今度の日曜日(5/19)は、武闘派碁会の激闘を楽しむ日です!(^^♪

武闘派碁会登録、参加、および「写し」宛先のみなさんへ、

{「実録囲碁講談」<著者:中山典之四段(当時)・日本経済新聞社出版>=第三話 落碁=より一部抜粋・転載}

 “ 碁狂言 ”

 梶原武雄九段が、若手有望棋士をつかまえてシゴいている。こんな具合である。「バカモノ!お前は何年碁を打っているのだ。ここは、タンケイする筋にきまってる。
(単にケイマするを略して、タンケイという“梶原語”」)やってみい。ソレ見ろ。
“タンケイ”すべからざる局面と見受けられるではないか」
梶原師の詩吟は、なかなかの芸という。それかあらぬか、端倪なぞという漢語がとび出してくるのである。こ生意気のようであるが、私はこうした時の梶原師が好きである。
「梶原先生、先生はあまりわかり過ぎて整頓がつかないのと違いますか」
「うるさい。ワシのことはどうでもよい。大きにお世話だ。しかしお前もヘボだなあ。本当に専門家なのか、モグリじゃあるまいな」
梶原九段に、偽者といわれても別に腹が立たない。声をかけてもらえるだけ、まだ見込みがあるのだ。しかし、碁を全然知らない人にモグリだといわれたらどうだろう。かりそめにも棋士たるもの、面白くないはずである。

 十年ほど昔のことであった。
ある日、私は国電に乗っていた。空席は無かったが、混んでいるというほどでもない。
私は吊り皮につかまって『棋道』を開いていた。
「オウ。おめえ本碁ができるんか」
不意に声をかけられて、びっくりした私が隣の吊り皮を見ると、一見してそれと判るヨタ者ふうの男が、ニコニコしている。
「うん。ちょっとばかりね」
「偉えもんだなあ。俺のシャ兄(けい)も初段だとかで、よくその本を見てるが、俺にゃあ、テンで判らねえ。頭が悪いんだなあ」
ヨタ君は私を尊敬の目で見てくれた。
「ナニ、少し勉強すれば初段ぐらい簡単ですよ」
「ふうん、おめえは大分、強そうだな。ところで“ゴキョーゲン”てのを知ってるかい」
「ゴキョーゲン・・・・・碁狂言と、ハテな」
「何だ!ゴキョーゲンを知らねえとは、おまえもモグリだな。おや、いけねえ、有楽町だ。じゃ、アバヨ」
ヨタ公が下車したとたんに私は気がついた。「ゴキョーゲン」とは「ゴ・キョ・ゲン」つまり呉・清・源のことではあるまいか。なるほど、呉清源先生を知らなければ、確かにモグリではある。

 “ ちと熱い ”

 私がお世話になっている人に、長野市の市川浩資氏がある。現在、長野駅前で物産店やレストランなぞを経営しておられるので知る人もあろう。
(注:当書籍は、昭和52年1月に刊行されその当時のことです)
碁は五段である。父君は元長野市市会議長。地方の名士である。その市川さんが、まだ大学生のころ、東京は中野で下宿ずまいであった。ある日、同郷の菅原一男氏とバッタリ出会って碁が始まった。
菅原氏は名にし負う碁の虫であり、碁格五段。長野県では有数の打ち手である。
市川さんは、まだ棋歴が浅く、アマ初段ぐらいであったろう。菅原さんに4、5目置いて打ちはじめたのであるが、一進一退。夜も12時を過ぎて10勝10敗と、どちらも“商売”にならない。
午前一時ごろであったろうという。表が何か騒がしい。それに少し暑くなった。救急車の音も聞こえてくる。
しかし、たいしたことはあるまい。多分、喧嘩でも始まったのだろう。それより、この石が死んだら一大事である。
両者、必死の対局に夜が明けた。成績は18勝18敗である。午前八時、腹がへって来た。食堂は、もう開いているだろう。
「どうだい。このへんで腹ごしらえに行こうじゃないか」
どちらともなく、一時休戦が成立して、ノコノコと表に出てみて驚いた。
昨日まで隣にあったはずの食堂が、ないのである。そこには、アゲハマを打ち上げた跡のような焼け跡が広がっているばかりであった。
「さては、きのうの騒ぎは火事で、救急車と聞いたのは、消防車だったのか」
「どうも、少し暑過ぎると思ったよ」
二人は顔を見合せて、一瞬ゾッとし、ややあって底抜けに笑ったという。
( 注:この本の「第一話」“蛤の重さ”は正に“「秀逸」の内容ですが、あまりに長文のため転載出来ませんでしたが、“ 昭和三十五年四月六日、午前九時に始まった対局は、異様な雰囲気のうちに、夕方の打ち掛けの時刻を迎えようとしていた。・・・“ に始まるこの碁は、対局が始まって九時間を経過したというのに、碁盤の上には、黒が五つ、白が四つ。中山著者はこの碁の記録係でした。黒番は梶原九段、白番は橋本昌二九段。少し先を続けて転載しますと、
“ 夕刻、六時少し前、穴があくほど碁盤を睨んでいた梶原七段は、ふっと顔を上げて、窓の外に暮れゆく景色に目をやった。さすがに疲労の色が濃い。記録係の声が響いた。「時間になりました。梶原先生、次の手を封じ手に願います」
「うむ」大きくうなずいた梶原七段、再び盤上に視線を戻す。ものの五分も経った頃であろうか。突然、「なにい。こんどの手が封じ手だと」と、すっとんきょうな大声を張り上げたものである。
盤上の人となっていた梶原七段は、先ほどの記録係の注意をうわのそらで聞いていたのである。・・・・・ようやくにして梶原七段は、次の手が封じ手であることを認識したらしい。「そうか。封じ手か」と深いため息をついた。しばらくして、もう一度ため息をつき、「おとうちゃまは、くたびれたぞよ」とつぶやく。
これを聞くともなく小耳にはさんだのが、隣で対局していた鯛中七段。ちらと、こちらの碁を眺め、「なあんです。まだ四つしか石を置かないのに」とからかう。これに対する梶原師の応酬が傑作なのである。いかにも弱り果てたという風情で盤を睨んでいた彼は、「今日の蛤は重い」とつぶやいたのです。私は、ハッとして、四人の対局者の顔を見た。四人が四人とも盤上の手段に没頭しているらしく、何の反応も示さない。まさにこれ三昧境。聞けども聞こえず、言えども知らずといったところであろう。

