第16回日韓IBM囲碁交流大会は10月22日(土)に開催された。交流大会前後に旅行が組み込まれ、旅行の楽しみが魅力を集め、総勢21名の多数が韓国を訪問した。旅行では訪問地・宿泊・食事いずれにおいても多彩で変化に富み、参加者全員が大満足だったはずである。その模様を記憶に留めておくため紀行文を日記風に綴っておく。旅行記が長くなってしまったので、別表に日程サマリーを付した。
日程サマリー
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日 |
宿泊 |
食事 |
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行程 |
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朝食 |
昼食 |
夕食 |
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10/19(水) |
アカデミーハウス |
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機内食 |
成田ーIncheon-アカデミーハウス |
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10/20(木) |
アカデミーハウス |
韓国料理 |
プルコギ |
韓国料理 |
北岳、烏頭山統一展望台、南山公園、ドラマロケ地 |
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10/21(金) |
大元モーテル |
マグドナルド |
参鶏湯 |
刺身 |
景福宮、国立民俗博物館、明洞、秘苑 |
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10/22(日) |
ティファニーホテル |
洋食 |
幕の内弁当 |
鍋料理 |
囲碁大会、女性はショッピング |
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10/23(月) |
紹修書院宿坊 |
洋食 |
チゲ・ビビンバ |
バーベキュー |
安東河回村、温泉 |
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10/24(火) |
大明コンドミニアム |
韓国風おぞうに |
韓国料理 |
参鶏湯 |
紹修書院博物館、浮石寺、小白山紅葉、温泉 |
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10/25(水) |
ロッテ蚕室ホテル |
韓国風そば |
韓国料理 |
韓国料理 |
古数洞窟、小白山西北部の紅葉、南大門 |
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10/26(木) |
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各自 |
機内食 |
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ロッテホテルーIncheon空港ー成田 |
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10月19日(水) アカデミーハウス
成田18:45発 ノースウエスト航空7便で先発組の8名はソウルIncheon
空港へ、空港では韓国のタクシー運転手3名が看板を出して待っているはずだが、見当
たらない。両替を済ませて待つこと20分 Kimさんが「こんばんは」といって出迎
えてくれる。後から運転手3名も従いてくる。ホッと一安心。Kimさんたちは中央出口で待っていたそうで、我々は別の出口に出たらしい。3台のタクシーに分乗してソウル市の夜景を見ながら、一路北へ北へと進む。23:30頃小高い森の中にあるアカデミーハウスに着いた。2日前から滞在しているポール夫妻は既に就寝中であろう、姿が見えないが、加藤さんは我々より一足先に着いて出迎えてくれた、バスと地下鉄を乗り継いで、単身ホテルへ到着していた。アカデミーハウスは我々のために、Kimさんが予約してくれたホテルで、大きな研修施設の宿泊棟で周囲は森であった。ソウルの市内地図からはみだしたところなので、相当北にあるようだ。
