーシャに指示し、アルカディア氏との待ち合わせ場所まで車を走らせた。6時10分オフィスを出て6時半にアルカディアをピックアップして会場の上海飯店へ向かった。車中のアルカディア氏との会話は楽しかった。彼の息子が日本のプロ棋士北野5段に2子で勝ったのだそうだ。これには驚きである。限りなくプロに近いレベルではないか、プリューセシよりはるかに強いことになる。
ウクライナの中華料理屋である上海飯店はオーナーが碁に理解があり、碁の会場に部屋を提供しているのだそうだ。毎週月曜日碁仲間が数人集まって碁を楽しんでいるとのこと、
中華料理でも食べながら優雅な対局を楽しむのかと思いきや酒も食事も一切なし、私も空腹のまま対局した。互い先で2局打った。2局とも負けてしまった。ウクライナの若者の碁は力強いと思う。私は好敵手が非常に多いのに驚くとともに、負けが多く情けなくもなる。気が付くと10時近くなっており、待たせてあった車でホテルへ戻ってきた、ドライバーのサーシャと2人で30分のドライブで無事ホテルへ戻れたことに1人で寂しく乾杯した。碁の仲間は本当に容易に友達になれることをありがたく思う。
4月7日(火)
今日はNDCのSCADAシステムを統括するSidrenkoManagerを訪ねる予定だが、急用で外出したと言う。午後にでもなるのかと様子を伺いながら、整理作業や準備作業をしていると、11時ごろむこうからやってきた。面食らった。日本人通訳の手配はついていない、アナトリーが英露通訳、ビクターが議事録担当でインタビューが始まった。Sidrenkoという人物は実に貫禄がある、澄んだ目でこちらをじっと見ながら話されると縮こまりそうな気分になる、話の内容は有益なことばかりであった。DBF Archiveと呼んでいるものがどういうものか分かった。極めて原始的な特殊な索引ファイルである。DBaseやFoxproなどとインターフェイスがとれる。Sidorenko氏は我々のPCIプロジェクトに関し、当初懐疑的で協力してくれない人物と津村氏から聞いていたが、今日の話や態度は全然違って、極めて協力的であった。PCIレポートを読んだ感想を津村氏に話しているようであったが、どんな内容だったかは分からない。
金曜日にTarasenkoManager(PCIプロジェクトの電力セクター側のカウンターパート)へのプレゼンテーションを予定したので、しっかり準備するようにとの指示が出てまたまた狼狽してしまう。しかし、冷静に受け止め中間報告だと分かり今までの資料を見繕って4ページ準備した。やはりこれをロシア語にするのである。
夜は何の予定もなく、スーパーのカシタンに立ちよりビール、バナナ、トマト、サラミ、リンゴ、ピーナツ、ビスケット、牛乳を買ってホテルの自室で夕食とした。久しぶりに女房に電話してみると、金曜日に山形に旅するようである、結構なことだと許可した。
4月8日(水)
今日はYalovoy訪問の予定がある。津村氏は他の要件が山積みで私に同行できないと言う、日本語通訳のユーリアと議事録係のビクターと3人で出かけた。NDCの入り口でスプリクニク氏が出迎えてくれている、3人で伺う旨、伝えると、私に津村氏宛のレターが手渡された。重要書簡とおもわれた。通訳を介してこれは津村氏が待ち望んでいたNDCのプロジェクトへの協力合意書であった。
Yalovoy氏とのインタビューに臨んだ、今日は私のペースでインタビューを進めることができてスムーズにいき大きな満足感があった、私が抱いていた疑問は殆どすべて明確になった。Calculated Flexisibilityなど難解なところもあるが、整理して次回に詳しく聞けば良い。それにしても昨日準備したV2周りの資料が活きた、現実はこの資料から大いに変わっているのだが、現状をこの資料を基に修正しながら説明してくれたので、V2まわりの現状が良く分かった。インタビューの途中でSSAを統括するGoloubマネジャが覗かれ調査は順調かとの問いに極めて満足のいくものですと返答した。いろいろの資料提出を要求したが、上司の許可がなければ出せないと言う点が気に入らないが今日のインタビューは大成功であった。
午後3時にMRI宮崎氏が到着、少し賑やかになった。さあ、津村氏はMISにかなりの時間を割くことになる、SSAは私1人で頑張らねばならない。
夜は宮崎氏歓迎の意味もあり、サントリという日本料理店で会食、アメリカ人の経営で材料もアメリカから持ち込んでいるとのこと、日本料理は刺し身だけとったが、あとはタイ料理を中心に注文、生まれて始めてタイ料理を食べた、日本センター所長の佐藤氏も同席され会話が弾んだ。
4月9日(木)
