韓国囲碁旅行延泊日記

韓国囲碁旅行延泊日記

                        高本 正

2003年11月16日(日)

 ソウルは朝から雲1つない爽やかな秋晴れ、外は凛として空は澄んでいる。COEXインターコンチネンタルホテルで朝8時、木谷さん、谷野さん、加藤さんの3人がカンさんと共に北漢山ハイキングに出かけるのを見送る。水田さんは連日の寝不足で休みたいとホテルに残り、池野さんは我々延泊組に加わり、キムさんの車で、午前中行動を共にする。

 兵藤さん、牛島さん、中山さん、と私の4人はあと3泊韓国旅行を楽しむ。  9時キムさんが親戚から借りたワゴン車で迎えに来てくれた。キムさんはクリスチャンで日曜学校に行って子供達に説教しなければならない。教会に寄らないかとの誘いで見学することにした。繁華街の中にある立派な教会は収穫祭を祝う子供たちが作った作品や絵で飾られていた。キムさんの奥様や娘さんにも挨拶できた。美しい奥さんは写真を拝見しておりますと私どもに親しみを持っておられた。教会見学の後、キムさんの用事が済むまで昌慶宮を見物した。昌慶宮は朝鮮王朝の宮殿と宗廟のある史跡である。庭園は国鳥のかささぎがいたり、松の緑と紅葉でよい散策ができた。散策の後は、近くの喫茶店で休憩、早速携帯碁盤を出して中山さんと1局、時間不足で打掛けとした。

 午後1時、キムさんが友人を連れて再び迎えてくれた。友人はチェさんといい、慶応大学で電気工学を学び日本語は堪能、色の浅黒い細身の方である。池野さんはホテルに一人地下鉄で戻ることとなり、別れた。

 ワゴン車は我々6人とスーツケースでいっぱいである。兵藤さんは積み重なったスーツケースが雪崩を起こさないよう綱で縛り後部座席で荷物番役、兵藤さんの準備の良さにはいつも感心させられる。ソウルから東向きの高速道路に乗る。向かうは東海、日本人には日本海だが、韓国は東海と呼んでいる。キムさんのお誘いに乗って1泊2日の旅である。

 4年前の日韓交流で雪岳山(ソラクサン)に行ったが、そのときもこの高速道路をソウルへ戻ってきた記憶がある。  30分も走ったころ一旦、高速を降りて水原(スワン)で昼食、カルビ湯(カルビタン)が美味しいのでとキムさんのおすすめ。  大きめの銀色の金属椀に太い骨が2本、骨の周りにへばりついたカルビ肉をかじる。塩味のスープが絶品、唐辛子が苦手の私には実に美味であった。 キムさんの話では焼肉用の肉をとった後、骨の周りの肉を有効活用した料理だそうである。  車窓から見る田園風景はハングル文字を除くと日本と同じである。山は紅葉が混じり秋の陽射しに照り茶褐色である。

 約2時間後、待望の江原道(カンワンドウ)の海岸に着いた。大きな軍艦が展示された屋外博物館。夕暮れとなり、そろそろ閉館の時間のようだ。キムさんが入場の許可をとりつけてくれ、見学することができた。お目当ては軍艦の北に展示されている潜水艦のほうで、1996年北朝鮮が隠密行動で特殊部隊26人を韓国に送り込もうとして座礁した小型の潜水艦である。内部も見学できる、後方から前方へ細い通路を抜けて見物した。

よくもこんな小さな船に26人も収容したものだと感心する。帰国後、朝日新聞を読んでいると、タイミングよく北朝鮮の軍事を連載していた。コラムによると、この潜水艦は26人の特殊部隊を韓国に送り込もうとした。うち、15人が韓国に上陸し、一人の行方不明を除くと残りの14人は全員、韓国の分厚い警備網をくぐりぬけて逃走したそうである。

 特殊部隊は5?6万人と推測され、60キロの荷物を背負い数時間山中を走りぬくほど鍛錬された強力さである。武器や兵器の能力は劣るが、対人能力は並大抵ではないと報道されている。  先日の板門店(パンモンジャン)の観光と共に朝鮮統一の困難さを知らされる現実を目の当たりにした。  再び車中の人となり、暗闇の中、東海の海岸を南下する。景色は日本と同じ、見晴らしの良さそうなところにはホテルなどがある。次に向かうは徳邸(トグ)温泉。  海岸から離れて山道に入った。午後8時になろうかというころ、山間の温泉についた。 途中、十数件の旅館があったが、日本と違って温泉旅館ではなさそう、温泉客用の宿泊施設と考えられる。温泉は入浴料6000ウオンで日本の日帰り温泉並み。韓国人にとっては少し贅沢な楽しみ。