10月20日(木) マイクロバス観光 北岳
快晴である。アカデミーハウスで韓国料理の平均的朝食をとり、ポール夫妻と挨拶を交わし、先発組全員11名が揃う。Kimさんがマイクロバスで迎えに来てくれてKimさんおすすめのソウル市内観光へ出発する。まずはアカデミーハウスに近い北岳からソウル市内を一望しようという。北岳は大統領府の青瓦台の後ろにある山で頂上に「北岳八角亭」と書いた八角屋根の展望台があり、ソウル市内を展望した。途中武器を手にした守衛兵を見たが、青瓦台のセキュリティだと思われた。山を下り平地に出るとバスは西北に向かう。
烏頭山統一展望台
目指すところは烏頭山統一展望台である。北朝鮮との国境で小高い岡に白い建物が建っている。ソウル市内から1時間以上かかった。北朝鮮を正面に見る大きなホールで日本語による解説ビデオを10分視聴した後外に出る、展望台には有料の望遠鏡が10台ほどあり、北朝鮮の土地や暮らし振りを自由に間近にみることができる。ただし、見えるところだけは豊かに見えるようにカモフラージュしてあるそうだ。こうした展望台に統一という語が使われていることは南北統一が1つの民族としての悲願となっていることは確かだ。
南山公園
ソウル市内に戻り次の見所は南山公園、中央にソウルタワーがあり、最も人気のある公園である。 途中Kimさんが昼食のレストランに案内する。ソウルタワーのすぐ下にあり、Kimさんは焼肉料理であるプルコギを注文した。甘味のタレをつけた焼肉を細切れにしてサンチェ(サニーレタス)に包んで食べる。勿論ビールと一緒に美味しく食べた。昼食後、Kimさんは仕事のため我々と別れる。別れるに当たって運転手にこまごまと指示をしていた。Kimは親切で、誠心誠意我々に対応してくれる。南山頂上のソウルタワーまで行ったが、ソウルタワー展望台は工事中で入れなかった。ソウル市内を見下ろし、記念写真をとり、南山を後にした。
大長今ドラマロケ地
次の訪問地はドラマロケ地、兵藤夫妻はこの大長今という韓流のテレビドラマをずっと見たそうである。バスは再び北を目指す。バスが止まったところは秋の気配の感じられる大きな運動場で若者が運動していた。その横にMBCと記した会社のビルがある。その隣にロケで使った一連のセットが残されて公園として開放されている。ドラマのストリーは約500年前ということで、500年前の宮殿の様子、平民の生活ぶりをつぶさに見ることができる。ドラマを見ておれば更に興味深く見学できたのにと残念に思った。
1日の見物を終わりホテルに戻る。Kimさんが仕事を終えまたかけつけてくれる。
ホテルの近くのレストランで夕食をとることになり、韓国料理に舌鼓を打つ。テーブルには十数種類銀色の小さなお皿が並び庶民的な韓国料理にビールや韓国酒を飲みながら美味しくいただいた。明日はKimさんにつきあっていただけないので我々だけで行動する、Kimさんは行程を細かく指示して帰宅した。
10月21日(金) バスと地下鉄
昨日とは打って変わり天気が悪い、朝から雨模様。家内と私は早く起きたので、散歩に出かけた。ホテルの下にバスの終点がある。バスの終点から右に入ると、北漢山国立公園の入り口がある。入山料がかかるようなので、入らないで案内板をみていると係りの男性が入っていいよと手で合図するので15分ほど国立公園内を散策した。渓流沿いの上り道は紅葉が美しかった。集合時間の8時30分になった、ホテルロビーに皆傘をを持って集まる。まずバスに乗り、スユという最も近い地下鉄駅まで行って朝食にする計画である。
バスは始発駅で乗ったので、全員座っていたが、停留所のたびに通勤客が乗ってきてみるみるうちに満員すし詰めとなる。11人分のバス料金を払う役を負った国吉さんは料金をどうやって払うか心配している。地下鉄スユ駅に着くと殆どの乗客が降りたので、バスはガラガラになり、バス代も無事払うことができた。バスから降りると次は朝食のレストラン探し、雨が降っていて大変である。バス停近くにケンタッキーフライドチキンがあり、入ろうとするとまだ開店していない。お隣のマクドナルドはどうかというと丁度開店しようと女店員が入り口のシャッターを上げているところである。時計を見ると9時であり、我々が本日の最初の客となった。雨で足場が悪い中、あれこれ店を選んでいる余裕はないので、ホッとしたが、ポールさんだけは不機嫌そうで、ハンバーガーもコーラも注文せず読書し始めている。理由を尋ねるとマクドナルドでは食事をしない主義だという。ニューヨークでもまずいから食べないことにしているそうだ。ポールさんの空腹が心配だが、我々は地下鉄で景福宮へ出た。キップは各々が買い何事もなく降りていったが、私だけがキップが見当たらない。いれたはずのポケットを探しまわったが出てこない。皆さんに迷惑をかけてしまった。
