第14回日韓IBM交流親善大会顛末記
2003年11月24日 牛島 五郎 第14回日韓IBM交流親善大会顛末記
水田さんの個性あふれる辛辣な旅行記を読んで、延泊組の記述の補足と比較的新しい参加者のために、これまでの日韓交流の歴史を振り返ってみることにした。
この親善大会の発端は世話好きな兵藤さんと箱崎の幹事をしていた私が示し合わせて、韓国IBMに持ちかけたものである。私は1994年に中国大連に行ったので、1993年までの第4回までの全部参加と、大連からも余裕ができた1999年にかみさんと一緒にソラクサン(雪岳山)のハイキングにつられてソウルまで出かけており、今回で5回目の韓国行きであった。
先ず、1990年と92年の日本側の受入は囲碁部全員の協力を得て、TCATに午後早く到着した韓国チーム一行6名を箱崎に迎え挨拶もそこそこに早速2局ずつ対局をした。 この時、韓国のアマの段級位が日本とまるで違うことが分かった。韓国ではプロからアマまで通して位置付けられているのか、アマの最強者が1級で初段が6級ぐらいであった。
韓国IBM一行は会社のクラブ活動の一環として捉えていて、訪日の一部資金をクラブからの援助金としていたようである。日本での宿泊は第1回目が千鳥町の日本旅館(IBMの出張者がよく利用していた)で、第2回目は大井町のビジネスホテル・阪急ホテルであった。 これは中山さんと高本さんがホテルへの送迎と翌日の出迎えに行って、翌日は大和会場まで案内してくれた。
大和では、恒例の大会の一環として朝10時から夕刻5時半ぐらいまで対戦し、小林さん、徳田さん、私の3台の車に便乗して仙石ロッジまで案内した。まだ全員現役で、月曜日ということもあり徳田さんは早朝出勤し、小林さんと私の車2台で箱根観光を楽しませてあげた。 好天に恵まれた箱根では、一行は芦ノ湖上に見える富士山の美しさに感嘆の声を上げ、 大涌谷の黒い温泉卵を頬ばりながら硫黄の湯煙りの中を温泉めぐりしたり、ロープウェイに乗ったりして遊んだ。終点の芦の湖畔まで先に車を回していた車に分乗してドライブしながら友好交流を深め、ロッジに着いてからは食事もそこそこに囲碁三昧で楽しんだ。このころは武宮正樹さんが華やかなころで、コリアン武宮と自称するキムさんやビッグ・パークさんがいた。
結局、彼らは仙石ロッジに2泊した。翌日、我々は246の長津田まで見送り、水天宮までの半蔵門線に乗るのを見届けて再会を約して別れた。
日本からの韓国行きは1991年が始めてで、初回は私が団長であった。 会社からの援助金が期待できない我々はできるだけ安く上げようということで、兵藤さんと一緒に旅行社を数軒あたりHISという旅行会社をこのとき始めて知った。ちょうど、ここでソウル支店開設記念という絶好の売り出しがあり、1日の延泊を入れて3泊4日、3万円前後で15名分の格安航空券を手に入れた。ホテルは3つ星だが庶民的な町で、まわりに市場があったり床屋の呼び込み競走が激しかったりで、近場の碁会所にも行った。 初回は、まだ初段だったころの藤田さんがご夫妻で参加されたこと、 石川さんが元気一杯であったことなどが印象に残っている。
私は団長の挨拶をしなければならないので、日本語で書いた挨拶文を中川さんに翻訳してもらい、韓国語の発音を教わって準備した。兵藤さんはこのころNHKで韓国語を勉強しており、朝食を取るため朝市に出かけた時看板が読めるので感心した。継続しておれば、今ごろは流暢な韓国語が話せたのにと惜しまれる。
