九寨溝・黄龍の旅
「こんな美しい自然は滅多に見れない」と薦められて中国・四川省の山奥にある九寨溝と黄龍を訪ねた。1992年に世界遺産に登録され注目を集める観光地である。
我々囲碁仲間16名のために横浜にある中国専門の旅行社が企画してくれた。出発の10日前に旅行説明会があり、高山病に注意された。富士山くらいの高度で5時間位はハイキング、高度差500m、降雨確率は50%寒暖の差が激しいと悪条件ばかり提示された。それだけに行く価値があるのだろうと期待を胸に7月10日朝、成田を出発した。
6泊7日の行程は次表のとおり。

成都ケンピンスキーホテル
中国国際航空で北京経由成都行。北京では入国手続きを済ませ午後予定通り四川省の省都成都に到着。若い女性ガイドの鄭暁梅さんが迎えてくれた。バスで約30分北上し成都市南方に位置する真新しい豪華ホテルに案内された。まだ正式にオープンしていないそうでオープンするべく吉日を待っているそうだ。5つ星のケンピンスキーホテル。ツインの部屋に入るや驚き、洗面台やシャワー室が総ガラス、部屋の机も一面のガラス。流石ドイツ系のホテルである。
火鍋料理
旅装を解き一休みして夕食に向かった。四川料理の火鍋レストラン。16人が2つの円卓に別れビールで乾杯の後、四川の酒アルコール度52度の剣南春をちびりちびりやりながら火鍋を楽しんだ。野菜、きのこ、川魚、肉、豚の耳や臓物をおしどり鍋といって鍋は赤い汁と白い汁に分かれており、赤いほうは激辛、白い方は辛くない、その汁に適当にしゃぶしゃぶ風に食する。
九黄空港
翌日、7月11日(日)朝が早いので、朝食はホテルが用意してくれた弁当、といっても中身はパン2個と果物。各自手にしてバスに乗り込んだ、成都空港へ向かう。7:40発の国内便に乗る。
九寨溝・黄龍へは昨年9月新たに飛行場ができたのである、九黄空港という高度3500mにある高台の飛行場。成都から40分のフライトだが、チベット高原の東部に位置するだけに山岳のすきまを縫うように飛行して着陸した。霧やガスのためにキャンセルになったり、遅れたりすることが多いのに、「あなた方は幸運です」とガイドの鄭さんがたたえていた。3500mの高度で外の空気はヒンヤリし、避暑に来たようだ。ここからまたバスで九寨溝入り口に向かう。舗装された山岳道路を88Kの道のり。九黄空港から一旦標高3000mに位置する川主寺という町に下りて道は九寨溝の方向と黄龍の方向に分かれる。ここで、高山病対策用にミネラルウォーターが配られた。高度が高く高原と山岳の連続である、さすがに日本では見ることのできないスケールの大きな山岳地帯である。ところどころチベット族の集落や高山の船と呼ばれるヤクが放牧されている。また窓越しに高原を見つめると可憐な黄色や紫色の花が咲いている。荒々しい岩山を通りかかるとここは「四川の火焔山と呼ばれるところです」と鄭さんが説明してくれた。トルファンを旅したことがあるが、赤茶けた山肌は火焔山を髣髴させるものがあった。
九寨溝の入り口付近にかかると朱の飾りが目立つホテルや旅館が並ぶ、1日12000人に入場制限されているとはいえ、山奥に12000人収容できる施設が必要なのである。
我々のホテルは九寨溝入り口に最も近いところにある5つ星シェラトンホテルである。
東棟と西棟からなる豪壮なホテルである。朝早く出発したので、正午に到着した。
ホテルで中華料理の昼食をとったあと、高山に体を慣らすための休息、誰もまだ酸欠になった様子もなく、元気なので、碁を打った。女性3人は鄭さんと外を散策したようだが、何も見るべきところはなかったようだ。しかし、このホテルの立地は日本の上高地とよく似ている、谷間の両側に高い山が迫っている。夕食はホテル内レストランでバイキングスタイル、その後ホテル内でチベット族やチャン族の踊りや歌のショーがあるとのことで、