景福宮・国立民俗博物館
景福宮は何度が訪れているが、入り口には民族衣装をまとった守衛兵がいたり、建物の周りの白砂が美しく整備されたりして以前より随分きれいに見えた。牛島さんが景福宮見学の感想を次のように寄せられている。(牛島記-景福宮見学の感想)
1991年、第1回の訪問時に訪れた景福宮、民族博物館は、今回の訪問で見違えるように立派になっていた。特に、景福宮は日本との関係で2つの歴史的に過酷な運命にあったことを知ることができた。
一つは、1592年の文禄・慶長の役で豊臣秀吉軍に徹底的に焼き払われ破壊されたこと、これは朝鮮征伐として、加藤清正公のトラ退治で子供のころから聞かされていた話で、無用な侵略をしたものと今回改めて認識できた。
二つ目は、1915年に日本に統合されてから、景福宮を隠すように朝鮮総督府が造られ民族の尊厳を著しく傷つけたことである。景福宮は1996年に復旧されたと説明文に記されており、朝鮮総督府は数年前に取り壊されたという新聞記事はまだ記憶に新しい。
我々の囲碁を通じた日韓友好交流は、従来、近くて遠かった両国の関係を身近に感じさせ親善に大きく貢献していると思う。このような民間交流は、今後もますます発展させ続けなければならないと強く感じた旅であった。
隣接する国立民俗博物館も見学した。日本語解説のヘッドホンを借りた人もいた。ここの展示は派手ではないが、民俗の衣食住についてすべて展示されている。多くの子供の団体が見学していたが、自分の国を知るという点ですばらしい教育効果があると思う。博物館の見学を終えたところで、すでに1時半。
参鶏湯(サンゲタン)
昼食は多くの人の希望をいれて参鶏湯を食べに行くことになった。私や牛島さんや兵藤さんは明洞の百済という店で食べていて知っており、かなり遠いけれども明洞まで地下鉄で行くことになった。わざわざ遠くまで行っても価値があるのか心配したが、全員大満足だったようだ。ポールさんの空腹をやっと解消することができた。
昼食後は夕食の18:30までグループに分れての行動となる。
第1グループは女性3人と兵藤さん、ポールさん、国吉さん で明洞散策と秘苑見学
第2グループは牛島さんと私、と井上さん で 井上さんの生誕地 鐘路6街を訪ねる
第3グループは橋口さんと加藤さん で 自由行動
鐘路6街
井上さんは今回の特別参加者で私の大学の先輩で同窓会囲碁同好会の幹事である。同窓会の囲碁同好会は毎月第三土曜に碁会を開いており、ソウル生まれで、まだ一度も韓国に行ったことがない、かねてから一度行ってみたいと聞いていたので、今回お誘いしたところ、これをはずすと行けそうもない。千載一隅のチャンスかもしれないということで参加された。牛島さんや、兵藤さんも私の同窓会の碁会にはよく参加してもらっており、井上さんをよくご存知なので、気軽にお誘いした次第である。井上さんは旅立つにあたり事前調査をされており、小学2年までソウルにいて、東大門近くの鐘路6街に住んでいたそうだ。牛島さんと私が井上さんを鐘路6街まで案内することになった。東大門市場に近く鐘路6街に容易に着いた。近代的ビル群の谷間のようなところで、古くて小さな家屋が軒を連ねるところだった。鉄道病院で生まれた、昌慶国民学校だったと話されていたが、60年前のこと生誕地も住んでいたところも特定できなかったが、井上さんはそれでも満足されていた。
鐘路6街の探索を終え、待ち合わせ場所の昌慶宮門まで地図で調べると近いので、歩いて向かうことにした。大きくきれいな大学路という大学の集まる区域を通って約束の30分前には昌慶宮門に着くことができた。第1グループは我々より早く着いて我々を待っていた、程なく橋口、加藤さんも到着、無事全員集まった。橋口さんは韓国囲碁年鑑を携えている。韓国棋院を訪ねて購入したそうである。勿論ハングルなので、ハングルで碁を勉強するのであろう。迎えのKimさんも到着し、夕食のレストランに歩いて向かう。何と私たちが通ってきた大学路である。Kimさんは韓国の原宿とこの地域を説明していた。大学路から少し入ったところの日式料理「石井」というこぎれいなレストランに入る。
