アカシア便り155            2004723


秘境・九塞溝、黄龍の旅

 昨年、中国のSARS事件で実施できなかった九塞溝の旅が、7月10日から16日の間、実施された。今回は関東囲碁部で第6回目になるが、初めて大連経由をしないで純粋に中国旅行に焦点を絞り、しかも九塞溝・黄龍という世界自然遺産に挑戦したものである。

 参加メンバーはIBMからご夫婦参加3組を含め11名、小松会から5名の計16名で、秘境を訪ね高山病と戦いながら充実した1週間をともにすることができた。

 4月1日の参加者募集開始から6月10日の旅行社説明会まで、一時は20名を越える勢いであったが、 3600m級の高山踏破のためドクターストップがかかったり仕事が忙しかったりの申し出で最後は16名に落ち着いた。

 初日(7/10)は、7時半、成田空港集合のため、4時半に起きJR総武線・快速に乗って順調に空港に着いた。成田エキスプレスを利用した旅行社の福山さんと橋口さんが少し遅れて8時到着で全員がそろい、福山さんから航空券と中国での出入国カードをもらい注意事項を聞いて先ず順調な滑り出しであった。

 今回は9:30発の成都行きであるが北京でトランジットがあり、ここで1時間遅れて成都についたのは16:30になっていた。北京トランジットで入国審査のもたつきぶりを見て、4年後の北京オリンピックは大丈夫だろうかと危ぶむ声がちらほら聞こえていた。

 成都空港には現地旅行社から鄭暁梅さんという日本語の流暢なガイドさんが迎えてくれており、 早速、この春に開業したばかりの聞いたこともないドイツ系、五つ星クラスのKempinskyホテルに案内してくれた。

 夕食は四川名物の重慶火鍋料理である。鍋を半分に仕切り、辛いのと辛くない出し汁を半々に入れたのに自分で肉や野菜を入れて食べるしゃぶしゃぶである。主食はご飯が出たが、私は餡の入っていない饅頭を別に頼み、練乳につけて食べるのが皆さんにも大変好評であった。 南方のお米はジャポニカ米ではないので、ぱさぱさしていて日本人の口には馴染まない。 ビールが10元(約130円)白酒は剣南春という中国国際航空便の座席カバーの宣伝に載っている唐時代の歴史書に書かれているという由緒あるのを228元(約3000円)で食卓を飾り全員で乾杯した。

 この日は皆さん朝が早かったこともあり、21:00ごろにはホテルに戻りシャワーを浴びてくつろいだ。 翌朝は早朝便のため、朝食はホテルで弁当を作ってくれるということで、5:30にモーニングコールをセットしてもらった。

 成都空港は国際便と国内便が別々の建物になっている。 今日(7/11)は国内便の待合室で、大学生グループのお嬢さんにどこに行くのですか?と質問したところ、ラサに帰ります、という返事が返ってきた。大学も2ヶ月の夏期休暇に入ったところらしい。

 九塞溝・黄龍空港は成都から北西約400kmの標高3100mの川主寺という山中にある。機中でもらったビスケットの包装がパンパンに膨らんでいたので、高所に来たことが歴然としていて面白かった。  ここから88km、下って九塞溝入り口のシェラトンホテル(五つ星)まで約2時間である。旅行社の計らいでこの日はお昼に到着して半日、高地に慣れる予備日として余裕をとってある。昼食後はお馴染みの囲碁大会が思い思いに始まった。夕食後は現地少数民族の歌舞団による演技を楽しんだ。チベット族の酒やお茶を飲みながらの演劇鑑賞で、酸欠で重くなった頭が少しは晴れてきたように感じた。

