第6回現地調査(平成10年12月16日―12月25日)

12月16日(水)

今まで暖めてきたSSA Projectを断念するのか、未だわずかに残された可能性を求めて続行するのか、その岐路に立たされて第6回目の現地訪問である。
今回は誰も同行者がなく、完全な一人旅である。
佐藤氏も行かない、MRIの訪問は次回は来年1月になるらしい。
PCIスタッフも行かない。

10月初めには「2ヶ月間現地に来て欲しい」という要望だったので、ウクライナでも使える電気ポットや各種の日本食を買い込んで準備、待機していた。
ところが、ユーザ部門との協定書に同意が得られない限り、私が赴いても徒労に帰す。
私は10月初めから12月半ばまで、2ヶ月半待たされた。
忘年会の誘いも断り唯一出席したのは「ゆうゆう会」のみ、それも昨夜のことである。
現地の囲碁友達へのおみやげも沢山買い込んでいたため、荷物がスーツケース1個に収容しきれなくなり、近畿日本ツーリストに手荷物重量オーバーする旨お願いし、手続きを取ってもらった。
成田空港の全日空カウンターでも重量オーバーの手続きに少し手間取ったが、何のトラブルもなく2個のスーツケースを預けることが出来た。
NH207便ウィーン経由パリ行、ビジネスクラスの乗客は7割方席が埋まっていた。
全日空が売り物にしている日本各地の郷土料理、今回は加賀料理が出て、実に芸術的な機内食、鴨の治部煮もあったが、やはり私には魚料理が口に合った。
旨い箱庭のような加賀料理に舌鼓を打ち、後はただひたすら眠るのみ、幸い映画上映もなくなり、十分睡眠がとれてウィーンに15:20定刻に到着した。
ウィーンの宮殿を買い取ってホテルにしたというANA グランドホテルにチェックインしたのは5時であった。
ウィーンの町はクリスマスを間近に控え、街角毎に飾り付けに趣向を凝らしていて目を惹く。
特にホテルのあるケルトナー通りはウィーン第一の目抜き通りであり、一段と美しかった。
クリスマス用品を売る露店も数多く、しかもキャビン風のかわいい店が出ていて賑やかさを増している。
夕食を1人でとるのは寂しいが、ステファン寺院近くの大衆レストランNordseeという店でパエリア定食を頼んだ、パンの味も試したかったので、1個買い、飲み物にソーダを買ったつもりが、ガス入り水で失敗した。
料金は締めて13シリングだから、日本円で1300円である。
夕食後、街の寒気が徐々に肌を刺すので、早めにホテルへ戻った。
途中、 日本でなかなか見つけられない髭剃り用の毛のブラシが見つかったので、買った。
かわいくて格好の良いブラシが3本展示されている、値札を見ると1400、900、700シリングである。
結構良い値がするものだ、一番安いので充分だろう、記念に買った。
おそらく毛並みや毛の種類の違いで差がついているのであろうが、私には的確に判別できない。
ホテルに戻り、豪華な部屋で一風呂浴びて寝ようとしている。
予想に反し、ウィーンの冬は寒く、散策を2時間しか楽しむことができなかったが、ホテルの調度品などゴージャスな雰囲気を味わいながら明日に備えることにする。

12月17日(木)