刺身料理
大皿に盛られた刺身は種類も多く鮮度も保たれている。他に寿司や天ぷらも出て日本と同じような和食を美味しく食べた。韓国酒である甘口の百歳酒も出て日本食を堪能した。
アカデミーハウスから運ばれたスーツケースを乗せたマイクロバスに迎えられ、今夜からのホテルに向かう。漢江を越え江南地区に入ってきた。ホテルに近づいているようだが、案内役のKimさんもなかなか探しだせないようで、ホテル側と電話でやりとりしている。細い道に入る。日本のラブホテルで見られる入った車を隠す仕組みの低いカーテンがついている、ここを通り抜けるのかと思ったら、「ご苦労様、ホテルに着きました」とKimさんの声。
大元モーテル
フロントには若い男性がひとり、ロビーも休憩するところもない。兵藤さんの部屋に行っても彼もうろうろしているようで会えない、夜も遅いし、明朝打ち合わせるしかないと思い寝ることにした。後発組で最も早く大阪から到着した新垣夫妻とエレベーター前で会い、挨拶もそこそこに怪訝そうな表情である。ポール夫妻や中山さんと同伴の安田さんがどう思うか急に不安がつのるが、何分夜遅い。 部屋に戻ると家内が「初めて韓国を訪問する人にとってこんなホテルでいいの?」と訊く。私も答えようがなく、「シャワーだけはきれいだね」としか答えようがなかった。
10月22日(土) いよいよメインエベントである囲碁大会の日である。後発組は全員無事到着しただろうか? 今日の朝食の場所を探さなければなどと考えながら1階に降りると後発組の10名も無事着いたという。ただ、木谷さんと羽山さんは未だ起きてないらしく別に朝食するから先に行ってほしいとのこと。
急なホテル変更
Kimさんも既に来ており、朝食のため外に出る。Kimさんは外に出るなり、「ホテルはどうか?」と訊く。男性群は泊まれればどこでもよいが、女性群は不満のようです、と答えた。するとホテルをすぐ変わろうと提案が出た。囲碁大会までの時間もないし、スーツケースを21人がまたパッキングしなければならない、代わりのホテルがそう簡単に見つかるだろうか?など、多くの困難が頭をよぎる。女性陣がスーツケースもまとめなおしてでもホテルを変わる方が良いのかきいたところ、パッキングしての移動は面倒くさいし、折角韓国の人たちが決めてくれたのだから、もう1泊ここで我慢しようという。Kimさんにホテルは変わらなくて良いとはっきり答えたが、Kimさんは「心配するな、近くのホテルを既に予約したから、今からすぐに移ろう。」と主張する。Kimさんの強い態度に我々はホテル変更に動いた。また全員部屋に引き返し荷物をまとめてフロントに集まる。ここからのKimさんの行動力と統率力は凄かった。通りかかりのタクシーを次々に止め確か8台止めたと記憶する、運転手一人一人に行き先を告げ、指示する。21人中ハングルを話せる人は一人もいないし、行き先も分らない。次々にタクシーに分乗し、Kimさんは全員タクシーに乗ったことを確認すると、隊列を作ったタクシーの先頭車両に乗り、新しいホテルに向かった。
確かに新しいホテルは近く、漢江に近いティファニーホテルであった。大通りに面した2つ星のホテルで1階にレストランもある。無事ホテル変更が済んで、ティファニーホテルの明るいレストランでアメリカンブレクファストの朝食を済ませた。
女性は囲碁大会に参加しなので、観光とショッピングKimさんの友人Choiさんが案内してくれることになり、一足先に出発した。男性群はまたタクシーに分乗して会場であるIBM韓国事業所に向かった。ホテル変更という大騒動のためIBM事業所に着いたのは11時で予定より1時間遅れた。
囲碁大会
Kahngさんや新しい韓国IBM囲碁部の幹事であるLeeさん、Jangさんらの出迎えを受け社員ルームにあがる。日本側は16人、韓国側の参加者は13人。両チームとポールさんの挨拶を終え大会要領の発表である。個人戦一人5局、手合い時計がないので、適宜できるだけ早く進めるようにとの指示。真形ルール、ABCの3クラスで上位3名を表彰ということになった。対局相手はすでに5戦までフリップチャートに書かれている。
