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To:	関東囲碁部 各位
cc:	 
From:	Kenshi Ohki/Japan/IBM @ IBMJP
Subject:	関東囲碁部報(97-041)退職の挨拶 (中原 徳太郎様)


関東囲碁部報(97-041)!

中原徳太郎さんから退職のご挨拶をいただきましたので既に受け取られている方には二重になりますが関東囲碁部の皆さまに,ご本人のご了解をいただきましたのでお届けしたいと思います
。
日本IBMの歴史の一部を振り返るようで感慨深いものがあります。

お世話になった方々へ
      退職の挨拶
中原 徳太郎


  9月30日付けで 
定年扱いで退職することになりました。
1962年10月(昭和37年10月)に途中入社して以来 
35年間になります。
日本IBMの本社が 麹町(今は日本テレビの敷
地になっている)にあった時に入社し、事務総合企画室(今のIS「情報システム」と「電算センター」の前身)が私の初めての職場でした。当時はパンチ・カード・システムが全盛期で 
社内の
事務計算(給与計算、請求事務、会計、固定資産、OEI「今のAASの前身のシステム」、IBM機器の部品管理)をしていました。当時は掛け算、割り算をするのに「602-A」と呼ばれるリレー式
の機械を使っていました。その後 コンピュータとして 
真空管式の「650」,トランジスタの「1401」,「1440」, 
LSIの「S/360」と変わり 1968年頃から 
日本IBMは急速に発展しました。

1970年−1972年には 
イギリスIBMにアサイメントで2年間 
AASの開発に携わりました。英会話が不得意でしたが 
コンピュータ言語(アセンブラ、PL/1,Cobol)式の会話でなんとかしのいで
ました。
ISが電算センターと分離した頃から 
MSS(マス・ストーレジ・システム)と呼ばれる 
磁気テープを蜂の巣状に格納し、仮想磁気ディスク(3330型)として使用する機械の導入した経験を
 お客様に説明に行っていた時 
お客様が「あの人が来れば MSSを買う」の一言で 
大阪に転勤になりました。大阪ガス、関西電力を担当しました。

大阪に3年半勤務し 東京に戻り 
IMS−FP(ファースト・パス)の開発に携わりました。
IMS−FPは 銀行のオンラインを 
RYO(手作りソフト)から 
汎用ソフトのIMSで実現させ
るものでした。アメリカのサンタテレサ研究所で2年間 
IMS−FPのテストを担当していました。

1986年に 
流通サービスの営業所SEになり、多くのお客様を担当してきました。三菱商事、リクルート、大日本印刷、凸版印刷、JAL,共同通信、朝日新聞、JTB、東武、セコム、商船
三井、三井倉庫、ヘキスト、電通、などなど 
長期、短期にわたり 
お世話になりました。IMS,DB2を使用したアプリケーション設計、DB設計、運用管理などを主に 
お客様と共にサポートしてきました。

1993年 IBMでもリストラが始まり 
50才以上になっていた私は 
SEをはずされました。(業務命令で強制配転)
リストラの波が一段落した 1995年頃から 
DB2/AIX,DB2/2、RS/6000-SPでの DB2/PEの営業推進の仕事に就き 
現在に至ってきました。


退職後は 
DB設計、アプリケーション設計、データ・ウェアハウス構築と言った 
データベースがらみの 
コンサルテーションを仕事にしてゆく予定です。勝手なお願いですが 
仕事の案件がありましたら 
ご連絡下さい、時間の許す限り引き受けたいと思います。特にDB2ゃC0B0Lプログラミングのチューニングを得意としています。

平日は東京で、週末は八ヶ岳という 
二つの住居を持った 
二住(重)生活をエンジョイしています。
セカンド・ハウスの八ヶ岳では 
自然を相手にノビノビと生活ができます。花壇作り、家庭菜園、山菜取り、キノコ狩り、登山、ハイキング、テニス、スキー、渓流釣り、囲碁、・・・などな
ど好きなことがいっぱいあります。
お世話になった 皆様には ぜひ一度 
ご家族やグループで 
八ヶ岳に来て下さい。冬期(11月-4月)は8人、夏期(5月-10月)は10人程度まで宿泊できます。お待
ちしています。


中原 徳太郎
住所  〒408 山梨県 北巨摩郡 小淵沢町 上笹尾 3331-534
電話  0551-36-5354

東京連絡先  〒167 東京都 杉並区 本天沼 3-18-9-109
電話        03-3397-9222


 ( 名刺です 切り取って下さい )