 大きな浴槽が5つあり、サウナもあり、日本と同じ形式。ただし、露天風呂はない。肌に心地よいツルツル感があり、すっかり体が温まり、旅の疲れをいやすことができた。  キムさんには悪いが、缶ビールを我慢できなかった。

 また車に乗り込み今日の終着点に向かう。20分くらいで小さな町に着いた。  夕食をとるレストランはキムさんが予約を入れていたようで、大きな蒸し鶏が丸ごと 2皿用意された。肉は少し固めだが、味はしっかりしており、美味しかった。素朴なキムチや山菜も豊富で韓国の地方の料理を堪能した。もちろん、ビールや百歳酒も楽しんだ。

 泊まるホテルもレストランの向かい側。キムさんはこのレストランの主人と知り合いだそうである。夕食費は一人3万ウオンについたが、質量とも豪華版であった。  ホテルは小さいがよく整った民宿といった感じ、2階のフロントに一番近いオンドルの効いた部屋に中山さんと合部屋。一人15000ウオン何という安さなんだろう。  中山さんは旅装を解くと早速キムさんを誘って1局、チェさんと私は観戦、序盤から中盤優勢に局面を進めていたが、終盤キムさんの粘りに根負けしてしまった。キムさんのご苦労をねぎらう1敗とみた。 就寝は翌日になっていた。

11月17日(月)

 昨日同様、今日も朝から快晴である。朝食は昨日と同じ食堂、山海の幸が13皿並ぶ中、私にとって珍しかったのは、大きな器のスープの身である。これは何かとキムさんに尋ねるとWater Bearという魚だという答えが返ってきた。熊の手のような形をした魚だそうである。白身で淡白な食べやすい味であった。他にもさんまの煮付け、かれいのから揚げ、山菜など豪華な朝食、これで何と5000ウオン。

旅館から出ると周りが実に明るい。直ぐに海が近いと感じられる陽光である。 町の名は尉珍(ウルチン)といい、韓国で原発のある有名な町だそうである。  路上にせんべいやさんが出ているので、おやつに数種類買った。今日最初のお客ですと喜ばれた。

さあ、車で出発、2日目の行程の始まりである。すぐに海岸に出て散策、荒れた砂浜から日本海をいつもとは反対の方から見たことになる。途中車のタイヤのパンクに気づいてガソリンスタンドと修理店に寄る。ウルチンから西北に道をとる。山間にはいってきた。  今日の目的地である浮石寺に着いた。ここは江陵地区で最も古いお寺だそうである。 有数の観光地であろう、大型の観光バスが何台も駐車している。山に向かう坂道を登る。牛島さんはスティックを持参しながら、車に忘れてきたと反省しながらややきつそうに歩く。   道の両側にはこの地方の名産をおみやげやが並べている。リンゴが最も多い。他にもきのこや木の実を沢山路上に並べて売っている。キムさんが熟したアンポ柿を買ってきてくれた。実に甘くまさに旬のものだった。私は旅のあとも含め、5?6個食べたと記憶する。 

 入場料1000ウオン払い入門し、山あいに点在する伽藍を見ながら歩を進める。 大小20位の建物が点在する大きなお寺。中心的な伽藍は無量寿殿であることを案内図で確かめそこまでは登ろうと目標を定めた。キャラバンシューズをはいたハイキングスタイルのお客もちらほら。鎌倉にある建長寺にどこか似たところを感じる。目標とする無量寿殿を参拝した、無量寿殿には金色に輝く大きな仏様が横向きに鎮座していた。参拝後、 登ってきた参道を見下ろすと遠くの山々が雲海の中広がっている。また左手に回ると山肌に浮石寺の由来となった大きな浮いた2段重ねの石がある。右手には水場があり、朝の氷が溶けないで残っていた。このお寺は1300年の歴史があるそうで、日本でいえば法隆寺の古さであろうか?

 お寺の帰りにキムさんがリンゴを1箱おみやげに買った。我々も食しようと籠入り15個を買おうとすると、一緒に買おうという提案、木箱入りの一番良いものを買った。店のおばさんは満面の笑顔で感謝の念を表していた。リンゴは1個100円につくので、日本と比べると、さほど割安ではないと思った。しかし、私は1個丸かじりで楽しんだ。昼食がわりのリンゴとなった。

 帰りのドライバーはチェさん。高速道路に乗り一路ソウルへ、途中サービスエリアで休憩して渋滞もなくソウルへ戻ってきた。  それにしてもキムさんの親切はありがたい、1泊2日の旅行の手配、車の運転、本当にお疲れ様ありがとうございました。