朝6時起床、日本の佐藤さんへ今までの大きな動きを整理して送った。Faxはオフィスから送った。外人サポートの件、NDCからの協力合意書の件、パイロットプロジェクトのアプリケーションはPayment Calculationになることが濃厚になりつつある件、ウクライナ電力セクター要人2人が訪日する件などを知らせた。
今日は現地調査がないので、明日のPayment Calculation 2回目の調査項目の準備、Tarasenko 氏へのプレゼンテーション資料の作成などを行った。
MRI宮崎氏もプレゼンテーションの準備に大忙しの状況。打ち合わせているとEMAの話が出る、ビクターの昨日の議事録にもEMAがらみのややこしい話が出ている。昼食時には私に滞在を延ばせと要求してくるし、大変であった。とりあえず、佐藤氏が来てから相談しようと返事せざるをえなかった。NDC調査が軌道に乗ってきた証拠とありがたく思わなければならない。
4月10日(金)
今日も9時からPaymentCalculationのYevdokimouを訪ねる。MRIの宮崎氏がTarasenkoとNERCの2ヶ所でプレゼンテーションするので、津村氏はSSAの方には付合えないということで、日本語通訳のユーリアと2人だけでインタビューに臨んだ、多人数で臨むより少人数で対応するのが良いのだが、議事録を自分でまとめなければならない負担がある。Yevdokimouは頼りになる若者である。レターで質問事項を前以ってお願いしていたので、彼は回答を準備してくれていた。
Payment Calculationの大要について説明してくれた、特に、Outputに関し、サンプルを見ながら木目細かく説明してくれた。私はすっかり自信を得た。通訳も適切でスムーズに理解できた。電力系統運用が分からなくても料金計算は理解できるのである。PilotProjectでこのテーマに取り組んで全然問題ない、むしろ積極的に料金計算をPilotのアプリケーションに取り上げるべきである、と確信を深くした。佐藤氏が日本でPilotProject実施の見積をしてくるであろう、その時に、大きくリスクを見込んでくるであろう、さほど難しくないことを自信を持って説得できる。
オフィスに戻ると、私のいつも座っている席が使えない、午後NERC向けMISの説明会のために使うので、テーブルをすべてクリアしなければならない、移動、資料の整理が大変であった。GIVC Tarasenko氏への説明会は11時40分に参加した。
私の説明の番となった。30分くらいの説明時間を予定していたが、5分で終わってくれるように津村氏の要求が出たので、表紙のページ1枚で説明を終わらせた。
今日は満足のいく1日であった、今まで近寄りがたいと恐れていた料金計算が比較的簡単なものだという認識が得られたためである。Yevdokimouに感謝しなければならない。
夕方は宮崎氏とホテルへ戻り、ホテルのレストランは冴えないということで近くのメキシコ料理のコロナレストランへ出かけた、40グリブナ要したが、オニオンスープもサーロインステーキも旨かった。明日は楽しみな土曜日、しかもLGカップに参加する、ゆっくりと充分に睡眠をとって臨みたい。
4月11日(土)
待望の土曜日、今日はLGグランプリ囲碁大会に参加する。会場はポリテクニカルインスティテュートと呼ばれるキエフの有名な大学である。先週の約束で地下鉄駅ポリテクニカルインスティテュートに9時40分の待ち合わせ。先ず、1人で地下鉄に乗ってそこまで行かなければならない。早めに出たつもりであったが、途中、乗り換えなどで迷って、時間ギリギリの到着、先週会ったニコライ少年とリザという少女が出迎えてくれた。閑静な森に囲まれた雰囲気の良い大学である。建物は古いが落ち着いた色合いで感じが良い。
地下鉄からの道は格好の散歩道であった。ニコライがリスを見つけてはしゃいでいた。
会場は広いキャンパスの一番奥に位置し白い建物の6階、既に定刻の10時は過ぎていた。
私は初めて訪れたのだが、大会は二日目、早速対局開始となった。
最初の相手は何と、ウクライナ囲碁協会長のアルカーディアボガツキーである。先週の月曜日、車の中で上海飯店まで歓談しながら連れていってもらったので、もうすっかり、友達になっている。ウクライナで最初に手合わせしたのも彼である。最初から優勢のうちに
うち進めたが、急所で間違えてしまいそのままズルズルと負けてしまった。1回戦は既に先週日曜日に若者に負けているので、これで2連敗。通常なら勝たなければならないのに連敗してしまった。どうも勝負に淡白になっているというか、集中力が続かないと言うか
私のいつもの悪い癖が出てしまう、つまりそれが実力なのである、まだまだ弱い。
