以下は小生の駄文「九寨黄・黄龍旅日記」です。お気に召さないかも知れませんがご容赦ください。2004年中国旅行の眼目は九寨黄・黄龍、都江堰および三星堆である。小生には、「水と歴史探訪の旅」であった。黄河文明とは違う中国最古の文明の証拠である三星堆に期待していたが、期待通りの収穫があったと満足している。旅の企画と諸々の世話役をしてくれた牛島氏、および旅行団の団長として旅行中の面倒をみてくれた高本氏にお礼を申し上げる。
第1日(7月10日)晴れ
5時5分起床。5時35分に家を出て北柏駅に向かう。集合予定時刻は、成田空港Hロビーに7時30分。旅は概ね順調にスタートした。強いて言えば、日中平和観光株式会社の福田さんが30分遅れたために、朝食時間が減った人が出たくらいである。小生は朝食用のむすびを持参したので事なきを得た。機中にて時計を1時間進める。16時34分に成都空港に着陸、ガイドの鄭暁梅さんが一行を迎えてくれた。16日に成都空港で別れるまで、鄭さんは懇切に面倒を見てくれた。ホテルへの車中、早速鄭さんの解説が始まった。「四川は、西南三省の一つで、三省とは四川、雲南、貴州を言います。・・・」日本語は流暢だ。鄭さんの話によると、ホテルのポーターへのチップはスーツケース1個あたり5元で十分との事。車内で1万円の両替をした。752元である。ケンピンスキー・ホテルは空港から近く、乗車時間15分間で、17時20分には到着した。
井宮氏と同室となった。荷物を解いてすぐに、火鍋料理店に向う。レストラン「玉龍火鍋」には、18時45分着。ここで激辛の四川料理を味わった。四川では料理に山椒をいっぱい入れるそうだ。急激にではなくてジワーと辛味が沁みてきた。20時30分に店を出て、ホテルまで25分程を歩いた。成都の夜は、落ち着いている。明日は早い。荷造りをして、バスを使い、22時25分に就寝。しかし、眠りが浅くてなかなか寝つかれなかった。4時半のモーニング・コールが気になる。
第2日(7月11日)曇り
4時45分起床。6時10分、バスは成都空港に向かった。7時20分離陸。7時58分には九寨溝・黄龍空港に着陸。飛行時間はほんの42分間で、ホテルで用意してくれた朝食弁当を食べるのも忙しい。標高3500メートルの空港はひんやりと涼しい。この空港は去年の9月28日にオープンしたばかりで、オープン時にはチベット族の住民が大挙見物に来た。彼らにとって飛行機を始めてだった。また、不安定な山の天候の故に時刻表通りに飛ぶのは珍しいとの事。われわれは運がよかった。空港ができる以前は、バスで1日がかりの旅だった。成都・九寨溝間は400キロメートルで道路舗装が1998年に完成した。空港から九寨溝までは88キロメートル成都方面に戻る感じになる。8時48分、空港から8キロメートルの川主寺通過。川主寺への途中、所々に畑が広がっていた。ここでの作物はソラマメ、小麦、裸麦、ジャガイモ、とうもろこしだそうだ。8時55分、左手に珉江上流が見える。黄色に濁った川だ。川主寺には1358年に始めて町が創られた。四川省の主を祭った寺があったので川主寺と命名したのだそうだ。9時13分、ガソリンスタンドで給油中にちょっと外に出てみると冷たい風が頬をなでてとても気持ちがよい。いつの間にか、みやげ物売人が近づき激しく迫ってきた。鄭さんの合図でバスに戻った。9時32分、標高3560メートルの地点を通過して下りになる。嘉陵江上流が右手にあるとの鄭さんの話だが、見えなかった。嘉陵江は重慶で長江に注ぐ。9時40分、頭が重く眠くなった。周りを見ると眠っている人が多い。鄭さんの声がいつのまにか消えている。