全日空手配の車が出迎えに来てくれた、私1人の乗客にはもったいない大型VANである。
助手席に若者を乗せており、年配のドライバーは二人のドライバーで送りますと冗談を飛ばしているが、見る所、自分の息子のようであった。
空港に到着し、チップを昨日同様10シリング渡した。
100ドル両替した分すべて予定通り遣ってしまった。
ウィーン発10:35オーストリア航空でキエフに14:00到着。
1時間の時差が有るのでフライトは2時間半。
入国審査が長い行列ができて手間取った。
ユダヤ人が非常に多い、入国者の8割位を占めている。
独特のいでたちですぐに分かる、 衣装は黒一色、帽子、蓄えた口髭、ガウンのような衣装。
日本では決して見られない異様な光景である。
30分は待たされた、次は税関検査、成田からスルーにしたスーツケース2個も受け取り、税申告なしのグリーンのコーナーに進んだが、赤のコーナーに進むよう指示された。
所持している日本円は何ドルに相当するのか、スーツケースの中身は何かなど、尋問され、英語で正直に答えるとOKとなった。
井坂さん、安達さん、ドライバーのドミトリーの出迎えを受けた。
キエフは一面の雪だが、気温は0度前後、この時期としては暖かいそうである。
日本を出るとき、現地はマイナス20度位だと聞いていたので、思わぬ温かさに拍子抜けである。
いつものルースホテルにチェックインし、スーツケースを開けようとすると、碁石と衣類を入れた方が開かない、井坂さんと相談しPCIオフィスに一旦持って行くことにする。
オフィスで井坂さんがドライバーを取り出してきて、歪んだ金具を直してようやく開いた。
彼いわく、「荷物の積めすぎです」。
津村さんは仕事の状況を報告してくれる。
今日がNDCから最終合意を得るデッドラインの日とのこと。
果たせるかな、6時ごろNDCのスプリクニク氏が現れた。
手にレターを持っている。
津村氏も私もレターの文面にガックリ、SSAプロジェクトの推進に協力するというのでなく、Oracle 10ライセンスを提供して欲しいという依頼のレターになっているのだ。
NDCとはいつもこんなふうに質問と回答がかみ合わないと津村氏は言う。
「もう疲れてしまった。
」と言い、SSAは断念したいと言い出した。
卸電力市場運営の本丸であるNDCを攻めてきたのに、ここに来てやはり諦めざるを得ないのかもしれない。
津村氏は明日からSSAの代りの代替案であるNERC文書管理システムに取り組みたいと方針変更を表明した。
私の滞在中の12月24日までに、NERC文書管理のPilot Project の提案書をまとめて欲しいという要望が出た。
私は今回現地入りの目的とは違うが、指示に従うべきである。
ホテルに戻り、故障の直ったスーツケースも開いてホテル生活のベースを整えた。
囲碁友達のプリューセシとティシェンコの両氏に電話し、ウクライナに再訪問したことを伝えた、二人とも早速会いたいとの返事で再会が楽しみである。
近くに住むティシェンコ氏は今夜早速ホテルまで訪ねて来た。
囲碁セット、将棋のコマ、折り紙の本、折り紙、子供達へ配るためのサインペンや筆入れなど、おみやげを渡した。
土曜日と日曜日は例の青少年プラザで囲碁と将棋をしましょうといって別れた。
ティシェンコ氏は来年6月世界アマ将棋選手権大会にウクライナ代表として招かれているそうである。
日本で会えれば何か応援できる旨伝えた。
グリブナの持ち合わせが無いので、両替してびっくりした。
前回8月は1ドル2.15グリブナだったのが今回は3.51グリブナである。
約1.5倍のインフレである。
ホテルで1人ぼっちの夕食ポークチョップ、サラダ、スープとビール一本で50グリブナである、ホテルの食事も1.5倍値上がりした勘定である。

12月18日(金)