3回戦の相手は前回キエフに来た時に負けた相手で若者である。この碁は良く打てた。白番で堂々たる勝利であった。まあ、何とか1勝できて良かった。4回戦の相手はどうもウクライナ人ではなさそうだ。英語で名前を名乗ると相手も英語でマクドナルドだと自己紹介してくれた。セントピータースバーグから来たという。生っ粋のロシア人である。しかも3連勝中の強い相手である。私はこの大会に4段でエンロールされている、相手は5段である。実力の上でも私より強いわけだ。全力で当たらなければならない。
それにしてもこんな遠くの国でロシアの強豪と打てるなど夢のようだ。この碁も手拍子が2回も出てしまった。これでは勝てない、相手にならないほど強いとも思わなかったが結果は負け。
韓国の専門棋士である千七段が審判として来ている、英語で歓談し、名刺交換もした。勝負は負けたけれど、楽しさ一杯である。帰りは地下鉄で1人で帰ってきた、一抹の不安はあったが、まだ明るいうちだったので、無事ホテルへ戻れた。
4月12日(日)
今日は日本から佐藤氏が来る日である、私は碁を楽しむので出迎えもしないが、彼はそこのところは充分承知してくれている。
LG杯囲碁大会最終日、今日も2局打てる。プリューセシの指示で今日は1人で直接会場に行く。道中の不安はもはやない。幸い雨も上がり、スポーツプラザ駅から地下鉄でポリテクニカルインスティテュートまで今日はスムーズに着いた。ゆっくり辺りを見物しながら、写真をとりながら歩くゆとりさえあった。大学構内も美しいので写真に収めた、定刻の10時には着くことができ、囲碁大会の案内ポスターも写真に収めた。ニコライ少年の母親も売店係のボランティアを買った出ていた。今日の1回戦の相手は告げられない、8番テーブルで私の黒番と指示されたので、移動し相手を待った。相手はプリューセシとよく対局している若者である。2子置いてやっている相手なので私より弱いに違いない。
最善手を駆使して打ち進めるうちに、相手は2,3手悪手を打った。最強に咎めて30分も経たないうちにつぶしてしまった。最初の一隅で白全滅、鮮やかな勝利を遂げた。長い囲碁人生の中でももっとも鮮やかな勝利であった。通算2勝3敗、最終戦に勝って勝率5分に持ち込みたいと、最終戦に臨んだ。最終戦の相手は時間を使う長考派である。対局を何度も見たことがあるウクライナ強豪組みの1人である、しかし、エンロールは4段である。
悪手は出てないと自信をもって進めていたが、形勢判断すると図らずも白の私が悪い、地合いが足りない。相手は時間を良く使い2回の時間延長をした。時間延長はヨーロッパの標準ルールでは20個の石を持ちそれを5分で使いきればよいらしい。要するに20手5分で打てば、いくら時間延長してもよいルールだと後から分かった。私は時間延長していないので、随分コミをもらえてコミガカリで勝てるのではと勝手に想像して内心ニンマリして終局となり、黒47目、白36目終局後、コミ5目半で時間延長は関係なしということが分かり、私は負けてしまった、ガックリである。ロシア語で論争することもできず、それがルールだということなので、スパシーバと挨拶して対局を終えた。なかなか強い若者で私も力一杯戦ったので気分がよかった。結局私の成績は2勝4敗
優勝はモスクワから来たベテランの人で6段でエンロールされていたから相当の強豪だと思われる。私の対局したセントピータースバーグから来ていたマクドナルドが4位に入賞した。プリューセシの話では優勝者は8段で出てもおかしくないほどの実力者だと言っていた。ウクライナ人は協会長のアルカーディアが4勝してもっとも成績が良かったようである。皆、後片付けなどで忙しそうなので、1人で帰り支度していると、ティシェンコが一緒に帰ろうといってきた、にわか雨の中を地下鉄駅まで急いだ。今回は碁のつきあいはこれで終わりかと思うと寂しかった。
ホテルへ戻ると、予定通り佐藤氏が到着しており、私宛にメモが残っている、夕食にでかけたとある。9時にホテルに戻ってきたので、色々仕事の話を要約した、料金計算恐るるに足らずことも伝えた。
4月13日(月)