私の一回戦の相手は橋口さん、日本側の参加者が多いので、日本人同士当たらざるをえない。私も橋口さんも長考派、案の定他の局が終わる頃まだ中盤戦、お互いに協議し、両者時間切れ、引き分けとした。橋口さんは常先の利を生かし地合で先行、私は厚みでどこまで追い込めるかの状況で勝敗の予測までには至ってなかった。
1回戦の後は昼食である、大きな幕の内弁当が用意されており、焼き魚といい、フライものといい、日本で食べるものに比べると量が2倍で味は良かったが、半分しか食べられなかった。
2回戦の相手はKahngさん。向先逆コミの手合いである。昨年の京都大会では私が半目勝ったと記憶している。白の私の打ちまわしがよく逆コミを出せそうな形勢で、自信を持ったが、最後私の左下隅でコウになり、数目損をした、まだ逆コミは出せるものと作ったら白が5目しか多くなく残念ながら1目半負けとなった。時間を気にして最後雑になったような気がする。Kahngさんはこの局で調子付いたのか、5連勝でAクラス優勝を飾った。私は負け癖がついたように4連敗、Kahngさんとは星が逆転してしまった。
3回戦はChoiさんで私に常先の手合い、大模様を築かれケシのタイミングを失い中押負け。4回戦は韓国側最強のJang8段、私が先番逆コミもらいの手合い。Jangさんの仕掛ける手に最強に応じたつもりだが、相手の読み筋にはまったようで、途中から非勢を意識せざるをえない堕局で中押し負け。5回戦は油谷さんで3子局、今までは2子だったと記憶するが、油谷さんは0.5段落として4.5段でエンロールしたようだ。
それでも必死に食い下がり良い線までいったが、コウ争いを上手に処理されて私の方が投了せざるをえなかった。
対局を終え表彰式に移る、日本側の成績は芳しくなくAクラスでは油谷さんと加藤さん、Bクラスで兵藤さんが入賞しただけだった。日本から持参した菊の舎の干菓子を韓国参加者の全員に、特別ギフトを幹事役のLeeさん、Kahngさん、Kimさんに渡し交流囲碁対局を無事終了した。
鍋料理の懇親会
ショッピングと観光に出かけた女性群も無事もどり、懇親会に臨む。会場は事業所にほど近く全員歩いた。会場は大衆的韓国料理店でどんな料理が出るかと思いきや、鉄の鍋にゆでタコが1匹丸ごと入っている。もちろん野菜も沢山入っている。お湯が温まったころ女店員がタコをハサミで切ってくれる。タコしゃぶというところかタコ鍋か。タコ鍋が空になると鍋を変える、今度はもやしやねぎを主体にした野菜鍋。日本から持参した日本酒白鹿の樽酒とともに宴会は盛り上がった。懇親会の後は韓国の人たちにホテルまで自家用車で送ってもらい、ホテル変更という大騒動に始まった長い1日が終わった。いよいよ明日から日本側参加者が期待している2泊3日の安東の旅である。
安東の旅
10月23日(日)旅に出かけるのにふさわしい快晴である。ティファニーホテル前には朝食前から大型バスが待っていた。この2泊3日の旅は昨年京都で開催し、Kahngさんが感動してくれて、来年は韓国にも古都がある、安東(アンドン)や栄州(ヨンジュ)に案内したいといっていたのが実現にいたった。21名の多人数が参加することになった背景である。Kahngさんは自家用車で参加する。ポール夫妻と兵藤夫妻がKahngさんの車に乗る。大型バスの案内役は若く新しい幹事のLeeさんである。この2泊3日にかかる費用については参加者から徴収し、500万ウオンをLeeさんに預かってもらう。集める会計係りの井伊さん、国吉さんも大変なら、預かるLeeさんも超過しないようマネージしなければならない。大変なことだが、言葉が通じないので最良の策といえる。高速道路を東へ極東高速道路と中央高速道路を乗り継いで目的地安東を目指す。途中パーキングエリアで休憩、日本と変わらず賑わっており、商品の種類も多い。景色も秋の気配でハングルを除けば日本を旅しているような気になる。2時間半ほど走ったところでKahngさんは車を駐車し、バスに乗り込んできた。恐らく今日泊まるホテルがこのあたりなのであろう。Kahngさん、Leeさんは韓国のローカルなところを我々に満喫してもらおうと訪問地、宿舎、食事などいろいろと配慮してくれていると思われる。
テンジャンチゲ