朝6時に目が覚めたが、二度寝入りし、8時40分に電話で「遅れていますよ」と井坂さんに起こされてしまった。
当然、朝食抜きとにかく急いで着替えて髭剃りもあらかたで済ませ、ロビーに降りたのが9時5分、出勤第1日目から遅刻である。
更にまずいことには、オフィスに着いてメガネを忘れてきていることに気づき、仕事にならないので、井坂氏に話し、スベトラーナに案内してもらってタクシーでホテル往復、何と1時間半ほどロスタイムを出し、PCIにとんだ迷惑をかけた。
日本へ電話する余裕などなく、勿論自宅へも電話していない。
11時からNERC文書管理システムへ取り組むに当たってのキックオフミーティングが始まった。
LotusのディストリビュータであるウクライナのViaduk社イゴー氏他1名、Bancom社のプロジェクトマネジャのSetko氏、ユーザ部門のNERCはITマネジャのSimonenko氏とPopovich部長、PCIから津村氏と私、私には日本語通訳のユーリアがついてくれた。
津村氏が方針と目標を表明した、私の滞在中に文書管理システムの提案書をまとめる、 スポンサーである日本政府に提案する資料となるものである。
内容は次のような項目を盛り込む。
1. NERCにおける文書管理の問題点 2. NERC文書管理の全体像 3. Pilot Projectとして取り組む範囲、スケジュール、費用見積 とにあれ、手始めに来週月曜日にユーザ部門のNERCから状況説明してもらうことになった。
グループウエアと文書管理については日本である程度スタディしてきているのでユーザの要求をアセスすることができる、Viaduk社はウクライナの郵便局にLotus Notesを導入したといっているからテクニカル面でも大丈夫だろう。
ウクライナにおいてLotus社の状況を調査しておくように、津村氏に頼んでおいて良かった。
午後はBancom社に残ってもらって、SSAのPayment Calculationについて私の理解していることを話する予定で臨んだ。
Bancom社のSetko氏とは前回から面識があり、優秀な人物であることは充分承知している。
会話を始める前に、津村氏から要求が出る。
Payment Calculationを完了させるには何ヶ月間必要かということである。
そこで、Setko氏に話し始めた。
「Payment Calculationの内容を理解すれば、おおよその検討がつくので、開発期間をより正確に見積もって欲しい」と。
すると即座に返答が返って来た。
8月にRFPとその添付資料を充分に読んだ、理解を深めた上で、開発期間を見積もった。
それから条件が変わったのかと逆に質問がなげられ、はたと返答に困った。
約3ヶ月スタートが遅れただけで条件は何も変わってはいない、NSDが作業の一部を肩代わりするわけではないのである、私がやろうとしていることは私の知識を早くBankom社に移転したいだけである。
それも充分理解しているといわれると私は「教えてあげよう」などと言い出せなかった。
そこで、日本から暖めてきたBancom社の提案書に関する質問をSetko氏にぶつけた、1時間余り、こちらの疑問点は殆どすべて遠慮なく尋ねた。
彼が充分に内容を把握していることが分かり私もホッとした。
PCIは勝手に6ヶ月間で完了できるのではないかと甘い予測をBancom社に提示して、その可能性について回答するよう要求していることも、今日改めて分かった。