 これから2泊するオリンピックパークテルホテルに着いたのが夕暮れ。ここからは我々日本人4人の行動となる。夕食は近くのレストランで中華料理に舌鼓を打った。  オリンピックパークテルは1988年ソウルオリンピックの選手村そのもので4人全員相部屋で、シャワーのみ、バスタブはない。オンドルで暖い。  寝る前、兵藤さんと1局、終局近く黒2目勝ちをピッタリ予測した兵藤さんの判断力に脱帽。

11月18日(火)

 延泊の発起人は兵藤さんで、ユースホステルを探していた。韓国側カンさんがこのパークテルを推薦してくれてここに決まった。周囲は近代的な公園として整備されており環境は最高。朝はゆっくりと起きてホテルのレストランでコンチネンタルブレクファストをとった。15000ウオンと高くついたが、雰囲気のよさとコーヒーのお代わりで満足した。

 朝食後、オリンピック公園を散歩、国旗広場や、秋色深まる木木の中をゆっくりと散策した。

 午後は碁会所訪問。碁会所訪問について、兵藤さんと私は1000人収容の碁会所がソウルに現れたと聞いており、そこを訪ねたいと話し合っていた。兵藤さんがいろいろ調べてもなさそうである。韓国側の人も誰も知らないようだ。そこで、キムさんにお願いして 探してもらったのがジャスミ碁会所。ソウルの東南端のヤタップにあるというのでそこを 訪ねることにした。地下鉄でおよそ10駅、1回乗換えがあり目指すヤタップに降りた。

 大きな繁華街である。探すのに手間取りながら何とかジャスミ碁会所を捜し当てた。 大きなビルの2階、入場料は3000W、席数約400ウイークデーの午後なのでお客様はまばら、目を見張るのは碁の道具の調い方である。同じ種類に統一され、1組1組が立派なものである。1枚板の碁盤、茶色に輝く碁器、碁石の調和が良い。  さて、どのように相手を見つけてくれるのだろう。店は2人の若い女店員が仕切っており日本語は通じないようだ。お客さんはすべて男性、年配者が多い。1組の対局を観戦している人がおり、中山さんに話しかけその観戦者との対局が始まった。そんな要領で牛島さん、兵藤さんもそれぞれ相手を見つけて対極がはじまった、私も一番遅れたが、相手が決まり、3級と申告して対局した。緒戦は圧勝、2戦目はマッタを許したりして途中投了。

 碁会所の案内を見ると、段はなく、最高は1級となっている。韓国の場合、プロになって初めて有段者であり、アマはすべて級ということは以前から聞いていたが、ここではそのように実践されていた。こうして念願の碁会所訪問も果たした。

 ホテルに戻り、次はNANTA観劇である。カンさんが面白いので、一緒に行きましょうとと誘ってくれたのである。始まりは午後8時から、6時予定通りカンさんがマイカーで迎えてくれた。ホテルから劇場までラッシュアワーで車の渋滞。劇場まで約1時間半かかった。NANTAは韓国で最も人気を博している芸術である。台所に見立てた舞台で 台所用品を楽器にしてコントをまじえたダイナミックでパワー溢れるショー。  チケットは3万Wと聞いていたが、カンさんによるとデイスカウントで2割引になったようで、24000wを支払った。

 劇場は小さいが、開演直前観客でごったがえしである。カンさんがまだ15分ほどあるので、近くの食堂に案内し、うどんとぎょうざで腹ごしらえした。  劇場の案内板にはNANTAのチームは5チーム、本日はブルーチームが演じるとある。 いよいよショーがはじまった。 男性4人、女性一人、終始、ダイナミックでパワフルな動きと乱打が展開された。これは想像だが、常に観客をショーに巻き込んでいく工夫が取り込まれているのであろう。閉演後も拍手がなりやまなかった。

 こうして観劇を終え、近くの南大門市場の屋台で最後の晩餐をとり、カンさんにホテルまで送ってもらって今日の行事はすべて終了した。

 カンさんはキムさん同様実に親切で、私たちを旧友として扱ってくれる。来年は日本側が迎える番で、15回目という節目に当たる。南大門の屋台で、飲みながら、京都での開催について質問したところGreatという答えが返ってきた。

 また、中山さんは東京で開催される場合は自宅にホームステイできますよと申し出ていただき心強い限りである。カンさんがいわれるとおり、旧友関係が永久に続くようお互いに努力しなけらばならない。

11月19日(水)

 早くも帰国の日となってしまった、今日は何の行事もなし。18:40発KAL705便で帰るのみ。12時にチェックアウトを済ませてリムジンバスでインチョン空港へ。  全員昼食はサンドイッチをとり、それぞれ分かれておみやげ求め、牛島さんはインターネットが見たいとダイナースクラブのラウンジに向かう。

 おみやげ買いも済むと待合で囲碁を始める。兵藤・中山戦を観戦してるとあっという間に時間がたって定刻どおり機中の人となっていた。

           完