このころは全員現役で退職者がいなかったせいか、金曜日に行って月曜日に帰る慌しさで碁会所に行くのが精一杯であった。ハイキングをしようという発想もなかった。 ところが、1999年にソラクサンのハイキングという案内を木谷さんからもらい、 IBM囲碁部の大連訪問でお馴染みになった高本さんご夫妻や、昔の顔なじみの水田さんご夫妻も参加することを知り、かみさんも行くと言うので大連から1時間で行けるソウルに出かけた。宿泊は東海岸のソクチョ・デミョンコンドミニアムであった。 聞くところによると木谷さんというすばらしい幹事さんが、前年の韓国側の日本訪問で手厚いもてなしをされたと聞いて嬉しく思った。 この時、韓国側のメンバーも一新しており韓国側の顔見知りがおらず時代の移り変わりを感じると同時に、今回も韓国側のメンバーが言っていた‘この集いをForeverに続けたい’という気持ちが双方に太い絆となっていることを感じた。 その後、中国IBMや台湾IBMの碁キチにも声をかけてみたが、未だに窓口を買ってくれそうな人が出て来ない。
さて、今回の延泊組の顛末記であるが、高本さんが快く引き受けてくれるということなので、特に印象に残ったことだけをかいつまんで記述する。 11/16はキムさんの車に迎えられて彼の教会に行き、奥さんと下の娘さんに紹介された後、近くの昌慶宮公園に連れて行ってくれた。キムさんは日曜学校のクラスを持っているとのことで、12時半に迎えに来るまで2時間近く広大な公園を散歩するようにという心遣いであった。昌慶宮は670年ごろの建立というから聖徳太子のころである。それが豊臣秀吉のころの文禄、慶長の役で全焼し、1640年に再建されたのが現存しているとの解説板があった。結局、池野さんを含めた5人は1時間ほど散策して南門に出たので、コーヒーブレイクを取り約束の場所に着いたところで符号を会わせるかのようにキムさんの車が現れた。ここからキムさんの友人で慶応大学に留学したことのあるチョイ(崔)さんが同行することになった。
池野さんを近くの地下鉄駅まで送った後、東海岸に鎮座している北朝鮮の潜水艦の艦内を見学した。 この潜水艦は前に韓国東北部で座礁していたのを新聞で見たことがある。たまたま帰りの朝日新聞を見ていると、96年9月に座礁した潜水艦から特殊部隊員26名が上陸し一部は自決したが、15人が逃走。 韓国軍6万人を動員して東京都の3倍の非常線を設け、射殺、逮捕までに1ヶ月かかったという記事が目に入った。1名は未だに行方不明とのことで、北朝鮮軍の訓練は‘人間離れしている’と紹介している。
結局、トッグ(徳丘)温泉に着いたのは19:00になっていた。広い浴室には5つの浴槽と2つのサウナがあり、外国人客も視野に入れた解説板が見られた。惜しむらくは、ゆっくり入りたい温泉なのに、キムさんからは40分で集合し次の夕食会場に行こうという指図であった。
夕食のレストランは温泉から30分ほどのウルジン(蔚珍)にあり、宿泊の民宿と道路を隔ててほぼ隣接しているところであった。6人で2羽の若鳥の蒸しものをメインに食べきれないほどのご馳走であった。 民宿は温泉マークが付いており、2人1部屋、30000ウォン(一人1500円)と安かった。韓国では伝統的な床暖房のオンドル部屋で、最初は暑くて寝つかれなかった。 翌朝、17日の朝食はWaterBear(魚の一種)のスープが珍品で、おかずの種類が多くて食べきれない量であった。それでも5000ウォンであった。
町には水兵さんが歩いており、朝早く車で15分ほどの海岸を散歩した。 その後、浮石寺という名所旧跡を訪れ、小高い山の本堂まで登りお参りした。参道には、近辺のオモニ(おばさん)が作物を売っており、とりわけリンゴがおいしいということで1箱、45000ウォンをキムさんが30000ウォン、われわれが15000ウォンを払って、帰る日まで毎食後リンゴを食べた。もう一つ、柔らかい干し柿のアンポ柿がおいしく、これも最終日の19日まで毎食後にたらふく食べることができた。 オリンピック・パークテルに着いたのは18:00前であった。ここもオンドルで部屋全体が暖かく、外気を入れて室温を調節した。夕食は久しぶりに4人で中華料理店に行き、中山さんが紹興酒を奮発してくれて豊かな食事ができた。