Setko氏は「何の条件も変わってないのに、期間だけ3割短縮されているのは納得出来ない。
」と主張する。
私自身も納得できるわけがないので、PCIに9ヶ月はかかるとキッパリ答えた。
SSAのPilot Projectを進めるとなると、PCIは7月のプロジェクト完了予定を10月に変更しなければならない。
期間延長すれば費用も増える、日本政府が予算の追加を認めてくれるかどうか、私は追加予算は出ないと見る。
津村氏は僅かに残されたSSAの可能性をゼロにしてしまいたいと言い出し始めた。
夕食時にも「そうしましょう、お願いします」と頼んでおいた。
いつまでも二兎を追っているのは良くない。
PCIオフィスは金曜日の3時半からティータイムになる。
私は長崎名物のカステラを披露して皆さんに賞味してもらった。

12月19日(土)

8時に起床、ホテルの朝食は以前と殆ど変わらない、自宅へ国際電話、娘が出たので、元気に到着している旨を伝えた。
佐藤さんには昨日電話すべきだったが、できなかった、今日は土曜日で休日というわけで、現状報告として3ページまとめて今日ホテルからFaxした。
囲碁友達のプリューセシ氏が約束どおり11時半に出迎えにきてくれた。
前回、彼とは会えてない、彼は夏休みでカラパチアに行っていたからである。
彼は珍しいおみやげを3種持参してきた。
ガラス細工の刀、何物か分からないが、クリスタルに模様のはいった置物、旧ソビエト製の腕時計。
私も囲碁セット(ガラス碁石とゴムの碁盤)、碁けい紙、武宮の二連星、三連星の本、週間碁、子供達に配ってほしいサインペンや筆入れなど。
プレゼント交換後、彼の案内で私のためにおみやげの買い物に出た。
いつものことだが、彼には買い物の目当てを伝えておいた。
今回は家内の希望をいれてマトリョーシカ人形を3個、ウオッカ2本と伝えた。
まず、市内でもおみやげやの多いトルストイ広場に案内してくれた。
ここでは買わないで、値段がどれ位かを覚えて置けという、同じ物をもっと安いところを紹介してくれるという。
案内されたところは前回佐藤さんが案内してくれたアンドレ教会のあるあのダラダラ坂であった。
坂の上はソフィア教会、中腹はアンドレ教会、坂の下はドニエプル河にほど近いところまで露店が連なっている。
人形はいずれも大型で10ピース1個は70グリブナ他の二個は60グリブナでプリューセシ氏の値引き交渉のお蔭もあり、非常に安く購入できた。
他にも小物をあれこれ買ってしまった。
ウオッカは繁華街の酒屋でHetsmanを2本買った。
57グリブナ/一本 昼休み彼は私を待ってくれた、マクドナルドでハンバーグセットを食べたのだが、例によって、彼はつきあってくれない。
他人にご馳走にならないのが信条なのだろう。
もう分かっているので誘わないことにした。
話を聞いてみると現金収入は月に25ドル位だという。
囲碁講師を職業にしているので、そんなに実入り実入りが良くないと容易に想像できるにしても、我々日本人からすれば信じられない額である。
しかし道中、いつでも自分のアパートにホームステイしてよいとしきりに誘ってくれた。
チャンスがあればお世話になると頼んでおいた。
彼は今週の木曜日、モスクワに行くことも話してくれた、ヨーロッパ囲碁選手権大会に参加するのである、夜行列車で16時間かかるそうである。
私も木曜日にキエフを発つ一緒に行けないことはないと一瞬頭をかけめぐったが、そんな無理をしてはならない。