10人分の席が予約でき、ショーを見たが、言葉も分からず、音声のボリュームが異常に高く最後まで見ないで退散した。
九寨溝
7月12日(月)7時朝食を済ませ、8時半出発、3分で入り口に着いた。観光客で大混雑している。大多数は中国人である。九寨溝の中はエコバスといって天然ガス車に乗って見所を回る。ところどころバスからおりて散策する。幸い天候は晴れでよかった。九寨溝内は乗り合いのバスと貸切バスの両方があり、乗り合いバスは中国人観光客が長い列を作っていた。我々は貸切バスで待たなくてすむ。日本の旅行社が15人を切ると貸切バスにならないと心配していたことがよく分かった。
九寨溝はY字型の渓谷で、Yの字の右上部分を日則溝、Yの左上部分を則査窪溝、下の幹の部分を樹正溝と呼ぶ3つの部分からなる。高度2600m~3100m。
九寨溝はチベットや岷山山脈からの雪解け水が石灰石を通りろ過され清冽な水が高いところから流れる、途中に海と呼ばれる湖を作り、池の底の石灰分、や光線や池の中の植物などの作用でエメラルドやコバルトブルーの美しい色を作り出す。また、森の中を真珠のような水玉を作りながら流れたり、ところによっては美しい滝となる。全く文字で説明するとなると難しい、是非写真を見ていただきたい。否、実物を見ていただきたい。
日本に例をとれば、水やその流れが美しいところとして忍野八海や、柿田川があるが、それらの大型で総合されたところといえるかもしれない。
鄭さんのガイドでY字型の右上部分の日則溝から見て回ることになった。
まず、バスを降りて散策したところは鏡海、散策時間15分、ここはエメラルド色の湖で魚が泳いでいた。いわなややまめの類と考えられるが、鄭さんは「はだか魚」、チベット族は捕らないし、食べないと説明していた。
次は五花海、散策時間20分、池の底に倒木が沈んでおり、怪しくも美しい色だ、湖の中央部分はコバルトブルー周りは淡いエメラルド色。このようにして美しい湖が連なっているのをバスから降りては見て回る。それぞれに名前がつけられている パンダ海、箭竹海、などなど、
散策道は全行程にわたり木道が、ところどころバス仕立てのトイレもあり、世界遺産に登録されるにふさわしい整備ぶりである。
次の珍珠灘及び珍珠灘瀑布が圧巻であった。散策時間も40分と長い。
清冽な水が植物の生えた岩場を勢い良く流れる、真珠のような水玉を作りながら。
遂には、100m位の大幅な滝となり、幾筋も水柱となっている。「これぞ九寨溝」の感を深くした。
その後、Y字型の中心部にある、園内食堂で昼食をとり、混雑を極めるお土産屋に立ち寄り、またエコバスに乗り込み、Y字型の左上部分の則査窪溝に向かった。最も高いところである長海は最も大きな湖となっており、展望台から展望した。次に少し下って五彩池
ここの池は小さいので海でなく池と呼ばれている。光線の加減で色が変わるらしく、世界一のトルコ石と言われている。散策時間は15分とのことだったので、雨具の用意もなくバスから降りたが、急に雨粒が落ちてきた。山の天気は変わりやすい雨を15分体現してしまった。ガイドの鄭さんは「変わり易いのは山の天気と女の顔」と我々を慰めたので、「女の顔でなく女心じゃないですか?」と反論したが、女心は一度変わると元に戻らないが、天気はまた元に戻るでしょう、変わり易いのは顔ですと自らの主張を曲げなかった。雨はこのときだけで助かった。則査窪溝は途中から伏流水となって水の流れは地下となる。
Y字型の幹の部分まで下りてきた。ここからの渓谷は樹正溝と呼ばれる。