佐藤氏が加わりPaymentCalculationの調査に臨む。今日は10時にNDCを訪ねる。それにしても佐藤氏の見積は174kステップと大きい見積を持ってきたものだ。ビクターが議事録係で同行してくれることになった。佐藤氏も理解を深めることになるので、今日はもっとも望ましい体制で臨む。部屋に案内されるとKudinovが対応してくれた。KudinovはYevdokimouの下で、Excelを中心に仕事している担当者である。Payment Calculationに関し、Excelベースで稼動しているものを、高水準プログラム言語とデータベースを使って再構築したいという希望を述べると市場ルールの変更が激しい時期だから、時期としては良くないとコメントされた。しかし、時期を選んでいるような余裕は我々にはない、SSAから提供してもらった資料を分析しているのだと説明したところ、Excel Spread SheetとExcelMacroが同期していないとの回答で、今後の分析の無益さが明らかになった。GPやTSPは意味のある数字が入っているが、その他のパラメータは無効な値が入っているのだそうだ。Yevdokimouが席に戻ったので、Supplier Paymentの不明なところを質問して11時半に引き揚げた、何かしら皆、忙しそうにしている、だらだら質問を続けるわけには行かない。
オフィスに戻ると、津村氏から矢継ぎ早に質問や要求が出る。17日、金曜日にNDCへのプレゼンテーションを予定するとの指示が出た、私が帰国するまえにNDCに報告し合意を採りたい腹積もりである。しかし、準備はしっかりできるのか? 早速アナトリーが心配してきた、資料のロシア語翻訳が必要だからである。水曜日の調査、MISとの調整などそんなにプレゼンテーションの準備に時間を割けないことをアナトリーは見通しているのだ。
MISとのデータ受け渡しについて6時過ぎまでMRIも入って議論した。仕事も終わり、津村氏が中華料理でも食べに行こうかと提案が出て大西氏も含めて6人で中華料理屋「東方飯店」に出かけた。MRIグループは明日Vinnitsuaへ発つ、津村氏も午後に発つ、Fintanが夕方キエフに入る、明日も慌ただしい1日になりそうである。
4月14日(火)
今日は17日のNDCプレゼンテーション資料を準備しなければならない、私が原稿を作り、佐藤氏がPowerPointで清書する段取りである、英語で作らねばならないのではかどらない。
11時にNDCコンピュータ部のGasin氏が訪ねてきた。人の良さそうなおじさんである。アナトリーの通訳で英語で次々に質問した、回答に納得できないところは、間をとってもらってQ&Aを進めた。懸案であったDBFアーカイブのなぞが解けた。望外の収穫であった。佐藤氏も疑問が解けて安心した様子、100%クリアになったといって喜んでいた。NDCに導入されているサーバ構成も分かった。
午後になるとエアコンの取り付け工事が始まり、席の移動と騒音に悩まされた。
アナトリーはプレゼンテーション資料のロシア語訳が気にかかるのだろう、私に大丈夫かと何度も確かめる。完成度の低いレベルで渡さざるを得なかった。佐藤氏が清書で苦戦している間、今までのペンディング事項を整理したり、アンシラリーサービスの資料を読んだりした。夕食は佐藤氏と2人でレストラン「コロナ」でとった。
Fintanは明日から我々に合流する彼の滞在は今週中だから4日である。明日の集合時刻8時10分であることを電話で伝えて床に就く、明朝はVinitsuaに行っている津村氏からプレゼン資料に関するコメントが来る。
4月15日(水)
今日からF.Slyeが加わる。8:10に迎えの車が来て3人が乗り込んだ。
朝、津村氏から電話が来るはずのところ来ない、そのうちPaymentCalculationを訪ねるべく9時になってしまった、私の指揮でF.Sも加えて6人でNDCへ押しかけた。F.Sの通訳がアナトリー、ビクターは議事録係、ユーリアが我々日本人通訳である、今日もYevdokimouが丁寧に説明してくれた、料金計算のProgram Control DataとConstant Dataについて完全に理解した。料金計算の全体像が益々明らかになっていく。佐藤氏も見積がシュアになると喜び、彼の出した結論は8.5人月 59000LOC 金額 60万ドルである。金曜日のプレゼンテーションも自信が深まる、オフィスに戻り、ローカルスタッフの連中は私の作成した資料のロシア語訳で大童だった。
午後は佐藤氏も加わり、F.Sと共に、RFPの件やPilotProjectについていろいろ議論した。少しずつどう対応すればよいかが見えてきた。F.Sをあそばすことなく1日を終え満足感にホッとしている。津村氏が議論に入ると強引さの余り議論が空転することがある。3人でコロナレストランで夕食をとり、ホテルに戻り、佐藤氏と散歩に出かけ1時間ばかりで戻ってきた、今日はホテルで新しいロビーが開設された。なんとなく自信をもって予定通り帰国できそうであるが、あと二日何が起こるか分からない。
油断は禁物である。
4月16日(木)
