オプショナル・ツアー報告
2009年日韓囲碁交流会オプショナル・ツアー報告
2009年11月24日
以下に2009年日韓囲碁交流会のオプショナル・ツアー報告をします。
参加者
オプショナル・ツアーには、高本正氏、高本けい子氏、兵藤進氏、谷野正義氏、ポール・アンダーソン氏、和子・アンダーソン氏、勝又良子、勝又藤右の8名と、ソウルから8名が、釜山からも1名が参加した。旅行団は韓国側から提供された4台の車に2名ずつ分乗してソウルから莞島まで往復3日間、1,000kmの旅を楽しんだ。
旅程表
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番号 |
日 |
開始 時刻 |
完了 時刻 |
行動 |
場所 |
内容 |
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1 |
13 |
0930 |
1748 |
出国 |
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韓国(ソウル)へ出国 |
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2 |
13 |
1748 |
0930 |
宿泊 |
ソウル |
Tiffany Hotel(15日朝出立) |
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3 |
14 |
1030 |
1900 |
囲碁 |
ソウル |
韓国IBMにて囲碁交流会、会終了後宴会 |
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4 |
15 |
0930 |
1309 |
移動 |
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5 |
15 |
1309 |
1352 |
昼食 |
光州 |
チャングムが作った肉料理 |
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6 |
15 |
1352 |
1600 |
移動 |
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7 |
15 |
1600 |
1636 |
見学 |
莞島 |
「海神」などのドラマ・ロケ地 |
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8 |
15 |
1636 |
1645 |
移動 |
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9 |
15 |
1645 |
1717 |
見学 |
莞島 |
張保皐記念館 |
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10 |
15 |
1717 |
1728 |
移動 |
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11 |
15 |
1728 |
1823 |
見学 |
莞島 |
タワー展望台より周囲を見渡す |
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12 |
15 |
1823 |
1830 |
移動 |
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13 |
15 |
1830 |
2030 |
夕食 |
莞島 |
魚料理、大量のアワビ |
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14 |
15 |
2030 |
2040 |
移動 |
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15 |
15 |
2040 |
0920 |
宿泊 |
莞島 |
Wando Hotel(4星)(16日9時20分出立) |
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16 |
16 |
0920 |
0933 |
移動 |
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17 |
16 |
0933 |
1020 |
見学 |
莞島 |
ストーン・ビーチ |
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18 |
16 |
1020 |
1030 |
移動 |
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19 |
16 |
1030 |
1140 |
見学 |
莞島 |
ドラマ・ロケ地 |
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20 |
16 |
1140 |
1237 |
移動 |
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21 |
16 |
1237 |
1252 |
見学 |
珍島 |
李舜臣戦死の地 |
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22 |
16 |
1252 |
1334 |
移動 |
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23 |
16 |
1334 |
1430 |
散策 |
珍島 |
散策と昼食 |
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24 |
16 |
1430 |
1615 |
移動 |