また犀牛海、老虎海などエメラルド色の湖が続く。また珍珠灘のような植物の生えた岩場を清冽な水が流れる樹正群海や盆景灘、珍珠灘瀑布よりも小規模ながら樹正瀑布を散策し、九寨溝見物をすっかり堪能した。一番低いところには芦が湖一面に覆う芦草海もあった。こうして高山病に煩わされることもなく、天候に恵まれ念願の九寨溝見物を満喫した。シェラトンホテルに夕刻戻り、皆満足し、感動した様子でバイキング夕食を共にした。
黄龍
7月13日(火)また朝早く8時半出発、天候が曇りで危ぶまれる。九寨溝からまたバスで88kmの山岳道路を黄龍との分岐点である川主寺まで戻り、そこから更に42km黄龍に向かう。川主寺から黄龍へは更に高度が高く、標高3900mの峠を越える。その峠からは天気がよければ雪宝頂という5800mの雪を頂く山が見られるという。
残念ながら天候が悪く雪宝頂を拝むことはできなかったが山岳ドライブは十分楽しむことができた。舗装道路で揺れは少ないが、ガードレールのないところが大半で景色を楽しむ反面、ハンドルを切り損ねたら谷底へ落ちるリスクを負ったドライブであった。12時黄龍入り口に到着、ここは九寨溝に比べるとホテルや旅館は少ない。
標高は九寨溝より高く3100m、鄭さんは酸素ボンベの購入希望を募った。16名中13名がボンベを購入。私は家内と共有で1本買った。50元。
レストランで昼食をとり、鄭さん持参の日本語の地図で黄龍観光のガイドが始まる。黄龍は3100mからのぼりはじめ木道の両側にずっと見所が続く。体力に応じて途中までで引き返しても十分黄龍の景色を楽しむことができる。しかし、一番高いところ3600mのところに有名な見所五彩池がありますとのこと。ということで距離は片道3.5kmだが、登りの高度差500m、である。登りに2時間半はかかるだろう。下りは1時間半と予測した。
12時半出発の17時帰着予定と決まり、各自自分のペースで観光することになった。高山を心配していた牛島さんは駕籠(料金220元)で登ることになり、他15名は徒歩。黄龍も入り口を入ると中国人観光客で混雑している。景色のよいのぼり道(木道)は道幅一杯の人の列。5分も登ると迎賓彩池と呼ばれる美しいところに出た、淡いエメラルドグリーンの清冽な水を湛えた池が棚田のように連なっている。観光客が競うように写真を撮っている。
黄龍はこのようにカルスト地形で、石旬が池の堤を作り池が棚田状に連なる光景である。
水が石灰でろ過され光線や石灰華との関わりでそのような美しい色になっているのである。
登る道の両側に見所が連なっている。ところどころ岩場や滝になっているところもある。
見所にはポイントポイントで名がつけられており、登りはじめの迎賓彩池、滝になっている飛瀑流輝、洗身洞、盆景池、明鏡倒映池、争艶彩池まで見ながら家内と歩調をあわせて登った。6合目くらいにある争艶彩池は黄龍の中でも大規模で最も美しいところだった。
棚田状に連なった池の数が多く、エメラルドグリーンの色も深かった。最も高いところがこれまた美しいことで有名な五彩池ということで、更に登る。天候も曇りが晴れてくる。酸欠も心配するほどではない。しかし、時間のほうは写真撮影と景色にみとれたのか、随分経過している。登り始めるとき3時半まではとにかく登り続け、下りに1時間半を充てることにしていた。五彩池の手前に黄龍寺というお寺がある。そのお寺の上が五彩池というところで3時半となった。五彩池の上に展望台があるが、展望台まで行くのはあきらめた。
五彩池の入り口を見て引き返した。下りは時間がないので下り専用の道を選んだ。この道は駕籠で登り下りする道でもあり、約束の5時帰着にどうにか間に合うという余裕のなさであった。集合場所に戻ると13人がそろい、残り3名が着いていない。5時半ごろ全員が帰着し安心した。こうして好天に恵まれ黄龍観光を満喫した。