  • 11月のキエフでの大会では準優勝、優勝は何と、囲碁協会長のアルカーディア・ボガツキー氏だったそうである。
    「ボガツキーよりあなたの方が強い」というと、三つ巴になって惜しくもポイントで下回ったそうである。
    買い物を終え、3時過ぎに青少年プラザに着いた、ティシェンコ氏が子供達に碁の指導をしている、今日は大人の強豪の姿は見られない。
    プリューセシ氏から挑戦されたので、常先で1局お願いした。
    やはり彼の方が一枚上で、惜しくも1目負けた。
    ティシェンコ氏は「鶴の巣篭もり」に関する物語を書いたので、日本語の校正をしてほしいという。
    おやすいことと引き受けた、彼は実に多才である。
    一読すると、イソップ物語のような面白い話が構成されている。
    また明日も現地の人達と将棋や碁を楽しむことができる。
    寒さも厳しくなく、雪もやんでいる。

  • 12月20日(日)

    ぐっすり眠ることができて快い目覚め。
    8時から行動開始、いつものとうり朝食のため 2階のレストランに入った。
    1人の外国人が日本語で「おはよございます」と話し掛けてくる。
    初めて会う人である。
    一緒のテーブル食事をしながら日本語で歓談した。
    キエフ生まれのドイツ人、名前をオッティンゲンという。
    日本語は話せるが書くことはできない。
    工作機械の取り扱い説明書の翻訳と印刷を手がける小さな会社の社長さんである。
    日本にも仕事を貰いにたびたび行くそうで名刺の裏には日本語で印刷されていた。
    60歳を超えた赤ら顔の人なつこい人である。
    今回キエフに来た理由を聞いた。
    第2次大戦中、ドイツはウクライナ人をドイツに連行し、無償で強制労働をさせた、そのような経験者を探し出して、ドイツの政府機関や企業とかけあっていくらかでも労働の報酬を彼らに与えられるように取り諮りたい。
    勿論ボランティアでやっているのだ。
    どれだけウクライナの人達に役に立てるか分からないが、祖先がウクライナに住んでいたこともあり、非常に親しみを感じて思い立ったのだそうである。
    余り長話はできなかったが、日本へ来られたときは連絡くださいと名刺を渡して別れた。
    新宿第一生命ビルで働いていると話すと、「行ったことが有ります」と親しみを込めた答えが返ってきた。
    9時45分まで文書管理の本を読む、キーワードを頭に叩き込んだ。
    さて、コルニーロフさんに10時に会う約束になっているので、おみやげのカステラを持って出かけた。
    クレスチャティク通りのデパート・ツームの前で待っていただいた。
    今日も前回同様自宅に案内され、四方山話を始めた。
    ティシェンコさんのお兄さんはウクライナでも非常に偉い人であること、情報システムの仕事に携わっておられ、弟にパソコンを買ってあげるにあたり、コルニーロフさんが相談にのり、マッキントシュをすすめた。
    碁や将棋のソフトをマッキントシュに導入してあげたが、ティシェンコさんは操作方法が分からず、何度も電話で聞いてくることなど、興味深い話を聞いた。
    日本大使館の晩餐会に招かれ久しぶりに津村氏に会ったこと、日本から合気道の指導者がウクライナに来て、コルニーロフさんが合気道の専門用語が分からなくて通訳に困ったことなど、経済についても、グリブナが下がってインフレが進行しているのではないかと、質問すると、ウクライナの経済情勢は悪くなる一方ですと返答された。
    わざと企業を倒産させて株価を下落させ、安い価格で株を占有してしまう企業家が増えている話など、 書棚にはマッキントシュのマニュアルがギッシリ並んでいる、各種ソフトをプリントアウトして製本されたそうである。
    インターネットホームページで日本語の方言を研究している、インターネットを充分楽しんでおられる。
    氏と話していると興味深い有益な話が非常に多い、私の浅学さが恥ずかしいほどである。
    しかし、私が行くと碁を教えてもらえることを楽しみにしておられるようで、一通り会話が終わると、碁盤を持ち出してこられる。
    今日も1局4子でお願いした。
    氏は実践不足からか、大切なところで、悪手や緩着が出る、 こちらも最強手を心がけるので勝負は私が勝ってしまう。
    それでも最後には「良い勉強になった」といっていただけるので気持ちが良い。
    また氏を訪ねたいと思う。
    別れるときに氏のインターネットE−メールアドレスを聞いておいた。
    2時からは青少年プラザで子供達に将棋の指導をした、将棋のレベルは低い。
    3面同時に指導し、6人を相手にしたが、すべて楽勝である。
    まだまだ初級で、こま組みや定跡など教えられていない。
    子供達はこれで楽しいのだろうかと疑問に思うのだが、しかし将棋を多くの人が指せるのだから立派である。
    将棋の後、プリュセシと碁を1局手合わせした。
    生憎6時の閉館時間になり、打掛となったが、今日の碁は私の断然有利な状況である。
    日本に帰って、仲間に披露したい碁である。
    ティシェンコ氏からの宿題「鶴の巣篭もり」を校正し、プリュセシ氏には碁の本の解説をしてあげたり、いろいろと私も彼らの役に立ったようである。
    来年3月日本大使館主催の囲碁大会がある、プリューセシ氏がコーディネータを仰せつかったそうで、私に是非参加してほしいと薦められた。
    明日以降も会いたいと頼まれるが、確信が持てない約束はしない方がよいので別れを告げた。
    明日からホテルを引き払って津村さんのアパートにころがり込むので荷物をまとめなければならない。
    明日の朝チェックアウトする。