 三日目(7/12)は、いよいよ待ちに待った世界自然遺産・九塞溝風景区へのハイキングに出かけた。夏休みとあって風景区入り口にはすでに多くの人たちが押しかけている。

ガイドの案内で我々一行は貸切エコカーに乗り換えて、Y字型になっている右側の峡谷、日則溝へと車を進める。九塞溝の溝というのは峡谷を意味し、その峡谷に九つの村があるという意味とのことである。 女神が天上の世界から落とした鏡が、108つに砕けてできたと伝えられるエメラルドの湖が神話の世界を作り出す。山中に住むチベット族は海を見たことがないので、湖をすべて海に見立てて、鏡海、珍珠(真珠)海、五花海、熊猫(パンダ)海とよんでいる。午前中は日則溝の先端にある原始森林まで行き、ガイドの案内に従って処々で下車し、 効率よく美しい壮大な滝や風景区を観賞しながらY字型の真中に戻って昼食を取った。貸切バスを使わない一般のハイカーは長蛇の列を作って乗合バスを待っている。この乗合バスも環境保護のためすべてエコカーということであった。

 午後は左側の渓谷、則査窪溝の長海という最高所、標高3106mまで行き、帰る途中の風景区で下車したところでにわか雨に降られびしょぬれになった。用意のいい人はリュックから雨具を出して着ながらさっさと先を行ったが、大半は車の中に雨具を置いたままなので濡れて行かざるを得なかった。 車に戻って山の天気は変わりやすいな~と誰かが言ったが、これを受けて女心と同じだ、と又別の人が言う。賢いガイドはすかさず女心は一旦変わったら元に戻らないけど、山の天気は雨になってもすぐ晴れると言って混ぜっくり返していた。

 Y字型の根幹にあたるところには火花海、日本の盆栽に見立てた盆景灘という見どころがある。風景区の入り口に着いた時、ちょうど、16:30と理想的な時間配分であった。

ところが、ガイドと運転手の連絡が悪く、ホテルの方向へ歩き出しても迎えのバスがなかなか来ない。 このまま歩いて帰るのかとみんな覚悟を決めていたところ、やっと迎えのバスが来た。早足の人はすでにホテル敷地に入ろうとしているところであった。

 私は用心のために酸素ボンベを50元で買って持って行ったが、結局使わなかった。

 四日目(7/13)は今回の最高峰、黄龍を踏破するハイキングコースである。ホテルから90kmの道のりを標高4200mの峠を越えて、黄龍では3100mから3600mへと風景を眺めながら頂上へと向かう。 ほとんどの人が途中でガイドの指示に従って酸素ボンベを買ったが、半分ぐらいの人は使わなかったようである。私は最初から上りはカゴ利用、くだりは酸素ボンベを利用しようという覚悟であった。

前日、黄龍に行った人の話をホテルで聞いていたのと、ガイドの話を総合してカゴ代は220元(約3000円)、前日に買った酸素ボンベを携えて行った。ところが、酸素ボンベがでたらめで公称より短時間で希薄になり用をなさないことが分かった。  公称では買った店では10時間ぐらいは大丈夫ですと言うし、ガイドも1時間ぐらいは大丈夫ですと言っていた。実際は、20~30回ぐらい深呼吸で吸えばすぐ使いものにならなくなることが分かった。 カゴに乗っているとき、昨日買った私のボンベが空気漏れがあったらしく使えなくなっていた。途中出会った小松会の西山さんに使いさしのボンベをもらったが、10回ほど吸ってダメになり、 展望台では高尾さんに使っていない新しいボンベをもらって回数を数えながら吸い始めて初めて、このボンベの容量がでたらめであることが分かった。高尾さんにもらったボンベも3合目まで下りたところで底を尽き、あとは近くを歩いていた山口さんに助けられながら約束の時間に遅れること40分でやっと皆さんに合流できた。大変ご迷惑をおかけしました。

黄龍の風景は石灰質の河床が階段状になっていて、流れる水が龍の鱗のように見えるところから名づけられたものとのこと。カゴで上る道は一般には下山道になっていて、風景はあまりよくないということであったが、洗身洞や龍の鱗のように見える金沙舗池でカゴ休憩のため降りて見ることができた。あとは、頂上に近い黄龍古寺、その裏側にあるエメラルドグリーンの五彩池、ここは黄龍のハイライトである。 更に展望台から見える5580mの雪宝頂、5160mの玉翠峰等余裕があれば見どころを堪能できるのだが、廻りの美しい景色のみに気を取られて下りのことが気にかかり、そこそこに下り始めた。