昼食はこの地域で美味いと評判のテンジャンチゲの専門店に案内するという。テンジャンチゲは日本流に言えば味噌汁である。味噌がこの地域独特で少し臭みがあるが、一度食べるとやみつきになるほど旨いそうだ。臭みがあると聞いてビビンバを選んだ人も多かった。
とにあれ殆ど残っていないで完食だったので、皆さん旨かったはずである。このあたりは忠清北道から慶尚北道にかかる地域で北に小白山国立公園を控えた栄州市でリンゴと朝鮮人参が特産品のようだ。リンゴは収穫の最盛期を迎えており、道路際に直売店が並んでいた。デザートにリンゴも食べた。日本の富士というリンゴと同じ種類のようだ。
安東河回村
今日目指す安東は栄州から南へ1時間のところにある。見所が多いようだが、時間も限られているので、最も有名な河回村を見学する。河回村の特徴を整理すると次の4点になろうか。
地理的吉地 川幅30m~50mの洛東江がS字型に蛇行する。川に向かって突き出した円形の土地に村がある、平地でなくなだらかな勾配のある集落地である。村の向こう岸は切り立った岩壁があり、平たい州は白い砂地になっており、緑の松がところどころ趣を添える。要するに景色が良く、集落地としての好条件が整っている。
建造物 普通家は南向きが好まれるが、河回村の家は全方向向きになっている。16世紀高麗時代から建造物が次々に増えていった。養真堂、忠孝堂などは国宝になっているが、今も殆どの家に人が居住しているとのこと。日曜日なので多くの観光客が見ている中、家の中ではにんにくの皮をむくなどそれぞれの生活をしていた。
学者の村 16世紀半ば有名な儒学者がこの地から出た。柳雲龍、柳成龍二人は兄弟。柳成龍という人は秀吉の朝鮮征伐から韓国を守ったとして深く敬愛されており、没後も弟子たちや子孫が遺徳を称えて集落が大きくなっていったと記されている。養真堂は柳雲龍の住居、忠孝堂は柳成龍の住居と説明されていた。
仮面文化 日本で見る能面のようないろいろな表情をもった面が飾られており、またお土産として売られている。村の入り口には野外劇場があり、今年9月に世界マスクダンスフェスティバル2005が当地で開催され賑わったようである。3時から河回村のマスクダンスが始まるとのことで、劇場にかけつけたが、立ち見の人でよく見られなかった。聴衆が大笑いしていたので、コメディー調のユーモラスな舞か劇なのであろう。
帰りに観光案内所に立ち寄り、安東市の観光案内を買った。「韓国精神文化の首都・安東へようこそ」とある。河回村1ヶ所しか見なかったが、韓国精神文化の首都らしいところを充分認識することができた。
温泉
安東河回村の観光を終え、バスで北へ戻る。ホテルに入るのかと思いきや、Kahngさんは近くの温泉に立ち寄りましょうと誘う。韓国の温泉は興味深いし、疲れも癒されるので全員賛成で温泉に向かう。場所は栄州の豊基あたりのようである。豊基温泉としておこう。日本の日帰り温泉である。タオルやロッカーなど日本のゴルフ場の入浴システムと同じである。浴槽は湯の温度別に4つあった。湯は無色透明で澄み切って清潔だった。日曜日ということもあり、入浴客で混んでいたが、1時間弱温泉で汗を流し、体が温まった。
紹修書院宿坊
またバスに乗り込んで、今夜のホテルに向かう。温泉から10分くらいで着いた、7時近くなっており、外は暗い。広い敷地は土塀に囲まれ、小さな屋根瓦の家がバンガローのように点在している。私はお寺の中の宿泊施設ではないかと想像した。韓国側のJangさんとParkさんが車でかけつけるという。バスの運転手も入れると総勢25名がこのバンガローのようなところに分かれて泊まる。道が暗いので用意の良い人は懐中電灯で照らしながら、大きなスーツケースを宿坊に運ぶ。私に割り当てられた部屋は4人ということで、入ってみたが、ふとんは2組しかない。トイレ・バスは勿論なし、トイレは外に出なければならない。しかも便器は1台しかないと報告された。ご夫人方はどうするのか、工夫の要るところである。私のオンドル部屋は4人寝るには狭すぎる、どうにかならないかと待っていると、5人女性用に割り当てた部屋の隣に小さい部屋があることが分り、牛島さんと、私ども夫婦3人で利用、先に割り当てられた部屋には井上さんと橋口さんの2人が利用することで問題は解決した。ここは山の麓にあり、非常に冷える、先ほど温泉で暖めた体はすっかり、冷え切ってしまった。都会生活をしている私たちにとっては狭い空間、不完全な暖房、せんべ布団、トイレなど大きな試練であった。後日、木谷さんが教えてくれたが、この宿泊施設は昔の貴族の館であるとのこと。