今日はプレゼンの準備とGIVCの調査が予定される、GIVCの調査の目的はPilotProjectにどのようにGIVCの情報システム要員を活用できるのか確かめることである。肝心のユーリアが大学の卒業試験で忙しいというので、9:50に来てもらい10:20に解放する条件で来てもらった。
彼女は10:30ギリギリまで協力してくれた。日本の若い女性はどこまで周りのことを考えて彼女のような態度をとることができるか疑問に思う、その点ユーリアは極めて協力的で有り難い。現実には彼女のAvailabilityではインタビューは終えられず
午後にもセットせざるを得なかった。GIVC RyskevichManager
とのインタビューを午後にアレンジした。ユーリアは約束どおり13:30に来てくれた、
GIVCインタビューはこうしてスムーズに終了できた。
オフィスに戻ると、14:30遅い昼食をマクドナルドのハンバーグでとり、津村氏が
明日のプレゼンテーション資料のレビューを始めた。F.Sが自分の気に入らない点を指摘する、表現はこれでよいではないかと主張するが、そのうち自分で作り出した。文句いうだけのことはある、分かりやすく説得力があるので、即Fintan案を採用した。津村氏もFintanと我々NSDとの間で苦労している、しかし深く考えている様子はなく、良くなればよいと楽に考えているようだ。マスターディベロップメントプランもアクションプランもどうでもよくなってしまった。F.Sも我々の言いたいことが分からないのだからフラストするであろう。私を始め佐藤氏の英語力に問題がある。言葉の問題は国際プロジェクトにおいて最大の問題である。
7時にそれぞれ分担した仕事を終え、7人でレストランリオンで夕食をとった。津村氏は明日を当プロジェクトのXデーと表現した。
PilotProjectを思惑どおりPayment Calculationでいけるかどうか明日のプレゼンテーションにかかっていると言うのである。明日のプレゼンテションは私の双肩にかかっている。まだ10時だが、早めに寝るとしよう。
4月17日(金)
今日は記念すべき日となった。
NDCに対するプレゼンテーションは過去のコンサルタントの発表の中で「ベスト」との評価を得た。9:30にPCIオフィスを出た、SSA部門長のゴルブ氏自ら出迎えられ3階のいかにもロシアの電力会社を感じさせ、威厳さえ感じられる会議室へ案内された。
PCIチームは津村リーダを筆頭にアナトリー、ビクター、フィンタン、大西、佐藤、それに通訳のユーリアである。合計8人。PCにPowerPointで準備した資料をラージスクリーンに映す方法で説明を進める。しかし、PCに接続したプロジェクタが働かない、F.SがPCのPF7キーを押すと、プロジェクタが働き、みなホッとした。NDCからはRachin氏Goloub氏はじめ約20名が詰め掛けていた。津村氏の前段の話が終わり、出番が私に回ってきた。相手はユーザ部門であるから、分かりやすくメリハリをつけて話すことを心がけた。とはいっても、お隣でユーリアがロシア語に通訳するのだ、どれだけ理解してもらえるか分からない、しかし、自信を持って説明を続けた、時間も約束の50分をキープした。その後4,5件の質疑応答があり、説明を終えた。Rachin、Goloub両マネジャの感謝の言葉があった。NDC SSAの調査を始めて間も無いのにこれまでの発表内容と予期していなかったらしく、期待した以上の発表会であるとのコメントをいただいた。成果物の説明もあり、今後PCIが何をやってくれるかよく分かった。今後も大いに協力するとの言葉であった。
PCIオフィスに戻った後もRachin氏から感謝の電話が入ったようだ、
今までのコンサルタントの発表のうちで今日の発表は最高だったということである。
帰りに津村氏は私の手を握り締め私に対して心から感謝してくれた。昨日の資料準備での混乱がうそのように思い出される。午後もまた仕事に拍車がかかった。津村氏は局面打開をうけてまた新たな局面に入るわけで、次々にやるべきことが出てくる、矢継ぎ早に宿題が出る。Pilot Projectのスケジュール、ユーザの関わり、体制などである。本日中に片づけて、すっきりして明日は日本へ帰りたいので、次々に私案をまとめていった。20−30分おきにタバコやお茶休憩をとりながら、津村氏に次々回答し、津村氏の仕事も随分はかどったようだ。最後の別れで改めて明日はゆっくり帰国の途に就くよう労をねぎらってくれた。佐藤氏はまだ1週間残ってフォローしてくれる。佐藤氏とF.Sは9時にオフィスに出るよう指示されている。初めて晴れ晴れとした気分になった。「勝って兜の緒を締めよ」である。
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