五彩池の展望台までは行けなくて残念だった。展望台から黄龍を眺めると石灰質の黄色が長細く連なり黄色い竜が天に昇るように見えるという黄龍命名の由来も実感できたであろうにと。
黄龍観光の後はまたバスで3900mの峠を越えて42kmドライブし川主寺のホテル3つ星の川主国際飯店に向かった。夕食をすませ風呂で汗を流し、バタンキューと床についた。
7月14日(水)
成都に戻る飛行機が8:25発でこの日も早朝の出発、ホテルから15分で九黄空港に着く、山の上の空港は霧に包まれている。昨年9月に開港したこの空港は1日8便成都行があり、まだ北京や上海からの直行便はない。利用客は全員が九寨溝・黄龍の観光客と考えられる。それにしてもよくこんな高地に3500mの滑走路を持つ飛行場を作ったものと感心させられる。
50元の空港利用税を払ってチェックインを待っていると、掲示板にDelayの文字が3行並んでいる。天候不順で遅れている。成都からの便が欠航となっているのである。待つこと3時間霧が晴れ始め飛行機が到着した。とうやく3時間遅れで成都空港向けて飛び立った。鄭さんこれが普通です、定刻どおりにいけば全くの幸運ですと。
都江堰(とこうえん)
午後の観光予定は都江堰(とこうえん)、杜甫草堂、武侯祠の3ヶ所を予定していたが、飛行機が3時間遅れたので1ヶ所しか回れない。都江堰観光に決まった。成都の標高は600m、高地と違って蒸し暑い。
都江堰は成都から西北に50Km都江堰市にある。九寨溝や黄龍の観光が感動的だったので、都江堰には余り期待していなかったが、さすがに、中国の歴史は古い、感心させられることの多い都江堰観光となった。
都江堰は2200年前の水利事業、それが今日まで受け継がれて四川盆地の農業が支えられているというところである。バスで約1時間都江堰に着いた。岷江という川は揚子江の支流で流れが速く水量が多い。2200前に早くも氾濫を防ぐ水利事業が成し遂げられた。その考え方は現在まで引き継がれ四川の人々は「都江堰のお陰で蜀は天府の国である」と感謝しているのである。
岷江の上流に向かって右岸は小高い山になっており、岷江、都江堰を見下ろす絶好の。場所である。いかにも中国らしい古めかしい楼閣が展望台となっており、岷江と岷江の流れを灌漑用とそれ以外に分ける分水部分である「魚嘴」と呼ばれる水利事業の要の部分を見下ろす。楼閣周りの遊歩道や楼閣内は整備が行き届いており森の涼しい風とともに快適な観光環境を作り出している。1996年世界文化遺産に登録されたことも容易にうなづける。展望台から遊歩道を下っていくと二王廟がある。こちらもいかにも中国の古い寺風の建物で落ち着きが感じられるものだった。水利事業の立役者である李氷とその事業を引き継いだ二郎父子を奉ってある。鄭さんの説明によると毛沢東や江沢民もここを訪れ二人の偉業を高く評価したそうである。また、日本の山梨県にもこの考え方を応用しているところがあるそうである。二王廟の壁に「深陶灘低作堰」という六文字が大書されていたが、水利の要諦は「水底は深く掘れ、水を貯める堰は低くしろ」ということらしい。暑い夏こんなに蝉の鳴き声が大きいのかと思うほどけたたましい蝉の声を聞きながら川岸に下りた。魚嘴を見学するために岷江を渡る吊橋がかかっている。清代に作られたよく揺れるつり橋を渡り魚嘴まで散策、魚の口の右側は60%の水を灌漑用に内に取り入れ、左側には近代的なダムとなっており、40%は外に流すように仕組まれている。都江堰の水利事業の要となる3大構成要素はこの分水機能を持つ「魚嘴」とダムのほうの「飛沙堰」、3つ目は「宝瓶口」と呼ばれる灌漑用水を取り込むあたりの工夫とのこと。宝瓶口はずいぶん離れたところにあり、見学できなかった。
歴史の深さ、事業の大切さ、今日まで受け継がれている基本デザインなど学ぶところの多い都江堰観光であった。都江堰市の入り口には観光モデル市の国家認証がなされていた。