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25 |
16 |
1615 |
0900 |
宿泊 |
海南 |
遊仙館(大興寺門前の韓式旅館(17日9時出立)) |
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26 |
16 |
1805 |
1825 |
移動 |
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27 |
16 |
1825 |
2000 |
夕食 |
海南 |
海鮮料理とアワビ |
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28 |
16 |
2000 |
2020 |
移動 |
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29 |
17 |
0900 |
1117 |
見学 |
海南 |
頭輪山大興寺 |
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30 |
17 |
1117 |
1125 |
移動 |
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頭輪山ロープウェイ駅へ |
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31 |
17 |
1125 |
1258 |
見学 |
海南 |
ロープウェイで山頂に行き、多数の島を見渡す |
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32 |
17 |
1258 |
1405 |
移動 |
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33 |
17 |
1405 |
1500 |
昼食 |
羅州 |
郷土料理コムタンの店 |
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34 |
17 |
1500 |
1719 |
移動 |
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35 |
17 |
1719 |
1850 |
見学 |
扶余 |
扶蘇山城より白馬江を遠望 |
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36 |
17 |
1850 |
1940 |
夕食 |
扶余 |
扶蘇山城の麓のレストラン |
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37 |
17 |
1940 |
2145 |
移動 |
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ソウルへ |
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38 |
17 |
2145 |
0700 |
宿泊 |
ソウル |
Tiffany Hotel (18日早朝出立) |
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39 |
18 |
0700 |
1530 |
帰国 |
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千葉県柏市迄 |
注:この表の中の時刻は報告者の行動に基づいているので、人によって多少の相違がある。
光州[광주]の昼食 (表の番号5)
光州に着いた頃は雨がぱらついていたが、市内を走っている間に止んでくれた。レストランでは、茹でた骨付き肉料理が出た。曺さんが、「チャングムが作った料理だ」と教えてくれた。薄い味で美味しかった。食後、「光州事件の記念碑があれば見たい」と姜さんに尋ねたが、「遠くて時間が無い」との事だった。
莞島[완도] (表の番号7,9,11,13,15,17,19)
莞島にロケ地は2箇所ある。まず、行ったところは、「海神」、「朱蒙」、「太王四神記」、等々のロケ地だ。時代劇の多くはここで撮られるのだろう。立派なセットが残っていて、観光地にもなっている。「春のワルツ」の菜の花畑は別のロケ地にあり、翌日に見学した。今は勿論菜の花は咲いていないが、素晴らしい公園のような観光地だった。
莞島のタワー展望台から周囲を見ると、無数の小島が目に入ると同時に目の前ではアワビの養殖の仕掛けが島を取り巻いている。夕食は海鮮料理で、アワビの刺身を追加注文したら食べきれない程大量に出てきた。コリコリして味もよかった。
珍島[진도] (表の番号21,23)
近くの海戦で、李舜臣は12隻の亀甲船で、133隻の秀吉軍船を破ったと伝えられている所に李舜臣の像が建っている。休憩地からこの像は見えないが、途中の車内から見ることが出来た。李舜臣はこの海戦で戦死したが、韓国歴史上の第一の英雄だ。この付近の海流が激しいことを豊臣軍は知らなかった。
珍島で有名なのは天童よしみの「珍島物語」であろうか。年に一回、珍島と対岸の茅島[모도]が地続きになる。この時(今年は4月28日~29日だった)は、「霊登サル」と呼ばれる海割れを見ようと、大勢の観光客が訪れるそうだが、今は閑散とした寒村のように人影も殆ど無い。岸辺に「虎とポンおばさん」の像が建っている。ここで食べたトウモロコシ(路上で売っていた)はもち米のように粘りが有るが味は薄い。
海南[해남]の遊仙館(大興寺門前の韓式旅館)と食事 (表の番号25,27)