    12月21日(月)

    津村さんの誘いを受けてルースホテルをチェックアウトし、アパートに移る、津村さんの家族は年末年始の休暇に向けて、一足先にロンドンへ発った。
    今日から津村氏は1人住まい。
    チェックアウトはいつものとおり、VISAカードで支払う。
    このホテルは外国人むけのホテルなので、料金はドル建てである。
    今回4日分で536ドル、今までは1日160ドルだったはずなので、1日当たり26ドル安くなったことになる。
    グリブナ安の影響でドル建ても安くしたと想像される。
    2つのスーツケースもすっかり軽くなった。
    仕事の資料もオフィスに置いているのでなおのことである。
    今日ようやく佐藤さんと電話で会話ができた。
    SSAを断念する方向で動いている旨を伝えた。
    確かに先週の金曜日から今週の木曜までスケジュールはNERC文書管理の提案書作りである。
    私の滞在中にSSAの可能性をゼロにすると津村氏はいっているが、肝心のユーザ部門が「はい、そうですか」と簡単に引き下がるとは思えない。
    「断念する方向」と表現するのが妥当なところと判断した。
    今日はNERC文書管理の問題点、早急に解決に取り組むべきテーマがNERCから披露される。
    その会議は3時からである。
    私はそれまで日本の地方公共団体の研究資料を読んだ。
    文書は必ずシステム文書としてシステムの中にデータベース化されるものでもない、紙のまま管理しなければならないものもある。
    両者の存在を肯定した上できっちりとした文書管理の仕組みを組織全体の最適化を考慮して確立することが重要である。
    日本から持参した地方公共団体の調査研究報告書に文書管理規程の例も出ている。
    これを参考にして NERCの文書管理規程を作らせることを我々はコンサルすればよいのではなかろうか、とアイデアが浮かんだ。
    こうなると、読み方にも熱がはいる。
    NERCを想定した規程に焼き直そうと決心した。
    Lotus Notes のテクニカルな分野はLotusの専門家に任せれば良い。
    3時頃になり、ローカルスタッフのビクターがいろいろと電話でやりとりしている。
    ロシア語なので、内容はさっぱり分からない。
    後で聞くと、Viaduk社は我々を出し抜いて、NERCを直接訪問したようである。
    関係者全員がNERCの現状をつぶさに見て話し合う約束だったはずである。
    ViadukとNERCだけで3時間話し合ったらしい。
    仕方なくNERCを呼び付けてPilot Projectの範囲の話し合いを始めることになった。
    ユーリアも出席してくれたので、NERCの要望を充分理解することができた。
    Viadukに対する疑念は晴れないが、NERCから具体的要望が聴けたので、所期の目的は達成された。
    私は相互の理解が不十分だと判断したので、会議内容をまとめる意図で確認の質問を発した。
    午後1時にTarasenko氏を訪ね、前回ウクライナで招待を受けたバーベキューパーティの御礼述べるため、その時の写真とカステラを持参し、旧交を温めた。
    Tarasenko氏は我々のプロジェクトに協力的で、電力セクター内でいろいろ動いてサポートしていただいている。
    有り難いことである。
    さて、PCIの井坂氏は明日キエフを引き払って日本へ戻る、後任はローカルスタッフの安達さんという女性である。
    彼女は先週、ウクライナ男性と結婚し、ローカルスタッフとして12月からこのプロジェクトに雇われている。
    両親は神戸に住んでいるそうだ。
    井坂氏の送別会をかねて日本センターの佐藤所長が一席設けてくれた。
    中華料理の東方飯店で日本人4人で夕食をとった。
    津村氏の寂しさは一通りではないようで、何度も井坂氏の帰国を羨ましく思う発言が続いた。
    私は昨日、一昨日の囲碁仲間との話を披露すると、佐藤所長も津村氏も既に、日本大使館が来年春囲碁大会を開催することを知っていた。
    佐藤所長は日本センターの施設を会場に提供すると話していた。
    津村氏もPCIがスポンサーになってもよいと話してくれた。
    どうにかしてプリューセシを二人に引き合わせなければならない。