今から思えば、下りもカゴにすればよかったかなと反省している。最後まで付き合ってくれた山口さんの奥さんは、私のおかげでみんなが早や足で通り過ぎたところの龍の鱗の池をじっくり観賞できたと言って慰めてくれた。

九塞溝も黄龍も季節によって水の色や風景が変わるので、また別の季節に行くのもよいのではないかと思う。

五日目(7/14)は川主寺にある九塞溝・黄龍空港から成都に戻る日である。予定通り8:00前に空港に着いたのはよいが、霧が立ち込めてすべての航空便が遅延になっていた。3時間遅れでやっと運行が始まり、成都に着いたのはすでに昼過ぎになっていた。当地での3時間遅れは普通のことで、これは遅れに入らないというガイドの説明であった。

昼食後、Kempiskyホテルに行き、チェックインを済ませてすぐ都江堰の参観に出かけた。2200年前の秦朝の官吏だった李氷、李二朗親子によって建設された灌漑施設である。大工事でしかも極めて科学的な設計のもとに完成したとのことで中国人が世界に誇るものの一つになっている。岷江の中に分水のための堤を築き、流れを2分して外江を本流として楽山に流し、内江は玉塁山を掘って導水路を作り宝瓶口から灌県の街に入れて四川平野の50万haを今なお灌漑している。内江、外江をまたぐ500mの安瀾索橋または夫婦橋と呼ばれる吊橋がある。我々一行は岷江の流れに面する山腹にある南北朝時代に建てられた二王廟、道教の寺院、 伏龍観を参観しながら1000段ぐらいの階段を下って吊橋を往復し、公園に廻したバスに乗って薬膳料理屋のレストランに行った。次のイベント、川劇がすでに始まっている時間なのに、食事が終わったころを見計らって恒例の押し売りが始まった。 2000円ぐらいの銀製お燗が5000円、1袋、300円ぐらいのきのこが1000円という値段で、日本語の達者な通訳につられて2~3人の人が買っていた。 そこから南郊公園にある武候祠裏の野外劇場に行き、有名な‘変臉‘という川劇を鑑賞し、ホテルに帰り着いたのは22:00であった。

六日目(7/15)は成都パンダ繁殖センターの参観である。パンダは寝ている時間が60%、竹を食べている食事時間が30%、起きて活動している時間は僅かに10%ということである。午前は10%の活動時間帯にあたるので、大きな可愛いパンダが見られるというので急いだ。 センターに着くと、10人乗りのエコカーに乗り換えて広い敷地を奥へと進み、寝転んだり、竹を食べたり、のそりのそりと歩き回っているジャイアントパンダを目の前で着ることができた。パンダは一夫一婦制で囲いはそれぞれ2頭ずつ番で飼育されていた。中国語でパンダを熊猫(XiongMao)と書いて熊科か猫科が議論されていたらしいが、今では熊科に分類されているとのことである。

次は三星堆博物館の参観である。ここは2600年前から4800年前に栄えた王国の遺跡で、土盛りが3つ星のように並んでいるので三星堆と名づけられた。どのような王国であったかはっきりしないらしいが、発掘された青銅器、金製品のほか、多くの仮面が発掘されたので仮面王国と呼ばれている。

この遺跡発見の経緯が面白い。燕家の家人が耕地からなにやら怪しげな欠片を見つけたのが1928年で、これは値打ちものと思って街の考古学者に鑑定を頼んだらたいしたものではないと言われ、安く買い叩かれたのが始まりで、1984年になってあちこちで同じような欠片が出てきて大騒ぎになったらしい。1976年に発掘された西安の兵馬俑の場合も、たまたま井戸を掘っていた農民が発見し、お上に申し出たら手柄に当時40元(約600円)の報奨金を出したとか、最近、これではあまりに少ないというのでこの農民を北京観光に招待したという記事を先月見たばかりである。