「今日の蛤は重い」何という味のある言葉であろうか。
この一言をつぶやいた瞬間、棋士梶原は詩人梶原となっていたのであう。・・・・“ )

(いつもながら、はたまた本題から外れた長い回り道をしてしまい大変申し訳ありません。ただあまりに嫌な暗いニュース、出来事ばかり続く昨今、たまには昭和の囲碁界の“良き”時代を振り返り、当時の明るい話やエピソードで、癒されるかもしれないと思った次第からでした)
 
さて、今度の日曜日(第181回武闘派碁会・5/19)が近づいてまいりました。

現在までに参加申し出をされている方々を、確認の意味もこめてここに明記させて戴きます。

年間参加申し込みの、鈴木さん、真形さん、石田さん、金子さん、五味さん、高本さん、山内さん、簗さん、木谷さん、林さん、それに新たに斎藤さんが年間参加申し込みを戴きましたので(斎藤さん、ありがとうございます!)、合計11名の方々に、更に今までにご参加申し込みを戴いた、城戸さん、古川さん、徳田さんの14名の方々、プラス瀧の15名です。

「真形通信」にあった、中川十郎会長氏のお話にもありましたが、現岸田政権の“危うさ”を憂いている方々は多い筈で、円安による経済不安も深刻になりつつあり、先の短い私などでも子供や孫のことを考えると、あまりいい夢は見られなそうです。

多難な出来事が続く辰年ですが、「武闘派碁会」、今年も一所懸命にガンバリますので、皆様方からの、”熱い”ご支援、ご声援のほど、どうぞよろしくお願いいたします。

なお参加申し込みの締め切りは、前日の18日(土)の16時です。
                                      
追伸;横浜宇宙棋院と参加入場時の手続きなどを、念のため下記に再掲しますが、当日の突然の不参加や遅延などは、会場の宇宙棋院の受付にご連絡いただけますよう、よろしくお願いいたします。
(なお幹事からのお願いですが、碁会当日は出来るだけ「マスク」を着用くださるよう、ご協力のほど、どうぞよろしくお願いいたします)

                   = 記 =

☆ 開催日: 5月19日(第3日曜日)、12時10分開始
       なお、開始時刻の10分前には入場してください。

☆ 開催場所:宇宙棋院 〒220-0004 横浜市西区北幸1-1-8 エキニア横浜8FTEL/Fax:045-323-1515

☆ 参加費:2,300円

☆ 支払方法:お手数ですが、2回に分けてお支払い願います。

①まず入場時棋院の受付の人に、1,300円お支払い願います。
 その際に、必ず受付の方に、”武闘派碁会に参加する者です”と お伝えください。
           
②次に、少し中に進むと特定してあるIBM武闘派碁会エリア受付で、幹事に1,000円お支払いください。

☆ 確保したIBM武闘派碁会エリア(予定): 8~10席(16名~20名分) 

☆ 対局数/持ち時間:今まで通りの4局対局で、持ち時間は一人45分です。

☆ 入 賞:参加人数により、1位~5位、または6位、または7位まで表彰。

☆ コロナ対策:IBM武闘派碁会エリアは、席を一つ置きに使えるように配慮してもらいました。
 (ただ、囲碁の各種大会と重なった時は、いつもよりは 狭い場所で、お願いされる可能性もありますので、ご了承ください)

  その他、アルコール消毒液の設置や換気等も、適切に行われています。          

☆ その他(食事):早めに見えて軽食されたい方は、受付左手の休憩コーナーをご利用ください。
                               
 瀧 賢史