いろいろ、不便なことばかり並べたてたが、韓国の古い伝統文化を体験できたことに感謝しなければならない。
バーベキュー
夕食はこの宿泊施設に併設された場所、屋内に案内されたのでホッとした。柔らかそうで、高級な牛肉の焼肉。宿舎に比べ夕食は格段に贅沢だった。私をはじめ皆料理と酒で体を温めるのに必死だったようである。予定通りJangさん、Parkさんも加わり、賑やかなバーベキューパーティとなった。
夕食後、韓国勢4人部屋に行き韓国棋院と名づけ、磁石碁盤とKahngさん持参の木の盤を並べて親善対局を楽しんだ。私はJangさんに挑戦、力碁を押し切って本番の借りを返すことができた。
韓国風おぞうに
10月24日(月)今日も観光に適した晴れである。昨夜と同じところで朝食。料理は韓国風おぞうにということである。おぞうにだから通常は正月に食べる料理である。大きなどんぶり茶碗に暖かい塩味のスープ、具は丸く小さく薄い餅が無数に入っている、ギョウザも2個入っていた。朝食後は周辺の観光、この宿泊施設の隣に古い学校跡がある、松林や秋の風情が感じられるいちょうがあり、開放感のあるところである。案内役の女性が学校跡に誘導する。約500年前に創建された私立大学の跡ということで、教室や、図書室、教員室、学生寮が残っていた。その後隣接する紹修博物館に案内された。
栄州市の紹修地区の遺跡や偉人の業績、高い文化を知ることができた。
浮石寺
次はバスに乗り、目指すところは浮石寺。地図を見ると浮石寺は小白山国立公園の東側に位置する。韓国で有名なお寺である。私にとっては2度目の訪問。入り口から石段を含むだらだら坂を見所の本殿である無量寿殿まで歩かなければならない。石段は煩悩の数と同じ108段。最も高いところにある無量寿殿は韓国第2の木造建造物、日本の法隆寺と同じ頃建てられたということだ。登り坂が急で皆さん大変だったようだ。しかし登ると素晴らしい景色と雲海を見ることができるということが励みになったのか、、全員登った。坂道の両側にはおみやげやや出店が並んでいた。なんと言ってもリンゴが目立った。無量寿殿は中に金色に輝く弥勒菩薩が鎮座しており、多くの参拝者で賑わっていた。無量寿殿を出ると左奥には浮石がある。長さ10mほどの大きな石は真中で上下に2つ裂けている。この寺の由来になった珍しい石である。また坂道をバスまで歩いて下りた。登り30分下り15分というところか。
小白山の紅葉
バスは小白山の山道を登る。大型バスは途中までしか進めない。Kahngさんが1台の車でピストン輸送して紅葉の見所まで送ってくれた。健脚の兵藤さんと国吉さんは全行程歩いた。大変なようだが、もう夕暮れも迫り、歩いた時間は短く登り30分下り20分程度。Kahngさんの車でハイキング道路の入り口まで行き、そこからは歩きである。渓流沿いにハイキング道路が整備されている。途中滝がある、その滝の周辺の紅葉は素晴らしかった。滝の上に喜方寺という山寺があり、その周辺も見事に色づいていた。Kahngさんが紅葉の一番良いこの時期を選んでくれたが、その通りだと感心した次第である。どんな写真が撮れているか楽しみである。下りは私もバスまで徒歩で下りたが、道中の紅葉を楽しむことができた。
バスに戻るとKahngさんが今日も温泉に入りますかと訊く、全員2つ返事でYES。
昨日と違って入浴客はまばらで、浮石寺と紅葉賞でで歩いたので、気持ちの良い温泉だった。
栄州の参鶏湯
一風呂浴びた後の夕食は鶏料理で有名なレストランに案内するという。普通の韓国料理屋の趣、やはり出てきたのは参鶏湯である。私を含め先発組は食べたが、木谷さんを始めとする後発組も食べたかったはずである。ここにもKahngさんの配慮が現れていた。
大明コンドミニアム
本日宿泊予定のコンドミニアムは近かった。着いてみると昨日とは全く異なる豪壮な鉄筋コンクリートのホテルである。多くの人が昨日と同じような宿坊みたいなところを想像していたのではなかろうか、勿論私自身がその一人で驚いた。近代的なリゾートマンションと表現するのが最も合っていると思う。4人1部屋の割り当てで部屋に入ると中央に広広としたダイニングキッチンがあり奥にツインベッドの寝室、手前に優に5~6人は収容できるオンドル部屋があり、コンドミニアムが想像以上に良いので、嬉々満面でチェックインした。昨夜の冷え込みもなく却って暑いくらい空調が効いていた。