成都への帰り道はハイテク企業誘致地域があり、成都市を周回する環状道路が3本整備されているなど、成都の近代化も伺えた。成都は人口1000万人、上海や大連ほどではないが、こんな奥地にも発展の波が押し寄せている。
薬膳料理
成都に戻って夕食は薬膳料理、欽善斎という高級そうな専門店に案内された。
16人のお客さんには16種類以上の料理を用意するとのことで、皆さん日本ではいくらお金をだしてもこんなには出ないと喜んでいた。薬膳は「良薬は口に苦し」というように苦いかと思ったが、全然苦味はなかった。珍品はきのこの一種である冬虫夏草で興味深く味わったが、黒い細い少し苦味のある干草という感じ、吸い物に一本だけ入っていたが、私には食欲をそそられるものではなかった。
川劇
薬膳料理の後、川劇鑑賞と忙しい。川劇は午後8時開演というのに薬膳をじっくり楽しむべきと8時15分レストランを出た。川劇は四川の劇ということで、いろいろ工夫を凝らしたショーで興味深く最後まで観た。舞台は公園内のお寺のようなところで、観客は庭園内の野外。ショーの内容は興味をそそられるものばかりであった。
川劇の出し物で最も有名なものは変面、数人の役者が舞台で演舞をしながら顔につけた面を次々に変えていく。面の色鮮やかさが目立つ。変面の動きのすばやさ、どういう仕掛けになっているのか?最後までわからなかった。途中素顔も出るので親しみを感じるショーであった。変面のほかには滾燈も面白かった。一人の男性芸人が頭の上に茶碗を乗せる茶碗の中には燃え滾る蝋燭が一本入っている。頭の上で茶碗をずらしながら低い脚立の下にもぐったり立ち上がったり、雑技の曲芸の一種だが、お隣に女性の芸人と面白おかしく芸を進めるところに愛嬌がある。両手の指を器用に動かす影絵もすばらしい芸だった。川劇を鑑賞してホテルに戻ると10時になっていた。
パンダセンター
7月15日(木)初めてケンピンスキーホテルで朝食をとった。バイキングである、私は中華料理ばかりでウンザリしていたので洋食にした。野菜サラダ、ヨーグルト、オレンジジュース、パン、果物でうまかった。
また8時半観光へ出かける。本日は成都市の北東方面、最初はパンダセンター。
パンダは朝のうちよく動き回るので、野外にいるパンダが見物できるとのことで、世界最大のパンダ人工飼育センターにでかけた。世界一といってももともと生息数は1000頭強なので、40頭飼育しているここが世界一なのだ。育てること、殖やすこととも極めて困難なことだといわれている。氷河時代のかすかな生き残りを維持するのは並大抵のことではないのに、よくその困難さに挑戦するものだ感心させられる。野外でえさの竹を食べたり、寝転んでいるパンダを数頭見ることができた。
三星堆
パンダセンターに続いてバスが向かうのは三星堆博物館。成都の東北50kmに位置する。三星堆は数年前東京世田谷美術館で展示され見た記憶がある。青銅仮面文化に代表される遺跡である。そのような薄弱な前提知識で臨んだが、行ってみてびっくり仰天。
バスは広漢という町に入った。超近代的な博物館がたっている。建物自体、展示の仕方すべてにわたり快適な環境である。その近代的な博物館は1号館で今年5月1日オープンしたばかり。世田谷美術館で見た青銅仮面や青銅の神樹は古い2号館に展示されていた。
三星堆遺跡は考古学上、中国の歴史を塗り替えるほど意義が深い。西安の郊外に兵馬傭があるが、兵馬傭が秦の始皇帝の墓を守る埴輪群であるのに対して、三星堆はより歴史的意義が深い遺跡である。