この旅館は93年の歴史のある韓式旅館だ。韓式旅館は初体験だった。各部屋に名前が付いている。花の名や、木の名である。日本語に直すと、「ユリの間」、「椿の間」、「バラの間」、「梅の間」、「松の間」、「樟の間」、「桜の間」、「柿の間」、「竹の間」などである。(これらは帰国してから訳した。)なかなか風情がある。寒気が厳しい外とは障子のような開き戸一枚で仕切られてだけだが、部屋の中は実に暖かい。夜具は夏布団だ。四畳半位の部屋で高本氏、兵藤氏と三人で、1枚の薄い夏布団を横に敷いて川の字になって寝たので足が出てしまう。はじめは靴下をはいたが暑くなったので靴下を脱いだ。今度は床に素足が触れると熱くて寝ていられない。掛け布団の端を足にくるんでようやく眠りに就いた。外は寒気がすごいので、夜中に中庭の先にあるトイレに行ってくると体が冷えてしまう。翌朝から鼻汁が出始め、鼻汁は結局帰国後まで続いた。
この日の夕食は、海南の市街地のレストランに入った。オンドル部屋には入ると何も無い。どうして食べるのかと訝っていたら、料理を並べた食卓が二人がかりで運びこまれた。ここでも、酒を飲み、大いに食べた。
翌日の旅館内での朝食も、料理が食卓ごと大部屋に持ち込まれた。この方式は昨夜のレストランと同じなのでもう驚かなかった。
大興寺[대흥사]と頭輪山[두륜산] (表の番号29,31)
朝食後、頭輪山大興寺を見学した。早朝に高本氏、兵藤氏、矢野氏と四人で一部を覗いていたので、余裕の見学である。これは禅宗の寺である。1200年前の創建の古刹だ。境内は広い。歩くうちに冷気が飛んでしまった。紅葉と小川のせせらぎ美しい。他の参拝者が少ないので、ゆっくりと落ち着いた気分で見学出来るのが嬉しい。境内にある博物館の人の説明を受けたが解らないところが多い。この寺の僧兵が秀吉の侵略に対して立ち上がり、王を守って戦った。博物館を入って左側の奥に茶室が在った。
茶の接待をしてくれると言うので、オンドルで暖かい茶の接待所に入った。ここは宿坊にもなっており、一般客でも泊まれるらしい。薄い布団が入り口付近に山積みになっている。茶を何杯かいただきながら接待僧の話を聞いた。大興寺は韓国茶文化の聖地と呼ばれる。昔の貴人は茶を飲みながら詩吟を楽しんだそうだ。この僧が吟じた詩の意味は解らないが、その声の朗々として明らかなことに感じ入った。一曲をマスターするのに5年かかるという。この僧は大興寺に来て10年だそうだ。
羅州[나주]の昼食 (表の番号33)
このレストランはコムタンの店で、食事はこの一品しか出さない。老舗は大抵一品料理屋だそうだ。コムタンは羅州の郷土料理だ。日本で食べるカルビクッパのような感じだった。店の入り口に大釜を置き、客の通る前で肉を煮出している。とにかく味はよかった。
レストランを出ると、向いに古い大きな門があった。土地の人が、昔の政庁跡だと説明してくれた。羅州は古代から全羅道南部地域の中心で、全羅は全州と羅州を意味する。
扶余[부여] (表の番号35,36)
扶蘇山城山頂より白馬江を遠望した時には夕暮れが深まってきていた。しかし、7世紀後半に日本の軍船が敗北した白村江(=錦江河口)の上流をわずかだが見ることが出来た。百済滅亡の際、多くの官女が身を投げたといわれる落下岩付近に来たときはもう真っ暗で、足元が危なくなった。しかし、百済最後の首都を僅かでも見学できたことは嬉しかった。
夕食は、扶蘇山城の駐車場近くのレストランに入った。9種類の小皿が付いたコムタン(肉の鍋料理)で、これも美味しかった。
移動中(張さんと曺さん)のこと (表の番号4,6,8,10,12,14,16,18,20,22,24,26,28,30,32,34,37)
私たち夫婦が特にお世話になったのは、張炳會氏(장병회 씨)と曺重煥氏(조중환 씨)だ。車中互いに自己紹介をした。張さんは囲碁5段、30歳代で、2歳半のお嬢さんがいるセールスマンで、今回が初参加とのこと。囲碁交流会では唯一私が勝った相手だ。高校時代に3年間日本語を選択して学んだとか。ドライブインではコーヒーや韓国茶を、道の途中ではイチジクや、トウモロコシなどを買ってきてくれた。サービス精神旺盛で、明るくて気さくな好青年である。1,000kmの殆どの行程を運転したので、さぞ疲れたと思う。曺さんは囲碁4段、50歳で、お嬢さんが今年から京都の大学に留学しているとの事。日本語を15年前に学び、5回の来日経験もあるという。主に助手席に座り私たちの相手をしてくれ、要所々々では簡単な説明をしてくれた。Tiffany Hotel前での別れ際には曺さんが柿の包みをくれた。
両氏は、17日21時45分に我々をTiffany Hotelに降ろした後、さらに1時間以上かけて自宅(2人の家は近い)に戻るのでさぞ大変だろうと恐縮した。両氏は各所の見学中それとなく我々の近くに待機していて、何かあると助けてくれた。張さんとは掛け合い漫才のような片言会話を楽しんだ。例えば、彼が大興寺境内の案内板の「변소―>」を指差したので「화잔실」と応えると、「Good!」と戻ってくるというぐあいだ(実は「변소」の意味は前日に他の人に教わっていた)。両氏共とても温かくて親切に応接してくれたので、長い移動中も退屈することが無く、楽しく過ごすことが出来た。両氏とも来年の囲碁交流会に参加すると言っていたので再会が楽しみである。
日本の侵略との戦いの記憶
珍島では李舜臣の戦いの事が、頭輪山大興寺では僧兵の戦いの事が語られた。いずれも秀吉の侵略軍に抵抗した英雄たちの話だ。そういえば、1995年に、初めて日韓囲碁交流会に参加した後の旅行先の慶州でも、土地の人から新羅の名刹仏国寺が秀吉軍の侵略で焼失したと教えられた。誠に日本軍の侵略は朝鮮半島の人々に甚大な被害を与えた。我々日本人は江戸時代直前の出来事などと殆ど忘れてしまいがちだが、被害を受けた側にとっては何百年経っても忘れることの出来ない事であろう。
お礼
今回のオプショナル・ツアーは千キロのマイカー旅行と言うだけでも贅沢な旅だった。訪問地もよかった。莞島、珍島、頭輪山大興寺、その門前の韓式旅館、それに念願だった百済の故地を訪ねることができて嬉しかった。
妻は初訪韓だった。囲碁交流会の間のソウルでの1日をどう過ごすか不安だったが、立派なこの上ないガイド役が付いてくれて思う存分楽しんで帰った。オプショナル・ツアーにも感激して、すっかり韓国ファンになってしまった。
3日間も仕事を離れて、旅の間、早朝から深夜まで付き合ってくれた韓国の友人の皆様、日韓囲碁交流会の関係者の皆様に深く感謝します。
文責 勝又藤右