ここでもまた臨時韓国棋院が設けられ親善対局を楽しんだ。Leeさんはビールを樽で買ってきて、おつまみもふんだんにあり、宴会気分で碁を打った。早寝のポールさんも参加していた。
10月25日(火) 2泊3日の旅も今日が最終日、コンドミニアムの地下レストランで朝食、何やらまた珍しい料理である。茶色の細切りにしたようなものが丼に盛られている。ごま豆腐のような感じでもあり、もっと細く長くすればそばである。味は淡白でごま豆腐のような濃厚さはなく、そばにしてはしこしこ感がない。Leeさんの説明では植物の一種で粉末にして色々な形にして食するローカルな食事です、とのことだった。
Kahngさんは午後から職場に戻らねばならないと新垣夫妻と一緒にソウルへ戻る。
朝食後部屋に戻るとリンゴが一人4個ずつ配られている。Kahngさんは何も言わないで帰ったが、Kahngさんが旅のみやげにと配慮したのは明白である。
大きくて重いし、日本に持ち込むことはできないし、こんなに沢山は要らない、一ついただけば充分という大多数意見が出てきた。早速兵藤さん、木谷さんで相談、残ったリンゴをKimさんへのおみやげにしようという兵藤案で一件落着した。
バス接触事故
朝食後荷物をまとめて最終日の観光に出発。コンドミニアムから公道に出るところでバスは急停車。曲がり角で右側のタクシーと接触したらしい。バスを降りて見ると右側、中央下の部分のペンキが薄くなっている。両方の運転手は即座に車から降りて大声でやりあっている。我々はバスに乗っていても仕方ないので、コンドミニアムで待つことにした。事故の処理は警察や保険会社がきて示談することになる。コーヒーでも飲みながら決着を待つことにした。幸い地階にはスーパーマーケットがあり、退屈しないだろう。
中山さんと木谷さんは早速対局を始めていた。事故によるロスタイムは1時間、今日観光する予定のところを3ヶ所から2ヶ所に減らすことにした。
古数洞窟
今日最初の訪問地は栄州市の西側の丹陽地区にある鍾乳洞である。鍾乳洞はこの近くに3つあり、その内の最大規模で有名な古数洞窟を見物するという、入口から出口まで一方通行で1.7km、中に入ると鉄梯子を歩くようになっている、幅が狭く階段が多く、頭上注意しながら慎重に進まなければならない。1.7kmあるということは約1時間かかる、大規模な鍾乳洞である。
鍾乳洞見物の後はまた紅葉鑑賞、小白山国立公園の北西側を散策する。渓流沿いに、途中龍たん瀑という景色の良いところを見て、国立公園の北側入り口があるところまでゆっくりペースで散策した。紅葉は昨日の喜方寺ほうが素晴らしかった。見物を終えビビンバの美味しい店で昼食をとり、安東2泊3日の旅の全行程を終えソウルへ戻ってきた。最後の日の宿であるロッテ蚕室ホテルは豪華なホテルであった。近くにはロッテワールドという遊園地を運営している。Leeさんも無事旅を終えホッと一安心されたことだろう。Leeさんは34歳男の子が一人、韓国囲碁同好会の状況を次のよう話してくれた。「Kahngさんに続いてJangさんもIBMを去った。リストの上では20数名いるが活動しているのは12~3名残ったもので頑張らないといけない」。
最後の晩餐
夕食はホテルのコンセルジュに相談し、20名入れるレストランを予約してもらった。2台の送迎車で乗り付け最後の晩餐をとった。晩餐では、各自、今回の旅の感想を出し合ったが、皆大満足の様子だった。Kimさんも夕食会場にかけつけてくれた。夕食後南大門に希望者を案内してくれた。Leeさん、KimさんKahngさんには本当にお世話になった。
10月26日(水)
直接松山へ行くポール夫妻、大阪に戻る油谷さんを残し、朝7時30分のリムジンバスでIncheon空港に向かい帰国の途に着いた。牛島さんは大連にまた旅を続けられた。
この旅は実に変化に富み、印象深い旅となったが、皆様の協力がないと成り立たない。
企画と韓国側との連絡係りの木谷さん、21名という大きなグループを実質的に統率した兵藤さん、最もやっかいな会計係りを引き受けていただいた井伊さん、国吉さんに感謝しなければならない。来年は韓国側が日本に来る番で、USでの開催も一案としてあるが、どういう内容にすればよいか早めに決めて韓国からの参加者がスムーズになるよう考えなければならない。
完 (記 高本 正 2005年10月)