    12月22日(火)

    津村氏のアパートで一夜過ぎた。
    ルースホテルの部屋の暗さに比べると、倍の明るさで快適に過ごすことが出来る。
    オフィスに出て、NERC文書管理システムの日本政府への提案書作りに励んだ。
    私の要望するデータが揃っているわけでないので、昨日のNERCの要望を実現するよう作文していくよりない。
    さて、問題は文書管理を選んだ場合のNSDの役割である。
    私はいろいろ考えたが、文書管理で大事なことはその組織における文書管理規程ではなかろうかと考え、津村氏にその旨を伝え、同意を得た。
    日本で藤さんから借りてきた資料があるので、助かっている。
    津村氏は11時ごろ突然家に帰りたいと言い出した。
    昨夜は極端な睡眠不足で、寝ていないんだそうだ。
    私が転がり込んで環境が変わったためかもしれないと思って、理由を尋ねたがそうではないとの答えでホっとした。
    井坂氏は11時に皆に別れを惜しんでオフィスを出た。
    新婚の奥さんが日本で待っている、晴れ晴れとしていたが、一方の津村氏は彼がいなくなるので、ひとしお寂しさが増したのかもしれない。
    午前中はローカルスタッフ3人と私で、ひっそりデスクワークした、アナトリーも私用で休んでいるので静かなオフィスとなった。
    午後になると、1時頃電話が鳴って騒がしくなった。
    ビクターが電話に出る。
    NDCラチン氏から津村氏への電話である。
    今日は朝から日本政府からのSSA PROJECT中止の通達に対し、電力省とNDCが協議したはずである。
    その協議の結果を受けて津村氏に交渉を申し入れてきたのである。
    ビクターは安達さんと連絡をとり、津村氏の予定を確認していた。
    仮眠に戻った津村氏はいよいよ眠れなかったはずである。
    3時半「ぜんぜん寝せて貰えない」と言いながら、津村氏はあたふたと再び出勤してきた。
    NDCのマネジメントであるラチン、ゴルブ、スクリプニクの各氏と、1人大柄な女性が押しかけてきた。
    大柄な女性には会ったことが無い、電力省Kuznenko氏の部下だそうである。
    その大柄の女性がSSA PROJECT中止に至った経緯を津村氏に質問している。
    津村氏はとにかく時間が足りなくなったのだと懸命になって説明する。
    NDCの3人は口数が少ない。
    その女性は時々大きく肯いていたので、津村氏の論旨が理解できているのであろう。
    ウクライナ側はSSAを中止されては困るのだ。
    しかし、こうしようという代案は提示されていないようである。
    ただ、津村氏の説明を困惑顔で聞いているのみであった。
    5時になり、電力セクターの人達は、今日は1年中で夜の一番長い日なので、電力省全体でお祝いがあるのだといいながら退室して行った。
    私はゴルブ氏におみやげのカステラを渡すべくゴルブ氏を呼び止めた。
    日本からのおみやげといってカステラを渡すと、彼も咄嗟にカバンの中からウオッカを取り出し、お返しだといって差し出した。
    祝いで飲むために用意したものではなかろうかと思ったが、咄嗟のことでいただいてしまった。
    津村氏は早速日本大使館の西谷さんに会って協議しなければならなくなったといいながら出て行った。
    私は1人でアパートに帰らなければならない、昨日鍵の開閉について彼に聞いていてよかった。
    アパートの鍵は三重である。
    一つ目のドアを最初の鍵で3回転させて開ける、二つ目のドアは日本の鍵の要領で単純に開く、三つ目の鍵は釘のように長く、差し込む方向が決まっており、しかも金属のような堅いものでないと一番奥まで差し込めないので、別の鍵を使って強く一番奥まで差し込んで錠をまわしてやっとあけることができる。
    鍵の開閉だけでも大変である。
    アパートは広い、3LDK100m2は超える。
    セントラルヒーティングで暖かい。
    夕食は津村氏の指示通り、彼の手作りカレーが冷蔵庫に残っているので温め、保温中のご飯にかけて食べた。
    ホテルのポークチョップよりはるかに旨い。
    9時ごろ津村氏は戻ってきた、開口一番、「SSAはやめられそうにない、大使館側も困ったといっている。
    」またまた私にSSAが少なくとも何ヶ月かかるのかと追求してくる始末。
    私の滞在中にSSAの可能性をゼロにすると豪語していたのとは全く逆の状況になってしまった。
    本さん、SSAを来年1月18日に立ち上げたいので長期になるかもしれないが、予定してほしい、と頼まれた。
    私はいいですよと答えざるをえなかった。
    今、代替案として進めているNERCの文書管理はどのように落とし前をつけるのだろう、こちらの方もだんだん深みに入っておりユーザのNERCもViaduk社も実施できるものだという期待をもって臨んでいるにちがいない。