早起きの疲れに加え、適当なバスの揺れが眠りを誘う。10時34分、九寨溝入り口が右手に見える。このあたりは道路工事が目立つ。ホテルの建設ラッシュだそうだ。今は快晴。10時36分、九寨溝国際大酒店(シェラトン)に到着。ホテルのレストランで昼食を摂ると、今日の予定は終了。午後、ホテルのロビーで西山氏と一局、部屋に戻って洗濯、またロビーで相良氏と三局。夕食後は民族舞踊を観賞した。スピーカーのボリュームが大きく耳に響く。人気歌手が登場すると、観客が大挙して舞台上に繰り出した。22時40分就寝。
第3日(7月12日)晴れ、時々曇り
外は冷気あり。前夜から、窓側より冷たい風が吹き込んできたので、鼻水が出始めた。急いでマスクを着け、肌着を着てその上にガウンを羽織った。6時20分起床。バイキングの朝食は粥で済ます。酒盗に似た味のおかずが粥によく合った。7時36分にバスが出発、7時42分には九寨溝管理局前に到着した。9時3分にエコバス出発。これが貸切バスになったのは幸いだった。貸切バスでなかったら、停留所で列をなしていた大勢の中に入ってなかなかやって来ない混載バスを待たなければならなかっただろう。そしてこれほど効率良くは九寨溝内を移動できなかっただろう。エコバスには九寨溝ガイドの温さん(漢族)が同乗したが、中国語専門のガイドなので、実際の案内は全て鄭さんに頼った。九寨溝は広さ640平方キロメートルで、114または108のきれいな湖がある。その美しさは、表現するのが難しい。来て自ら確かめるほかない。9時26分、「鏡海」前で下車して湖をしばし眺めた。たくさんの小魚が岸辺に寄ってくる。チベット族には水葬の習慣があり、この魚(裸魚)が死体食べるの。チベット族はこの魚を獲らない。神様とみなしている。
鏡海人恋い顔に寄る魚はチベット族の屍を食む
九寨溝内の湖や滝には、「芦葦海」、「火花海」、「臥龍海」、「樹正瀑布」、「犀牛海」、「珍珠灘瀑布」、「孔雀河道・五花海」、「箭竹海」、「パンダ海」、「金印海」、「長海」、「老虎海」などそれぞれ名前が付けられている。14時43分、「五彩池」前で下車して、歩き始めたところで俄かに雨が落ちだした。目の前で「五彩池」が泡立ちはじめ、美しい水面は一瞬で消えた。
水蒼き九寨溝の五彩池水面を乱すひと降りの雨
バスに雨具を置いてきた人はずぶ濡れになった。16時54分に九寨溝を出て、ホテルに向かって歩いた。迎えのバスとホテルの直前で合流し、17時24分にホテルに帰着。実質的な観光第一日目はこれにて終了。21時より部屋で井宮氏と一局、22時40分就寝。
第4日(7月13日)曇り
6時10分起床。バスは8時37分に黄龍に向けて発車した。黄龍の温度は9℃~19℃との事。9時37分、バスはどんどんと登り坂を登る。こめかみがツンとする。9時42分、右手すぐに3500メートルの山が見える。ここから道路は下り気味になる。国吉氏、高本氏とも昨夜は鼻水が出たと言う。やはり寒かったのだ。道路は良く舗装されており、所々に道路清掃人がいる。チベット族の村が時たま現れては消える。10時4分、川主寺到着。バス内で、用心のために購入しておいた酸素ボンベを渡された。11時4分、車内が暖房で暖かいせいか、頭が重くて眠い。11時25分、ガスで視界20メートル位になっている最高標高地点を通過。11時30分、「四川の火焔山」と言われている絶壁の岩山が現れる。11時42分、「孫悟空の頭」を左手に見る。11時48分、「黄龍餐庁」前で下車。このホテルのレストランで出たマーボー豆腐は美味しかった。昼食後、いよいよ登山である。