三星堆が発見される以前、中国の古代文明は黄河流域の華北・華中のいわゆる中原以外には観るべきものはないという通説(中国文明の一元性といわれる)であった。三星堆遺跡はその通説を打ち破るものとなった。すなわち揚子江流域にも中原文化と交流した高度に発達した文明があったことが証明される考古学上の大発見である。中国文明は一元でなく多元だと考えを改めなければならない。四川地域の旧称である蜀に高い文明を誇る王国が存在し、しかも5000年前までさかのぼるほどの文明を象徴する文物が出土したのである。現在博物館が建てられている広漢市がその場所である。
1929年広漢市の方田舎で燕という人が貯水池を掘っていたところ玉石の装飾品や石器が出土した、燕さんは高価なものに違いないと成都の権威者に鑑定を仰ぎ、内緒にしていたが、売買を通じて噂が広がり、考古学者が注目するようになった。そしてその近辺の調査が本格的に開始された。伝説によれば、長さ2~300mの土堆があり、玉皇大帝が天からまいた土が3つの星を示す形をしており、三星堆と呼ばれるようになったという。
1934年や1953年にもいくらかの文物は出土したが、大した発見ではなかった。
1970年三星堆にレンガ工場を造る話が起こり止めさせた。1980年から本格的な考古学発掘隊が編成された。今から5000年~4000年前の龍山時代といわれる時代そして4000年~3000年前といわれる夏商時期の宅地や墓稜や陶器、石器、玉器、陶器片数万件が出土した。同一文化が同一場所で2000年間続いたことが立証できるほどの価値があった。周囲には城壁の跡があることも実証され、周辺の古城跡の発見とあわせてこの三星堆はこれら城邦連盟の長に当たる位置づけであることも考証された。
更に1986年レンガ工場の工事現場から驚くべきニュースが伝わってきた。
現場には考古学者が駐在していた。坑道があり、坑道の先に長方形の坑がある、その坑は3*4mとさほど大きくないが貴重な文物が出土した。金の杖、金のマスク、金塊、青銅器の人頭像、装飾品、石器、玉の石器、斧、なた、包丁、刀のたぐい、海の貝、象の歯
など。 これらはお祭りごとに使われたものに違いないということで1号祭嗣坑と名づけられた。約1ヶ月後、1号坑から20mしか離れていないところに2号祭嗣坑に当たるほぼ同じ大きさの坑が発見された。宝物が続々出土した。銅製仮面は長く丸い眼球が外に20ミリも出ている。伝説中の蜀の始祖神を彷彿させる仮面である。10数本の象牙も出土した。南方のインドあたりと交流があったことを証明するものであり、南シルクロードがあったことを実証する貴重な出土品である。高さ4mの青銅製神樹も出土した。太陽を信仰する祭事に使われたと推量される。青銅製のものが多く出土したが青銅の加工技術は溶接技術も含め高度なものであったことが実証される。44件の青銅製頭像、20件の仮面を含む約1300件の貴重な文物が出土した。
1号博物館は陶片や玉石の器物中心の展示となっているが、近代的展示方法は目を見張るものがある。小さいものは実物の上方に拡大写真をつけて分かりやすくする工夫がなされ、小さいものでも一つ一つていねいに茶色の台の上に布をおき布の上に展示している、観客の目線にちょうど良い配置がなされている。実物を明瞭に照らす光の具合と通り過ぎていく観客の方はやや暗くしてある。落ち着いた色の内装である。
その点2号博物館の方は神樹や立像、仮面など豪華な宝物の展示だが、近代的な展示とは言いがたい。明るく観やすく配置しただけといった感じであった。
それにしても三星堆遺跡が与えた中国の古文明に関する計り知れない影響の大きさを目の当たりにし、考古学とはどういうものかを考えさせられる貴重な体験ができた。
三星堆のある広漢市から、緑豊かな農村や東部のハイテク誘致地区を観ながら成都市内へ戻ってきた。
杜甫草堂
次の観光地は杜甫草堂である。唐代3大詩人のうちの一人「国敗れて山河あり」の有名な詩で知られる杜甫を祀るところである。