  • 12月23日(水)

    10時からNERC文書管理の打ち合わせ、Viaduk社のChernyakが交通渋滞に巻き込まれて遅れてきた。
    NERC文書管理PilotProjectに関し、ソフトウエアとサービスの提案をメモにしてきた。
    Lotus Domino とClient12ライセンス、Lotus社の新しいサービスオファリングである Passport AdvantageProgram を持ってきてかなり積極的である。
    NERCは口数少なく聞いているだけで一抹の不安を感じる。
    とにあれ先日聞いたNERCの要望とはずれていない。
    津村氏はViaduk社がこのようにテクニカルな面でサポートするとしたら、NSDはどんな役割を持つのか尋ねるので、NERC文書管理のガイドラインをコンサルしましょうと返事して彼の同意を得た。
    昼休みはGIVCの Tarasenko氏を囲み、ローカルスタッフも全員参加して韓国焼き肉の昼食会、このたび、PCIオフィスから徒歩3分のところに韓国料理のレストランが開店した。
    先日も日本人だけで行ったので、今日は私にとっては2度目。
    キムチをはじめとする漬物と肉と野菜の鉄板焼きで、なかなか味も良い。
    昼間からウオッカとワインが入り、ライスも出たので、腹一杯になった。
    Tarasenko氏には今年春の日本訪問の思い出話を披露してもらった。
    お蔭で座は大いに盛り上がり、楽しい昼食会となった。
    午後は文書管理ガイドラインについて、日本から持参した資料を読み、NERCに適合するように編集していった。
    これを英語に翻訳し、更にロシア語に翻訳し、NERCへ提案する形にすればよい。
    夕方、SSAのスプリクニク氏が訪れた。
    PCIへの質問状を持っている。
    津村氏は外出で不在。
    ローカルスタッフのアナトリーは私に対応してほしい様子である。
    私は立ち上がってレターを預り、文面は英語なので速読した。
    文書による回答を要求しているので、後程、津村氏が戻ったら相談する旨対応した。
    質問状を見ると、PCIのPilot Projectでは何のデータベースを作るのかが質問の主眼となっている。
    SSAのマネジャ連中はPCIが何をしてくれるのかということを未だ完全に理解していないのである。
    過去の私のプレゼンテーションや System Design Reportなど各種資料も提出しているのだが、未だ分かってもらえてないのかと、一瞬愕然とした。
    コミュニケーションは難しい。
    津村氏が戻ってきたので、SSAの要求を伝えると、SSAはまだこんな状況だから困ると言う。
    彼らはぜんぜん理解しようとしない、理解しようとすれば分かるはずなのに、努力しないと言う。
    津村氏は回答を無視するような態度なので、ラチン氏の名前で出されたレターだから何らかの回答は必要ではないかと説得した。
    彼もレターを読み始め、「またこんな質問をよこして」と更に憤懣やるかたない態度であった。
    津村氏からSSA Pilot のRescheduleの宿題が出た。
    1月21日をキックオフに設定し、 RFPに添付したスケジュールを見直し、スケジュールを引き直した。
    9月中旬が完了予定になる。
    津村氏には少なくとも9ヶ月は要すると改めて短縮できないことを説明した。
    その後もSSAを実施する困難性について、NSDの役割や、SSA部門の協力や、Bancom社の力量など、私には困難な状況ばかりが思い付くので、津村氏に話した。
    津村氏の頭の中にでさえ、Pilotを通じてPayment Calculationが少しでも改善できないだろうかという淡い期待さえ持っているのである。
    システム開発の経験がないので、そういう期待を持つのも肯けるが、経験があれば、いかにリスクが大きくなるか分かるはずである。
    オフィスには津村氏と私しか残っていない、夕食は外食にしようとウクライナ料理屋に行った。
    オボロンビールと豚肉料理で済ませ、アパートに戻ってきた。
    もう明日は日本へ帰る日である。
    スーツケースのパッケージをしなければならない。
    ゴルブ氏からいただいたウオッカは津村氏にプレゼントし、重い資料類をスーツケースに詰め込んだ。
    帰りは随分軽くなった。
    パッケジングも一通り済ませ、一服しようと居間に行くと、津村氏は懸命にワープロを打っている。
    「本さん、良いアイデアが浮かんだ」という。
    私といろいろなことを話し合う中、ああしよう、こうしようといろいろ考えるのであろう、SSAを旨く進める条件をまとめているという。
    その1つはSSA、電力省、日本大使館、PCIの4者で2週間に1回のモニタリング会議を定期化するということ。
    二つ目はRACHYN氏自らユーザ代表としてプロジェクトに関与すること、三つ目はGIVCなど情報システムの技術者集団からスペシャリストを参加させること。
    私は即座に同意し、是非その方向に持っていって欲しいと強くお願いした。
    今夜は急に冷え込み、昨日0度前後だったのが今夜はマイナス10度と報道されている。
    私の来年の訪問の見通しを相談したところ、1月20日頃から1ヶ月は少なくとも現地滞在してほしいとのこと。
    その時はホテルよりもアパートを一時的に借りたらどうかなど話し合った。
    一応これで任務を終えて帰ることが出来る。

    12月24日(木)

    今日は私の58回目の誕生日である。
    早くも帰国する日が来てしまった。
    ドミトリーのVanにスーツケースを積んで一旦オフィスに出る。
    昨日の宿題であるSSA Pilot のReschedule表を作成して安達さんに提出し、 今回現地訪問の仕事は一通り終わったのだが、昨日SSAから出された質問状に対する回答が津村氏によってフォローされそうにないので心配になり、文書で回答した方が良い旨を津村氏にプッシュした。
    初めて真剣にレターを読んだようである、私にあれこれ質問が飛んできた。
    アナトリーも私と同じように心配して津村氏に回答するよう促していた。
    11時過ぎロカルスタッフに別れを惜しみ、空港へ向かった。
    PCI側はもはや見送りの余裕も無く、ドミトリーと二人だけのドライブである。
    今回は税関申告も、手荷物検査も、出国手続きもすべて順調で手際良く運んだ。
    空港内のDFSでロシアのたばこがあったので、おみやげに購入し、14:20キエフ発のルフトハンザ航空LH3261便でフランクフルトに着いた。
    フランクフルトでは2時間強の待ち合わせしかない、ゆっくり買い物をする時間も無く、チョコレートボンボンとショートブレッドを買っただけで、後はANAのビジネスラウンジで休息した。
    1日24時間あるのに今日は時差の関係で16時間しかない。
    1歳齢を加えなくとも良い。
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