標高3100メートルから出発して、3600メートルの高所まで往復7キロメートルを歩く。途中から引き返すことも、駕籠に乗ることもできるそうだ。牛島氏は最初から駕籠を利用することに決めていた。12時44分、登山出発。しっかりとした木の遊歩道に感心したが、驚いたのは遊歩道がまるで新宿か渋谷の駅前のように人で溢れていたことである。歩こうにも直ぐに渋滞となる。前方で写真撮影のために人の歩みを止めているのだ。予め高山病の注意をされていたので、急がずにゆっくりゆっくりと進んだ。右に左にと素晴らしい池の連続だ。ここでも池や滝にそれぞれの名前がある。「迎賓彩池」(3199m)、「飛瀑流輝」(3233m)、「洗身洞」(3281m)、「金沙舖池」、「盆景池」(3307m)、「金沙舗池」、「明鏡倒映池」、「姿夢映彩池」(3391m)、「争艶彩池」(3400m)、「琪樹流芳池」、「玉翠彩池」、「映月彩池」、「石塔鎮海池」、「五彩池」などである。頂上近くの「黄龍古寺」(3430m)の裏にある「五彩池」は実に見事でいつまで眺めていても飽きない。鄭さんが配ってくれたコピーには、「黄龍は山の上から見下ろすと、黄色い鱗を持った龍が横たわっているように見えることから名付けられました。地元の方にとっては聖なる地」とある。黄龍の池のひとつひとつが段々畑のように階層を成して続いていく様の珍しさ、綺麗さに圧倒される。
山深く段々池をつくりたる黄龍の地に人影多し
16時50分、黄龍の左右の道の合流点で鄭さんが待っていた。17時43分、バス発車。18時58分、川主寺賓館に到着。そのままレストランへ直行。杉浦氏は調子が悪いので、食事抜きで部屋に移った。小生はここで鳥の小骨が刺さって取れなくなり、以降帰国後まで口内炎に悩まされた。(余談だが、17日(土)に耳鼻咽喉科の治療を受け、完治まで1週間かかった。)20時30分、バスの排水栓が開かないので、ホテル従業員に水を流してもらう。21時よりロビーで西山氏と一局。22時45分就寝。
第5日(7月14日)曇り
6時起床。7時48分、九寨溝黄龍空港に向けてバス発車。7時52分、道路に靄がかかり視界悪し。7時57分空港到着。しかし、天候不順のため成都行きは大幅に遅れた。何人かが、待合所で囲碁を始めた。結局、3時間遅れで、11時59分搭乗、12時9分離陸、12時45分成都空港着陸となった。鄭さんは、天候によっては飛ばない日もあると我々を慰めた。予定日のうちに成都に戻ることができただけでもよかったと考えるべきなのか。以降の予定が変更になり、今日の見学は都江堰のみとなった。市内レストランで昼食後、ケンピンスキー・ホテルにチェックインしてから、15時22分に都江堰に向けてホテルを発った。16時35分、都江堰到着。九寨溝に水源を持つ珉江は、成都の北西59キロメートルのこの地まで流れて、よく氾濫した。蜀の郡守李冰は、紀元前3世紀にこの地で珉江の氾濫を防ぐ工事を始めた。堰は数世紀後に完成して、成都に豊かな実りをもたらすようになった。川の中央に人工の中州がある。この中州は川の上流に向かって魚の口のように尖っている。これが川の流れを制御して洪水を防ぎ、かつ灌漑用水を供給する要になっている。堰の基本設計は現在でも変わっていない。内江(上流に向かって右側=灌漑用水)はかなり急な流れであるのに対し、外江(左側=珉江に流れる)の流れは緩やかだった。都江堰見学は1時間強。17時46分にバスに乗り、武侯祠近くの薬膳レストランに向かった。19時8分、レストラン「欽善齋」に到着。薬膳料理は一品ごとに漢方薬が入っている中華料理で、市民は漢方薬入りスープをよく飲むそうだ。ここの料理は食べやすくて美味しかった。夏虫冬草入りのスープを始めて賞味したが、これははっきりした味がしなかった。薬膳を十分堪能して、20時24分に川劇観賞のために武侯祠に向かった。「欽善齋」から武侯祠まではバスでたったの1分である。川劇の特徴は「変面」、一瞬の間に踊り手の仮面が変わっていくのが面白い。川劇は21時42分に終演。ホテルに戻ったのは22時9分。23時20分就寝。