唐代3大詩人とは李白、杜甫、白楽天である。杜甫は不遇で、死後にその偉大さや苦労が評価されるようになった。李白は生きているうちからその才能が認められ高い官職が与えられ恵まれた人生を送り、「詩仙」と呼ばれた。 その点杜甫は「詩聖」と呼ばれる。
杜甫は中国を放浪し、ここ成都に3年強、草庵を作り滞在した。工部という官職にもついて人生の中では比較的恵まれ、家族とともに落ち着いた生活ができたようだ。杜甫の詩からそのことがよく理解できるのだそうだ。復元された草庵や、人物像、成都滞在中の詩など見て回った。
外国人相手のお土産やに立ち寄り、どうも値が高そうで、ガイドの鄭さんにデパートに案内してくれるよう頼んだ。繁華街で駐車が難しく、ドライバーが苦労しているようであったが、マレーシア系のパークソンというデパートに案内してくれた。皆、お茶や乾燥きのこなどおみやげを買っていた。私は四川の酒、剣南春をおみやげに買った。
市内のレストランで川劇のショウつきの夕食をとり、ケンピンスキーホテルに戻って
一風呂浴びるともう10時を回っていた。
武侯祠
7月16日(金)午前中、最後の観光地である武侯祠は三国志の諸葛孔明を祀るところである。諸葛孔明のおくり名である武侯から名づけられた。周囲は成都市内で大きな公園になっている。蜀の国王である劉備玄徳とその武将を祀る武将殿には劉備玄徳の遺徳を讃える大きな拝殿があり、お隣は小さな孫の人物像。劉備玄徳は耳が大きく、手が長い、そして自然に回りに協力者が集まってくる風貌や人となりがあることをよく物語る坐像であった。なぜ、孫の像はあるのに、子の姿はないのか? 子の劉禅は暗君だから軽蔑されているのだそうだ。暗君であることを物語る話を聞いた。劉禅は西安に幽閉され、蜀が恋しくないのかと訊かれて、都西安は踊りも楽しく食事もうまい、蜀に帰りたいと思わないと答えたそうである。
張飛や関羽、趙雲、馬超など名だたる武将の人物像が陳列されていた。
文物殿は素通りして、武将殿より一段低いところに武侯祠がある。諸葛孔明の偉大さを
多面的に展示している。諸葛孔明の偉大さを讃える文章を有名な文人が書いた。その文章を書道の達人が書にし、その書を彫刻の達人が碑に刻んだ。いわゆる「三絶」、1つの作品に3つの素晴らしさがこめられている。孔明の名言も随所にちりばめられていた。「静かにして考えると深く考えられる」など。前・出師の表、後・出師の表など。 帰ってゆっくり読み直したい。
劉備玄徳の墓「恵陵」も隣接していた。まだ一回も盗掘されたことはない。こんな伝説が伝えられている。劉備の墓だから、さぞかし、財宝が埋められているに違いないと入ってみると、玄徳と孔明が碁を打っていた。
こうして、全行程を終え帰国の途に着くべく成都空港に向かう。中国での全行程をガイドしていただいた鄭さんに別れを告げてチェックイン。CA451便は遅れが出ている。
定刻より2時間遅れて離陸。北京でトランジットして出国手続きし、成田では定刻より
1時間遅れて午後10時半に無事着いた。夜も遅く皆帰りの交通手段が確保できるのか心配したが、帰りの交通手段がない人には成田で宿泊していただきます。とのことで
成田ビューホテルにゆっくり一泊して翌朝帰宅した。
今回の旅は快適であった。 チームワークの良さのほかにその理由を振り返ってみると
天候に恵まれた。 九寨溝・黄龍で天候に恵まれ見所をすべてみることができた。
九黄空港。 この空港が昨年9月完成、成都からのバスは11時間もかかる。
5つ星のホテル。 6泊中5泊は5つ星のホテルで快適に過ごせた。
三星堆博物館。 5月1日に三星堆博物館1号館がオープンした。
成都周りの道路事情。 舗装が行き届いており、揺れがなかった。 完
記 高本 正 (2004・7・25)