18日は、これも久しぶりにホテルのレストランでコンチネンタル朝食を取った。お代わりのできるコーヒーとジュース、それに食パンとマフィンなどの菓子パンも付いていた。 時間に追われることもなく気のおけない友人とゆったりと食事を取れるのは、心豊かになれるひとときであった。食後はオリンピック公園を1周、散策し、朝食を取っていない中山さんに合わせて早めの昼食は軽食にした。
午後は、前日、キムさんから教わったヤタップ(野塔)の碁会所まで地下鉄を乗り換えて行き、16:30まで各自適当な相手を見つけて2?3局、碁を楽しんだ。この碁会所は450人収容できるとのことで、碁盤も碁石も立派なものであった。ウィークデイということもあり年配者が多く、私は日本語のできそうな人に近づいて2,3、質問を試みた。‘日本で初段です‘と言ったところ、’ここでは3級で打ったらどうか‘とか、’ソウルには碁会所は沢山あります’というような会話を交わし、4級と言うこの人と3局打った。
夕刻は厨房器具を打ち鳴らすので有名になったNANTAを観るために、18:00にParktelにカーンさんが迎えに来ることになっている。 ロビーで待っていると、時間どおりにカーンさんが現れた。すぐ車に乗ったのはよかったが、ひどい渋滞であった。NANTA劇場はハンガン(漢江)の北にあるが、この渋滞で20:00開演の時間に間に合うのかと心配になるほどであった。でもさすがはカーンさん、きっちりと19:30に劇場に着いた。先ず、24000ウォンで指定券を手に入れて、近くのウドン屋へ行き腹ごしらえである。このウドンが関西味の抜群のおいしさだったが、劇場に戻る時は足の早いカーンさんに従いて行くのがやっとであった。
20:05に劇場に戻ったが、すでに始まっており扉はしっかり閉ざされていた。次の幕間まで廊下で待たされている間、テレビ画面を見ておいてください、という指示であった。 ウァーンッ! 折角、時間に間に合ったのに何たることと画面を見ることしばし、割と早く座席に案内されてホッと胸をなでおろした。
舞台では、一人の女性を含めて僅か5人の演技者が縦横無尽に飛び跳ね、お玉や包丁で鍋、釜、まな板、甕など手当たり次第にリズムよく打ち鳴らして観客を引き付ける。目茶苦茶に動き回っている舞台のように見えるが、男女の絡み合いもあるストーリーに構成されていて面白かった。 後半になると、演技者と観客が一体となって舞台を盛り上げる。手拍子、足拍子を全員で取りながら終演を迎えた。
打ち上げは21:40、それからカーンさんの案内でナムデモン(南大門)の屋台に繰り出した。すでにウドンを食べていたので、みんな食欲はもう一つで、次回開催地の意見交換などを話し合いながら23:00には席を立った。我々は遅くなったので地下鉄で帰ると申し出たが、カーンさんはParktelまで送ってくれた。 帰りは行きの半分以下の35分で着いた。
19日は最後の朝ということもあり、伝統的な韓国料理屋で関西風味のウドンとスープをみんなでシェアしながら食べた。 ここで最後のアンポ柿とりんごを食べたが、残ったリンゴを食堂のオモニにあげたら結構喜ばれた。
11:00過ぎにParktelに戻って精算を済ませところで、誰言うとなく早めに空港に行って対局すれば安心だな!ということになり、12:00、Parktel発の空港行きバスに飛び乗った。
空港には13:45に着いたので、ゆっくりするためにDiners Roungeに行ったが、1枚のカードで2人しか利用できないということであった。 各自軽い軽食を取ったあと、高本さんと中山さんが対局を始め、兵藤さんは買物、私はDiners Roungeに行き、溜った52件のe?mailをチェックした。返信などをしているとたちまち2時間が過ぎていた。 成田空港でもそうであるが、ゴールドカードで利用できるRoungeがあるのを多くの人は知らないようである。Roungeではコンプリメンタリの飲み物サービスがあり、Internetも使える。
以上