第6日(7月15日)曇り
6時起床。今日は期待の三星堆博物館見学である。8時37分にバス発車。まず、成都市街から15キロメートルのパンダ繁殖センターへ。ここで飼育中のパンダを見る。箭竹をむしゃむしゃと食べているパンダが可愛かった。11時39分、成都の北40キロメートルにある三星堆博物館に到着。今年5月1日に新しい博物館ができた。遺跡そのものは畑になっている。紀元前3000年に、漢民族と系統を異にする古代少数民族が蜀の地で独自の高度文明を開花していたなんて驚異だ。鄭さんは慎み深く中国の歴史を変えると言っていたが、小生は世界の歴史を変える大発見だと思う。その、証拠を実見できるのだから興奮してしまった。実際に見て驚いた。「青銅製立つ人像」、巨大な「青銅製人面具」、目が飛び出した「青銅製獣面」、「青銅製神樹」、等々があった。「金面マスク」があった。これは、ギリシャで見たミケーネ(前1600年~1100年が最盛期)の黄金のマスクを思い出させた。
いにしえの青き仮面に誘われて三星堆にはるばる来たり
13時10分、博物館2号館を出て、園内のレストランに入った。15時30分から杜甫草堂を見学し、土産物店に行き、デパートに寄って、夕食をとってから、20時20分にホテルに戻った。21時45分より井宮氏と一局。23時55分就寝。
第7日(7月16日)
6時30分起床。チェックアウトを済ませ、8時45分に武侯祠に出発。「成都の武侯祠は最大規模を誇っている本場の武侯祠だ」とは鄭さんの弁。諸葛孔明は234年に死んだ。その5年後の239年に邪馬台国の卑弥呼が魏に使いを送っている。魏は卑弥呼の使いを丁重にもてなした。中国の三国の抗争の中での邪馬台国の意味を考えるのも面白い。11時9分、バスは巴国(重慶)の料理店前で止まった。早昼食の後、12時40分、バスは成都空港到着。飛行機は大幅に出発が遅れ、成田空港でスーツケースを受け取ったのが22時57分。多くの人は成田宿泊となった。小生は最終電車を乗り継いで、17日の1時に柏に到着した。
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関連年表
紀元前3000年~紀元前1000年 三星堆文明
紀元前3世紀 都江堰を築く
208年 赤壁の戦い。以降、天下が魏・呉・蜀に三分される。
234年 諸葛孔明死す(53才)
239年 卑弥呼、魏に使いを送る
4世紀末 武侯祠を建てる。その後、破壊・再建の繰り返し。
759年~765年 杜甫、成都に住み240首以上を作詩する
1811年 杜甫草堂修建
1992年 九寨黄 世界自然遺産登録
1992年 黄龍 世界自然遺産登録
1998年 成都・九寨溝間400キロメートルの道路舗装完成
2000年 都江堰 世界文化遺産登録
2003年9月28日 九寨溝・黄龍空港開港
2004年5月1日 三星堆博物館新館オープン
旅行参加者名(あいうえお順敬称略)
井宮照雄、牛島五郎、勝又藤右、国吉房成、高本けい子、高本正、小松藤夫、近藤恒介、相良健太郎、杉浦義人、高尾暁子、高尾軍三、西山正紀、橋口朗彦、山口泰子、山口宗一。