中国という国は底が知れない面白い国だという印象が拭いきれない。

午後からは杜甫草堂の参観である。杜甫が安禄山の戦火を逃れて唐の乾元2年(759年)家族とともに茅屋を建て3年9ヶ月過ごしたところで、ここで247首の作品を残している。 彼を偲ぶ人たちが草堂を建て、明、清代にわたって再建されたものでる。大廨、詩史堂、工部士祠、草堂書屋があり、花径、モクレン、ツバキなどの植え込みのある庭園は静かな安らぎに満ちている。

17:30にすべての参観を終えたので、夕食前にガイドにお願いして地元の一般人が行くデパートに案内してもらった。  パークソン(白盛百貨店)というマレイシア系のデパートで、大連、北京にもある馴染みのお店である。 抗州産、西湖龍井茶の最高級品がお目当てで、50gの量り売りで缶をサービスさせて98元、同銘柄で安いのは36元、62元とあるが、最高級品を7~8人が買った。  その他、幹物類もガイドが案内する土産物屋で買うより半値から3分の1値で買えた。

最終日(7/16)は午前中、武候祠の参観で、午後から帰国の途に着く。

武候とは三国志で有名な蜀漢の帝、劉備玄徳(昭烈)に仕えた名軍師、諸葛孔明のことで、2人はここに合祠されている。 劉備殿には中央に金泥の劉備が祀られ、左右に関羽と張飛がひかえている。 その後奥が諸葛亮殿、孔明は金泥の塑像で坐り、彼が軍陣で使った銅鼓が置かれている。祠の西隅には草に覆われた劉備の眠る恵陵がある。ここに来るまでの長く続く朱丹の煉塀が竹林の緑に映えて美しい。   文物陳列館の各殿には、岳飛の‘出師表‘、沈尹黙の’降中対‘その他の対聯(対になった詩句)が多く見られた。


熱心なガイド、鄭さんの説明はわかりやすく、しかも、成都に大きな愛着を持っていることが分かる熱弁であった。彼女は上海の大学で日本語を学び、一旦上海の日本企業に就職が決まったけれど、生まれ故郷の成都に愛着があったので入社1日前に断って故郷に帰ってしまったという身の上話を聞かせてくれた。

武候祠参観、昼食のレストラン、成都空港という地理的条件を頭に置いた効率のよいガイドの導きで、今回に限らず毎日が充実した内容の濃い観光を楽しむことができた。

空港には予定通り着き、ガイドは奥のチェックインカウンタまで入れない規則とのことで、荷物のチェックインゲートで鄭さんと別れた。彼女はチェックインがスムーズに行くかどうか、しばらくゲートの外で待ったくれるということなので心強かった。 

16名の搭乗券と荷物のチェックインが無事終わったあと、鄭さんに手でOKとの合図を送り、一行は出発ゲートに向かった。ところが、我々の乗る航空機がまだ着いていないとのことで狭い待合室でしばらく待たされることになった。

今回初めて経験したことは、成都空港で国際空港税、90元を支払い、 トランジットの北京空港で出国手続きをしたことである。ローカル空港の場合、出入国管理吏の配置の問題からトランジット空港の北京や上海で行うということなのかもしれない。

結局、指定のCA451便は1時間遅れで出発し、1時間遅れの22:30に成田空港に着いた。  成田空港ではバッゲージクレイムと税関はスムーズに行ったものの、ゲートアウトしたときにはすでに23:00を過ぎており、JRは21:30が最終で間に合わず、京成電車は津田沼行きの23:05が最終で勝又さんだけがこれに間に合った。

山口さんご夫婦は横浜行きの最終リムジンバスで帰り、横浜からタクシーを利用したとのことである。 残る小松会の5人とIBMの8人は成田ビューホテルに航空会社負担で宿泊することができた。  ホテルチェックアウト時に、伝票を見たら朝食付きで2人で約18万円が計上されていた。  最悪の場合、ベンチで仮眠を取り翌朝始発で帰ろうと思っていたので、航空会社の良心的な扱いに救われた思いがした。 翌朝は7:00起床、7:30朝食、8:20にホテルのシャトルバスで空港に行き、9:00のJR横須賀線快速に乗って、11:00に無事帰宅できた。

何の事故もなく、皆さん極めて元気に帰国できたのは何者にも勝る幸せであった。

皆さんのご協力、本当にありがとうございました。